レンタル透明人間!
阿久津一朗太
プロローグ
プロローグ 合コンの透明人間(1)
「もし、透明人間をレンタル出来たら…」
居酒屋の片隅。柏木美沙はスマホを見ながらぼそっとそう呟いた。
「ちょっと美沙、何してんの?」
隣に座る牧祥子は美沙の方に顔を近づけて慌てながら話しかけた。
「ご、ごめん。ぼーっとしてて。なに?」
「なにって、自己紹介!あんたの!」
その言葉で自分が今どこにいて、何に参加しているかを思い出した。美沙は慌てて背筋を正して正面を見据えた。するとテーブルの向かいに座る男性たちの顔が飛び込んできた。まっすぐに自分を見つめる視線にたじろぐ。
「あ、えと。柏木美沙です。祥子ちゃんとは、同じ会社の同期で、その…」
美沙の言葉が途切れがちになると、祥子が美沙の背中を小突いた。
「すみません美沙はちょっとマイペースなところがあって!いっつも忘れ物したり、大事な書類間違えてシュレッターにかけちゃったり、この前は取引相手の名前忘れちゃったりしててー」
祥子は美沙のミスをネタにしてすかさずフォローをした。忘れ物、シュレッター、どれも祥子がやってしまったミスだ。美沙がやったことに
「その都度あたしがフォローしてるんですけどねー」
「それは大変ですね」
祥子の話によって場が温まり出した。それに比例するように、美沙の気分はどんどん下がっていった。
本当はこんな合コンにも来たくはなかった。
しかし祥子に逆らえば、次の日会社でどんな噂が広まっているかわからない。
祥子はそのコミュニケーション能力と狡猾さで社内に味方を増やし、入社して2年も経ったころには既にお局と化していた。この会社でうまくやっていくには彼女と対立してはいけない。そんな暗黙の了解が出来上がっていたほどだ。
気の弱い美沙は、そんな祥子に逆らえずにいた。ミスを自分のせいにされても、合コンに引き立て役として呼ばれたとしても、祥子に逆らうことができなかった。
「私はしっかりしてるので、会社でもそこそこ評価は高いんですよ」
祥子は自信満々な様子でわざとらしく胸を張った。何が評価だ。騙し、奪い取っただけのくせに。
しかしそんな脳裏に浮かんでくる言葉を伝えることなどできず、美沙はいつものにように小さく笑うことしかできなかった。
いつものように自分を卑下され、祥子が持て囃されるのは慣れたパターンだった。
俯くたびに、いつまでこんなことが続くのだろうと考えているような気がする。
顔を上げるのも、決して前を向いて生きていこうと思ってのことではない。ただ、涙が落ちないようにいろんなものを見て気を紛らわしているだけだ。一粒でも涙が零れ落ちてしまったら、もう止まらないような気がしたから。
三人の男性を見渡すと、目の前に座っている人は太り気味のずんぐりした男性、もう一人がサラリーマン風の地味な男性だった。
その隣にはどことなくエリート風の雰囲気を漂わせるイケメン男性が座っていた。
もう1人爽やかそうな男性が奥に座っているが、彼はこの会の幹事で、正面に座る女性側の幹事の人と付き合っている。
その幹事の男性を対象外とした時、祥子の視線がイケメン男性に釘付けになっているのは横目にもすぐにわかった。
「不動産、銀行員、IT」
祥子は小声で美沙の目の前の人間から順番に彼らの職業の述べた。
「どれも大手企業、合格ね。でもダメ、あたしと釣り合うのはあのITイケメン君しかいない。いい?あたしがあのイケメン君に集中できるように、あんたは残りの2人ひきつけてよろしくやっといて」
「よろしくって…」
美沙の発言に聞く耳を持たず、祥子はすぐにイケメン男性との会話に移った。
聞きなれた外向きの、鼻につくいやらしい声音だ。
美沙は小さくため息をついてグラスに口をつける。
「み、美沙さんは、趣味とかあるんですか?」
にやついた笑顔で不動産勤務の男性が話しかけてきた。
「あ、改めまして、白井と言います。職業は不動産関係の営業です」
年齢としては美沙より5つ上の29とのことであったが、その恰幅と老け顔もあって30代半ばと言われても納得してしまう。
「佐藤です。銀行員してます」
小さくボソッと隣の男性も会話に入ってきた。会話が始まったのでその流れに便乗しようと考えたのだろう。
「改めまして。美沙です。えと、趣味は特には。漫画とか、アニメは好きですけど」
「そうなんだ!僕も好きだよ!最近ではねー」
白井の語るコンテンツは、いかにも話を合わせるために揃えてきたような、本当にすべて見たのかも怪しいラインナップであった。といっても、自分の中にあるライブラリも似たようなものであったが。
