27.広南家へ

 

 20時近く。

 連絡が一向に来ないからか様子を見に来た婚約者の麗音れいねさんに無理やり車に乗せられて広南ひろなみ家へ向かって移動していた。

 現在は高速道路で彼女の別荘の静岡に向かっている。あそこは数回行ったことがあるが、バルコニーから迫力満点の富士山が見えるのが良い。



「ハル……」

「春? もう春が恋しくなったのかしら?」


「あー、いや――」

「それとも、他の女のことでも考えていたの?」


 広い車内とはいえ密室だ。あまり語弊のある言い方はしないで欲しいのだが……別にやましいことがあるわけでもないので相談してみることに。



「まあそうと言えばそう、かな。実は親友と喧嘩……というか親友に叱られちゃって」

「親友、ね?」


「別に浮気なんてしないよ。家同士のトラブルは僕だって避けたいし、彼女とは本当に何も無いから」

「そう。なら友人関係を許可してあげようかしら」



 高級車で向かい合うソファもあるのになぜか隣に座っている彼女はそっと僕の肩に手を置いた。



「……いつから許可制になったのさ」

「婚約した以上、あなたは私のもの。何か間違っているかしら?」


 肩から首筋を撫で、顎をスっと触られた。

 相変わらず仏教ヅラで何を考えているかさっぱり分からない。やはり他人の感情を読むのは難しい。論理的に考えるなら婚約者のいる僕が変な噂をされて巡り巡って広南家の評判が下がることにならないように――だと思うのだが、この行動には何の意味があるのか。

 こそばゆいだけなので優しくその手をどかす。



そうかもしれないけど、僕は僕自身のものでもあるよ」

「……妙に含みのある言い方。まあいいわ。正直に言うとそのまま仲直りしない方が私としては嬉しいのよ?」



「?」

「簡単な話、私にはあなたしかいないのに、あなたには他にも大切な人がいるなんてずるいじゃない?」


「それは広辞苑を引かずとも分かるかも。いわゆる嫉妬だね」

「そう、これは確かに醜い嫉妬。…………気になったのだけど、あなたにとって私はどう見えているの?」


 話の流れからして嫉妬深く見えるかという質問だろうか。

 全く見えないし、むしろ嫉妬していることに驚いているくらいなんだけど。


麗音れいねさんはクールな人だから嫉妬しているなんてちょっと予想外って感じかな」

「クールね……意外と愛情深くて重い女かもしれないわよ?」



 それを無表情で言われてもね。麗音れいねさんに限ってそれはない。


「ないない」

「そういう子がいたらあなたは好きになっちゃったりするのかしら? まさかとは思うけど浮気する?」



「浮気チェックが今日は厳重だね? まあ恋愛感情自体がどういうのかは分からないけど、少なくとも僕は――」


 文字で表せる性質より言葉では表せない波長とか本質を見るんじゃないかな、と言おうと思ったが、ふと違和感を覚えた。


 先程からの麗音さんの発言に。



「僕は?」

「……麗音さん、もしかして僕のことを本気で好きだったり?」


「!?」

「違ったら申し訳ないけど何となくそんな推測が立っちゃって」


 得た情報は共有した方が良いと学んだばかりだから試しに確認してみる。

 麗音さんはぷいっとそっぽを向いた。やはり間違っていたらしい。



「少し理解できないわね。あなたまで俗っぽいことを考えるなんて。私があなたのことを好き? 婚約者だからといって本気で好きになるわけじゃないのはあなたが一番知っているでしょうに。まるで私が外堀を埋めるために親に婚約をせがんだ脳内お花畑なお嬢様みたいな言い方は冗談でもやめてくれない? 仮にそうだとしたらそもそも成婚の延長なんて許さないはずだし毎日通話したり会ったりしたがるのにそれをしないという時点でそうじゃないことは分かるはずよ」


