つかの間の

「……ティ、シルティ。起きてください」


「ん……、セディ……?」


 どうして私の部屋に? そう尋ねようとして、昨夜の出来事が脳裏に蘇った。


(ひゃあぁあああ)


 声にならない悲鳴を上げ、頭まですっぽりと布団をかぶる。こんなことをしてもなにも意味がないことは分かっているけれど、何事もなかったように振る舞うには、落ち着く時間が必要だった。


 布団にもぐりこみ、芋虫のようにもぞもぞと動くシルティを見て、セドリックは相好を崩しクックッと忍び笑いをした。


「……シルティ。そんなところに隠れていても、そう遅くないうちにノナリアがやってきて、布団を剥ぎ取られてしまいますよ?」


「わ、わかってますわ! でもどんな顔をしてあなたと向き合えばいいか分からなくて……。そ、その、セディは恥ずかしくないの……?」


 昨夜はあんな凄いことをしたのに。とは言えず、曖昧なことしか言えない自分を呪った。


 2歳年下の義弟おとうとは、こんなに堂々としていているのに、子どもみたいに隠れることしかできない自分が情けなく、泣きたくなった。そのとき、ベッドの端にセドリックが座ったのを察して、少しだけ布団から顔を覗かせた。


 セドリックは、シルティ以外には決して見せることのない愛情のこもった瞳を向ける。大好きな空色の瞳に映っているのは自分だけだと思うと、心臓がドキドキして顔が紅潮した。


 ぼうっとセドリックを見つめたまま、動かなくなったシルティのボサボサになっていた髪を、セドリックは優しく手櫛で梳いたあと、ひと房すくいとり、ちゅっと口づけを落とした。


「……確かに少し気恥ずかしいですが、それを上回るほど幸せなので」


「セディ……」


「それに、想い合う者同士はみなしていることです。恥ずかしがることはない」


「それは……そうなのだけど」


 それでもやっぱり照れくさい。そう言うと、セディはおもむろにシルティの耳元に顔を寄せ、「僕を男として意識してくれて嬉しいです」と囁いたあと蠱惑的な笑みを浮かべた。


「……セディ。朝からそんな顔をしてはだめよ。あなたの身が危険だわ」


 首から上を真っ赤にしながらも至極真面目な顔で言い含めるシルティに、セドリックはにっこりと笑った。


「シルに襲われるなら本望です」


「……ばか」


 二の句が継げなくなったシルティは、再び布団の中に逃げたのだった。



*****



 2人でフルーツを食べ朝食を済ましたあと、セドリックは呼び鈴でノナリアを呼びシルティを任せた。


「今日はゆっくり休んでください、シルねぇさま」


「あなたもね、セディ」


「はい、わかりました」

 

 そうして居室に戻るシルティを見送ったのち、セドリックはチェストへ向かい鍵を開けた。残り少なくなった魔法薬と一緒にはいっていた飴玉ほどの大きさのガラス玉を床に投げつける。すると、なにもなかったところに魔法陣が現れた。


 セドリックはワイシャツとトラウザーの上にマントを羽織って魔法陣の上に立つ。


「クロード・ディエゴの魔女の館へ」


 そう口にすると魔法陣の光は強まり、一瞬にしてセドリックの体が消えると、室内にはただ静寂だけが訪れた。



*****



 同時刻、シルティは湯船に浸かりマッサージを受けていた。ツボを押し、リンパを流す。ただそれだけのことが、天に昇るように心地良い。


 セドリックと別れて自室に戻ったシルティは、ずっと我慢していた全身の痛みを訴えた。急いで医師を呼ぼうとしたノナリアを呼び止め、こうなった経緯を説明した。すると彼女は薄々気づいていたと答えるとともに、祝いの言葉を口にした。それに首を傾げたシルティに「お気づきではなかったのですか」と若干呆れた声を出したノナリアは、「これはご自分でお気づきになられるべきです」と言うと、この話は終わりだとばかりに手を叩いた。すると湯と水を運んできたメイドたちが、入れ代わり立ち代わりバスタブの中にそれらを入れていく。


 ノナリアが用意してくれた疲労回復効果のあるハーブティーを飲み干す頃に、「ご入浴の準備が整いましてございます」と声がかかる。そうしてシルティは湯船に浸かり、夜会前の入浴時並のお手入れを施されているのであった。


 湯船に浮かべたバラの花びらから立ちのぼる甘く、香水のような香りに陶酔する。昨夜の疲労が回復していないシルティは、うつらうつらとし始めていた。


(ああ、幸せ……)


 そう幸せに浸っていた時だった。


 遠くから何人もの怒鳴り声が聞こえ、メイドたちの悲鳴が上がる。何事かと湯船から身を乗り出したとき、「ノナリア様! ノナリア様!」と居室の扉を激しく叩く音がして、ノナリアは急いでシルティにガウンを羽織らせると、急いで扉へと向かった。


「何事です?」


 努めて冷静に問うたノナリアに、明らかに気が動転した様子のメイドが目に涙を浮かべて状況を説明した。


「そんな、」


「――なんですって?」


 いつの間にかノナリアの背後に立っていたシルティは、恟然きょうぜんとした表情を浮かべた。そして暫く考え込む様子を見せたあと、ゆっくりと口をひらいた。


「……ノナリアは今すぐに私の身支度をお願い。そしてあなたは、エルヴィル小伯爵様を応接室へご案内して」


「シルティさま……!」


 シルティは、反論しようとするノナリアを右手で制した。


「彼の相手は私がします」


「しかし、」


「反論は許しません。さぁ、各自言った通りに」


 踵を返すシルティの背に、「かしこまりました」という声が届いた。



 

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