金剛石の花嫁

冬野ゆな

金剛石の花嫁 ①

 婚礼の儀はつつがなく始まろうとしていた。

 ほとんどの婚姻がそうであるように、人々は平穏と祝福の内にあった。太陽は優しく地を照らし、一点の曇りもなかった。サンドルク男爵領主の美しい娘、セシリア・リエーヴルはきょうこの日、素晴らしい男の妻となる。かれらの領地であり、サンドルク領主館の建つ素朴な村を突っ切り、教会に向けて先頭の馬車が出発するのを子供たちはいまかいまかと待っていた。贅を尽くした花嫁衣装をひとめ見ようと、村の女の子たちは首を長くして待ち望んでいた。男の子でさえ、今日ばかりは虫や川魚に夢中になるのをやめた。たとえ領民に配られる甘い菓子が目当てだったとしても、祝いの席の末端であることには違いない。

 レンガ造りの豪奢な館を囲むように、人々は花嫁が出てくるのを待った。窓の向こう側で微かに人影が映るたびに、人々の目線が行き来した。その瞬間を待ち望んでいた。だがそんな村の大人たちの顔には、どことなく作り物めいた笑顔が貼り付いていた。言い様のないぎこちなさは、どこからともなく明るい雰囲気の中に密やかに忍び寄ってきた。村の大人たちは拭いきれぬ影の存在を感じるような不安を抱えていた。それでいて、落ち着かないのを自分からあえて無視しなければならないような、そんなぎこちなさだった。

 やがて時間になると、使用人の手によって領主館の扉が開かれた。メイドたちが恭しく、夫婦となる二人を外へと送り出す。暗闇から、まず新郎が姿を現した。この日のためにしつらえられたスーツに腕を通し、金色の柔らかな髪に、高い鼻先と整った顔立ちの青い眼の男だった。がっしりとした体躯で、若々しい力を漲らせている。彼の姿そのものが領主館に張り詰めた闇を引き裂くようだった。たちまち、ぎこちなさは霧散していった。彼が恭しく手を差し伸べると、いよいよセシリア・リセーヴルが姿を現した。どよめきと歓声とが同時に沸き起こった。真っ白なヴェールに包まれたその表情は美しく、なによりも凜とした表情の中に可憐さを持ち合わせていた。彼女のために作られた花嫁衣装は抜けるような白で、ふんだんにレースをあしらい、きらきらときらめいていた。そのひとつひとつのどれもが至高であった。村の子供たちは手を叩いて喜んだ。贅を尽くした花嫁衣装は少女たちの心にきらびやかな宝石を残していく。

 歓声のなかで、二人は三台目の馬車に乗り込んだ。

 そうして先頭の馬車が出発すると、男の子たちの何人かが馬を見ようと一緒に歩き出す。賑やかな婚礼がいまにも始まろうとしていた。


 ジェローム・パストゥールはサンドルク領から少し離れたアルメ男爵領主の次男だった。アルメ領はサンドルクと同じく街から離れた田舎にあったものの、都との繋がりを持っていた。小さいながらも羊毛や酒といった特産品を都へ送り出し、裕福な暮らしをしていた。村の人々との関係も良くも悪くもなく、田舎ののどかで緩やかな暮らしをしていた。ジェロームは毎日のように馬で領地を走り回り、武芸に長けた男で、評判も申し分なかった。領土にある森で鹿撃ちをするのが趣味で、ときおり仕留めた鹿を村に持っていったので、領民たちからもそこそこ好評だったのである。リエーヴルも似たような環境で交流もあったため、縁談の話が来た時もそれほど驚くべきことではなかった。

 現サンドルク領主であるハロムには一人娘のセシリアしかいなかったため、こうなることは予測されていた。養子という形になることに、ジェロームはそれほど抵抗感を持たなかった。アルメ領を継ぐのは兄であると決まっていたし、彼自身もそれに異論はなかったからである。異を唱えるような腰巾着もいなかった。

 セシリアと引き合わされた彼は、その美貌を見てすぐに気に入った。

「彼女はどうだったかね」

「申し分ありません。彼女と結婚します」

 ジェロームが答えると、父は笑顔を見せた。そういうわけで婚約はすぐに決まった。

「やあ、おめでとうジェローム」

 兄もまたこの結婚を喜んで肩を組んだ。

 むしろサンドルク領との繋がりが出来ることで、いずれ領地を取り込めるのではないかという算段も多少はあっただろう。だがいまだけは彼らの結婚を純粋に祝福していた。事態はすぐに動き出した。リエーヴルも早いほうが良いと思ったのだろう。親族の顔合わせが行われ、あっという間に結婚式の日取りが決まり、握手が交わされた。

 しかし、母だけは少し懸念することがあったようだった。

「あのお嬢さんのことだけれど――」

「何か問題が?」

 母が気にしていることは理解していた。

 都で流れている噂のひとつに、セシリアの噂があったのだ。

 ハロムによれば、なんでも庭師の男に襲われそうになったところを助けられたという。サンドルクでは村の住人が何人か使用人として召し抱えられ、調理場や庭などで働いていた。下手人はそのひとりだった。あろうことか村の住人がセシリアに横恋慕した挙げ句に、森で彼女に襲いかかったというのだ。

 下手人はあわやというところで捕まり、そのままハロムによって斬首にされたという。

 よくあることだった。

 法の手に委ねなかったのはあまり良い風潮ではないものの、彼女が一人娘であることを鑑みれば当たり前のことだろう。相手も貴族ではないし、ハロムの怒りはもっともだ。死体はそのまま森に捨てられ、野ざらしにされたという。

 しかしそんな事件は田舎だからこそ大きく扱われるものだ。自身も都と繋がりを持っているジェロームは、醜聞のひとつやふたつ、都ではありふれたものだと知っていた。それどころかもっと醜悪な事件さえ都では起きている。それに口さがない人々によって、もう生娘ではないとか、子供を妊娠しているなどという尾ひれがついて回っていることもある。

「母上が気にしているのは、彼女が生娘でないかもしれぬということでしょう」

「ええ、そうなのだけれど……、なにかもっと……」

 母は心の内にあるものをうまく言葉にできぬようだった。

 ジェロームは、母がセシリアを見て自分には関知できぬ何かを感じ取ったのではないかと思った。しかしそんなものは些細なものだ。女の勘がどうあっても理論には勝てまい。

「可哀想な娘です。しかし下手人はもう斬首になったといいますし、例え村人に不届き者がいたとして、しばらくはわたしが見張っているから、手出しをしてはこないでしょう。きっと大丈夫ですよ」

 彼は自信を持って言い切った。

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