「あ、うん」



 言っていることは正しいんだけど、そこまで一息でまくし立てなくてもいいのではないだろうか。

 運転手さんも笑いを堪えているのか肩が僅かにピクピクと動いてるよ。



「ふぅ、それで仲直りしたいという話だったかしら?」

「うん」


 結局色々な話題をすっ飛ばして一番最初に戻ってきた。


「そういうのは早い方がいいと少女マ……自己啓発本に書いてあったわ。今すぐ電話したらどうかしら?」

「なるほど、確かに電話があった!」



 折角ガラパゴス・ケータイなんていう文明の利器があったのに完全に抜け落ちていた。

 早速開いて電話帳から紫村しむら遥香はるかを選択。電話をかけた。


 大丈夫、ちゃんと言いたいことは原用紙5枚分でまとめてきてあるから。



『……もしもし』

「もしもし! 明堂めいどうひびきです!」


『知ってる』

「え、えーと……その」


 まずい。原稿用紙5枚分が頭の中でビリビリに引き裂かれた。要するに全部緊張で忘れてしまった。

 しかし電話越しの彼女は黙って待ってくれている。今の僕の誠意を伝えよう。いや、くよくよしていないで最初からそうしていればよかったのだ。



「――ごめん。何の相談もせず勝手に一人で抱え込んで、物事を判断しちゃって。一緒に楽しむためのゲームなのに」

『うん。これからはちゃんと教えて』



「もちろん。親友だからね」

『……! マイベストフレンドおお!!』



 どういうリアクションだよ。

 でも、機嫌を直してくれたようでよかった。



『私もごめん! ちょびっと言い過ぎた気がするようなしないような感じだった!』

「いいよいいよ、僕が全面的に悪かったんだし」



 何を言いたいのかは分からないが仲直りしたと見ていいだろう。お互いにいやいや私がいやいや僕がと言いあっていると、横に座っている麗音さんが電話を強奪してきた。


「お話中失礼します。私、響さんの婚約者なのですが」

『ひぇっ!? あ、はい! どうも? 親友やらせてもらってる紫村しむら遥香はるかです!』



 電話の向こうから慌てている声が聞こえた。

 電話なのにピシッと背筋を伸ばしている姿が目に浮かぶ。



「“婚約者”として釘を刺させていただきますが、節度を守った交流をお願いいたします」

『は、はい!! 頑張ります!!!』


「……」



 麗音さんは、分かってないなこいつという目をしている。節度を守った交流というのはおそらく浮気への牽制とゲームに誘いすぎるなということなのだろうが、僕も彼女は絶対理解していないと思う。



『えと……お邪魔したみたいでごめんなさいでございます?』

「いえ。それと、これから彼の誕生日パーティーを行いますので電話の方も控えて頂ければ」


『誕生日パーティー!? 私も……!』

「身内でやる小さなものですしどなたもお呼びしておりませんので、どうかご理解の方お願いいたします」



 僕に電話が返ってくることなく麗音さんが切ってしまった。そしてそのまま携帯は麗音さんのカバンに入れられた。



「なに自然と没収してるのさ」

「お母様が結婚相手の携帯は必ずチェックしろって言ってたもの」


「少なくとも今ではないのでは?」

「いいじゃないもうすぐ着くのだし」


 窓からの景色をカーテンを捲って覗いてみると本当にお屋敷が見えてきていた。

 まあいっか、携帯はそもそもそこまで使わないし。



「麗音様、報告が」

「……夫婦の談笑を妨げるような内容でしょうね?」


「それが――」




 まだ夫婦ではないのだが、急な報告を聞きに助手席のメイドさんのところへ向かっていった。



 それにしても洋風屋敷は久しぶりだ。

 僕が今住んでいる所も実家も、本家の方も大体和風建築だからね。


 麗音さんの家広南家は教育関連事業を主に手がけていて、それに所以でもあるのかモダンな一昔前の西洋建築を好んでいるようなのだ。ちなみに広南家が教育関連でどれだけ凄いかというと、国内の私立の小中高大は全て形は違えど関与していて、それこそ当主である麗音さんの母親は大体の私学で名誉学長だったりする。

 さらにちなむと、広南家が直接経営している5つの大学は世界の大学ランキング的なあれを独占しているらしい。あまりその分野には詳しくないが凄い。


 うちやうちの本家明東家は食品や農林水産をはじめとした第一次産業を生業なりわいとしているので教育のきの字も知識として無い。というか婿入りするから逆にそこに詳しくなると色々と問題事も発生してしまうので遠ざけているともいえる。

 これが政略結婚でもなければ仕事の相談に乗ったりするため勉強したんだけどね。




 そんなことを一人で考えていると、車は豪華な玄関の前で停まった。

 外から使用人が車の扉を開けてくれる。

 待たせるのお互いに悪いし、何やら渋い顔をしている麗音さんを置いて先に降りる。



「あ、お久しぶりです。お義兄にい様。姉様は……」

「久しぶりだね、麗音さんなら車で何か話してるよ」



 出迎えてくれたのは麗音さんの妹の静璃しずりさんである。確か今年で高校2年生だったはず。麗音さんが鮮やかな青だとしたら彼女は優しく淡い水色だろう。

 ちなみに麗音さんのことが大好きらしく、綺麗な黒い髪をロングにしている。本人の前では恥ずかしいのか結んでいるけどね。




「お話……もしかしたら栞さんの来訪の件でしょうか?」

「栞さん?」


「はい。秋北あきた家の――」



「やっほー、ウチだよ」



 足音も気配もなく背後から肩に回された。

 現代の暗殺者でも現れたのかと思ったが、そこに居たのはゆったりとした雰囲気の女性だった。

 このパターン、既視感しかない。



「……シオレさんがどうしてここに?」

「ここでは栞って呼んでよ、明堂響くん?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る