金剛石の花嫁 ②
あれよあれよという間に婚礼の日はやってきて、ジェロームは晴れてセシリアと夫婦になった。ハロムも疲労の色を浮かべていたものの、彼を快く家族の一員として受け入れ、実の息子であるかのように扱った。今夜ばかりは無礼講とばかりに使用人たちも裏手で祝杯をあげている。村からも明るい光が漏れていて、領主の婚礼を理由に男たちが酒盛りを続けているのがよくわかった。
ジェロームがセシリアを伴って寝室に引っ込んでからも、深夜まで宴は続いたようだった。
寝室で、母が心配していたことが杞憂であるともわかった。セシリアは少なくともジェロームを受け入れてくれたし、初夜も滞りなく済んだ。ジェロームは母の杞憂などすっかり忘れ去っていた。
こうして新たな生活が始まった。
ハロムは、まずはこの地での領主としての仕事を覚えるようにとジェロームを補佐につけた。領地が違えば領地経営の仕方も多少は違うものである。いずれアルメ領流にするのはハロムが引退したあとでも構わないだろう。
最初のうち、ジェロームはハロムとともに忙しく働いた。ハロムに連れられて領地のあちこちを視察することもあれば、いま抱えている問題を一緒に考えることもあった。
「セシリアをよろしく頼むよ……本当に」
ハロムはときおり疲れた顔でそう言うことがあった。彼の心労はいまだ続いているのかと、ジェロームは心を痛めた。
とはいえ村ではセシリアに関する噂もあったものの、ジェロームという夫が現れたからか表向きにはぴたりとやんだ。きっとハロムはそれもあって婚礼を急いだのだろうと思った。実際、十八歳の若い妻はジェロームをきちんと夫として接してくれたし、これといった不審点はなかった。まだ新婚とはいえ、彼女なりによく尽くしてくれたし、彼もまたそんな彼女を大切に扱った。たとえ心の傷になっていたとしても、セシリアを愛そうと思ったのだ。
それからしばらく経った頃、ジェロームは暇ができると、使用人の一人のもとへと赴いた。彼は館のそばにある炭小屋で働いており、館で使う炭や薪を専門に作っていた。
「やあ、ジズ」
ジェロームが声をかけると、炭で服を汚した小男が顔をあげた。作業をとめて頭を下げる。繋がれていた犬が立ち上がったが、ジズが手で制すと動きをとめた。
「これは、ジェローム様。どのようなご用件で?」
「お前に聞けば森のことは良く知っていると教えてもらってな」
「森ですかい?」
ジズはわずかに眉を顰めた。
「ああ。義親父殿はあまり鹿撃ちには興味が無さそうでね」
ジェロームは声をかけながら、尻尾を揺らす犬を見てしゃがみこんだ。狩猟犬のようだった。犬はよく躾けられているようで、ジェロームを見てハッハッと舌を出した。軽く首元を撫でてやる。
「ははあ。確かに、そうですな。ハロム様はあまり好まれませんな」
「お前はどうだい」
「そうですな。最近は……ええ、まあ。いろいろと忙しかったですからな」
「ふうん。まあお前たちも働き詰めだっただろうからな。それで、森のことだが――」
ジェロームが犬から手を離して立ち上がると、ジズは小さく頷いた。
「ええ。確かにこの森は鹿撃ちにもいいでしょう。ただ、西のほうはあまり近づかん方がいいです。偏屈な婆さんが一人住んでいましてね。近づくとうるさいんですよ」
「ふうん。婆さんか。気にすることはないと思うがね」
「そういえば、魔女という噂もあるんですよ」
小男がわざとらしく声を潜めたので、ジェロームはますます笑うしかなかった。
「はははっ! 魔女か。時代が時代ならとっくに首を切られているだろうな」
「まあ、ただの婆さんですがね。ハロム様は、年も年だし、村人とはあまり騒ぎを起こしたくないと」
「ふむ?」
「……それと……そのう――」
ジズは自分の服に何度も手をこすりつけていた。
「もしかして、妻を襲ったという庭師の話か」
「ええ、まあ」
観念したように頷く。
「そういえば、死体を森に捨てたという話を聞いたな。しかしそいつはもう死んでいるのでしょう?」
「ええ、そうです。首と一緒に、何人かで運んでいったのを案内しましたからな……。アタシはあまりに恐ろしくて、捨てるところを見ちゃいませんが。それでも憂鬱そうな顔をしてました」
「だが、確かに死んでいたんだろう?」
「ええ、そうでしょうな。ただ……」
ジズは変わらず服に手をこすりつけていた。
「一週間ほどして――死体を確認しに行ったやつらがいましてね。そいつらが、服を除いて中身が無かったと言ったんです。ええ、骨すら無かったと。服もわずかに残るばかりだったと。魔女が持っていったなんていう奴もいますがね、ありゃあ十中八九、獣に持って行かれたんでしょう。人の味を覚えた獣はこちらを襲ってきやすいですからな。注意はした方がええです」
「ふうむ、そうか。お前の言うことも一理あるな」
ジェロームはジズに「鹿撃ちに同行することを考えておいてくれ」とだけ述べた。ただの使用人である彼は、わかりやした、とだけ返事をして仕事に戻った。
ハロムもきっと森に興味が無いからこそ、森に死体を捨てるなどという事をしたのだろう。
それにしても埋めたりもせずにそのまま置いてくるとは。それだけハロムの怒りが凄まじかったということか。
しかし現状、ジェロームが見ているハロムはすっかり肩を落として、青ざめ、どことなく不安がっているように思えた。婚約前であればまだ理解できる。自分の一人娘がどこの馬の骨とも知らぬものに、純血を散らされたかもしれぬのだ。しかしジェロームがその可能性ごと受け止め、結婚も済み、新たな生活が始まったいまとなって、なにを気に病む必要があろうか。
むしろそういう意味では、セシリアの方がまだ一本芯が通ったようにしっかりしている。彼女は既に母親からその立場を譲り受けたかのように、使用人たちにきっちりと指示を出して館の事をこなしている。ジェロームが帰ってこればいちばんに出迎え、笑顔を向ける。そこに打算は無いような気がした。
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