そんな形で初めこそこちらのことを聞いてきた彼らであったが、次第に彼らの話は自分たちの自慢話などに移っていった。
営業成績がどうだの、安定がどうだの、年収の話など。
いかに自分が優良物件であるかを必死にアピールしてくる彼等の態度に嫌気がさした。成績や評価なんてものはいくらでも改ざんができるということを、彼女は身をもって知っているからだ。
それゆえにいかに自分がすごいかを語る彼らのことが、美沙には笑顔の仮面を被ったペテン師にしか見えなかった。
彼らは本当のことを言ってるのかもしれない。
しかし美沙はそれを信じることができなかった。祥子やその取り巻きの言動に慣れた結果ここまで人を信用できなくなってしまったのかと、美沙は心の中で自分のことを嘲笑した。
どうしても彼らの話に聞く耳を持てず、とりあえず目の前のサラダを食べようとフォークを取ろうとしたところ、近くにあったレシートを入れる筒を倒してしまった。
倒れた筒を直そうとした時、正面から伸びてくる手が見えた。まるで筒を直そうとする美沙の手を丸ごと掴もうとするかの如く、ごつごつとした手は勢いよく接近してきた。
美沙は身の危険を感じ、筒を倒したまま急いで自分の手を引っ込めた。
伸びてきたのは白井の手であった。
白井は下賤な笑みを浮かべながら「筒倒れちゃったから直そうと思って」と白々しく言い訳を述べていた。当たり前に言いのけたその態度に、ぞわぞわと恐怖心が芽生える。
そんな拒絶の空気に気づいた祥子はちらりと下品な笑みを浮かべ、美沙の方に顔を寄せて小さく呟いた。
「あいつあんたに気がありそうだからさ。連れて抜け出しちゃってよ」
それだけ告げて、再び祥子はイケメン男性との話に戻っていった。
抜け出す?この男の人と?
美沙の顔面がみるみる青ざめていった。
手を触られるというだけであんなに恐ろしかったのに、そんなことできるはずがない。
「あ、それ確かマロメロだよね?」
そういって白井は、テーブル隅に置いていた美沙のスマホのケースに張られたシールを指差した。特別詳しいわけじゃない、かわいいというだけで付けていたキャラクターのシールだ。
「あ……え、ええ」
「それかわいいよね。ちょっと見せてもらっていい?」
にやにやとした笑顔を浮かべながら、白井は手を差し出してきた。
「い、いや…」
美沙はさきほどの手のことを思い出し、断ろうとしたが、横から鋭い視線が突き刺さった。
「何照れてんの?すみませんこの子好きな人の前だとあがっちゃうタイプで」
祥子の悪意に満ちたフォローで、白井の口角がもう一段階上がった。
鼻の下も伸ばしたにやけ面で「そうなんだ」と呟いてさらに手を伸ばしてきた。
「ちょ、ちょっと」
美沙はぎゅっと、テーブルのスマホを上から掴んで守った。
「この子奥手なんで。もっとグイグイいっちゃってください!」
それだけ言い残して、祥子はイケメン男性との会話に戻っていった。
スマホを掴む手が震えているのに気が付いた。
どうして自分がこんな思いをしなくてはならないのか。ふと顔を上げると、未だにんまりとした笑顔で白井が手を差し出してきている。
その手にスマホを渡したら、もはや腕ごとしゃぶりつくされそうな、そんな恐怖心が脳裏によぎった。目の前のガマガエルのような顔を見るのすら、今は恐ろしくて仕方なかった。
「…そういう感じがいいなら言ってよ」
白井は笑顔を崩さず紳士的にそう言って、さらに手を伸ばしてきた。
まるでウサギを丸のみしようとしている蛇のように、ごつごつとした指がスマホを守る美沙の手を絡めとろうと近づいてくる。
この手を拒むということは、祥子の命令に背くのと同義だ。明日からどうなるかわからない。
しかしこの手を受け入れれば?その先のことを想像することすら恐ろしくて仕方なかった。
「い、いや!」
誰でもいいから助けて。その願いを込めた小さな悲鳴すら飲み込むように、白井は勢いよく腕を伸ばしてきた。
次の瞬間、何かを打ち付けるような音が目の前から響いた。同時に、今にも美沙の手を掴もうとしていた白井の腕が、空中に浮いたかのように止まっていた。
白井は力任せに何度も美沙の手を掴もうと試みたが、腕はプルプルと震えるばかりで、二人の距離は決して縮まらなかった。
まるで見えざる何者かに腕を掴まれ、制止されているようであった。
そして突き返されたかのように、白井は腕を引っ込めさせられた。白井は目を見開き、驚愕の表情を浮かべている。
一番近くにいた美沙にはわかった。
ぼんやりとではあるが、目に見えない『何か』がそこにいるような気配を感じたのだ。
不可思議な現象を前に困惑する中、その空気を強引にぶち壊すかのように隣のテーブルから騒がしい声が聞こえてきた。
「テメェのやり方が気に食わねぇって言ってんだよ!」
「なんだと!?」
酔っ払いの男たちの声が居酒屋を震わせた。彼らは大声で口論を始め、その騒ぎに合コンのメンバーたちは驚きを隠せなかった。
怒号が飛び交う度に美沙含め女性たちは体を震わせ、男性陣もどうすればよいかと目を泳がせながら、状況を探るようにしていた。誰かなんとかしてくれと、心の中でそう願っていた。
「生意気なんだよ最近異動してきたばかりのくせして!」
茶髪の酔っ払いは同僚と思われる男の首元を掴んで、今にも殴り合いの喧嘩が始まろうとしていた。
「まあまあやめなよ」と声をかけられてもお構いなし。彼らの喧嘩はどんどんヒートアップしていった。
掴まれた男は怒りに任せて「俺より結果出してから言えよ!」と言い放ち、テーブルを思い切り拳で叩いた。その音は周りのものたちを更に震え上がらせた。
「てめぇ!いい加減にしやがれ!」
喧嘩はますます激しさを増し、居酒屋の雰囲気は緊迫の度を深めていった。周囲の客たちは、怒号と拳の音に圧倒され、ただその展開を見守るしかできなかった。
「おらぁ!」
茶髪の男は同僚を掴み上げ、足がもつれた拍子に彼を強く投げ飛ばした。
その勢いで彼は隣のテーブルへと飛んでいき、そのまま一番近くに座っていた美沙の方に向かっていった。
美沙は驚きの表情で悲鳴を上げ、必死に身をかがめて身を守ろうとしたが、男の勢いは止まらなかった。
男がぶつかるというその瞬間、突如として現れた先ほどの気配が美沙の前に立ちはだかった。
いや厳密には、立ちふさがった
「危ねぇだろうが!」
謎の男の声が店内に響き渡った。そしてその直後、まるで蹴り返されたかのように、男は方向転換して茶髪の男の方に吹っ飛ばされていった。
「…大丈夫っすか?」
美沙は怯えながらもゆっくりと目を開いたが、目の前には誰もいなかった。
しかしどこかから聞こえてきた心配の声に、美沙はわけもわからず反射的に「は、はい」と答えていた。
「な、なんだ…?」
突如聞こえてきた謎の声、そしてありえない方向転換をして戻ってきた同僚の姿を見て、茶髪の男は驚愕の表情を浮かべていた。
「こ、この野郎が…!」
吹き飛ばされた同僚の男は、鬼の形相を浮かべながら茶髪の男の足を掴んで立ち上がった。やられた恨みを晴らすかのように、拳を握りしめ、その顔面目掛けて振りかぶった。
「いい加減にしろっつの!」
再び聞こえてきた謎の声を合図に、同僚の男は再び投げ飛ばされた。そして茶髪の男も同様に、まるで背負い投げをされたかのように優雅に一回転し、地面に倒れ込んでそのまま気を失ってしまった。
「いい大人が周りの人間に迷惑かけてんじゃねぇよ」
目を回しながら地面に倒れている酔っ払いたちに向けてそう言い放った謎の声に、居酒屋の客たちは自然と拍手を送っていた。
明確に何かに対して、誰かに対してその拍手は送られているわけではない。何かすごいことが起きた、その雰囲気が客たちに拍手を促していた。
「遅れてすいませんでした!ちょっと道が混んでまして」
拍手が鳴りやまぬ中、合コンが行われていたテーブル、その空席だと思われていた男側4人目の席からその声は聞こえてきた。姿の見えない、謎の男の声が。
「どうも!急遽4人目の参加者の方が来れないってんで、ピンチヒッターとして呼ばれました!気軽に『レンスケ』って呼んでください!職業は、レンタル透明人間です!」
『透明人間をレンタルできる』
いつからかネットで流れ始めた噂の1つだ。
連絡の取り方は不明。
しかしその不可思議な存在は、悩みを抱える者たちのもとに現れると囁かれていた。
真実かどうかは定かではない。裏付ける証拠なんてものもない。透明人間なのだから。
だが、透明人間によって助けられたものたちは確かに存在していた。
その体験談はそれぞれ異なるものであったが、みな共通して「麒麟」という言葉を口にしていたらしい。
麒麟の透明人間。
いつからかそう呼ばれ始めた存在は、悩みを抱える人たちの心の支えとなっていた。
いつか自分の元にも、麒麟が来てくれると。
「もし、透明人間をレンタルできたら…」
美沙はぎゅっと、スマホを自分の胸の前で握りしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます