第4話

 一方、栄太の方はといえば人間の王の面前でがちがちに緊張していた。王座に続く階段の手前で跪き、隣の老人が離すのをただ聞いている。顔を上げることも声を出すこともできなかった。そもそも帝国というだけあり王座の間が想像以上に広い。そのわりに周囲に立つ鎧兵も、美しい金髪の付き人も物音ひとつ立てない。咳払いひとつで酷く目立ちそうで、呼吸の音すら抑えてしまう。


「間違えたのはお主か、星読みか」


 王座の方から地を揺らすような低い声が聞こえた。座る人間の2倍ほどの幅がある豪奢な椅子には金の塗装に美しい宝石がついている。繊細な螺旋模様が描かれているが溝にはほこり1つない。

 その王座に座っている老いた男は髭をきれいに剃り落としている。油で肌を保湿されているらしく、皺があるのに表皮だけが妙につやつやしていた。

 王の横には金髪の美しい女が1人、ダークブラウンの髪をした美しい女が1人立っている。さらに階段の下には燕尾服のようなフォーマルスタイルの中年男が立っていた。


 白いローブを来た老人は栄太のとなりで膝をついて震えながら


「わしは、手順どおりに行いました。手違いは無いはず」と言った。


 かつ、かつと金属音がする。苛立つ上司がペン先でデスクを小突いているような音だ。


「とはいえ前回の聖女召喚は随分昔のことだった。それこそ我々が生まれる前の話だ。お前にとっても初めての聖女召喚、失敗することもあろう」

「――いえ!」大きな声を出した老人は、咳払いをして視線を床に戻した。「我が家は召喚の儀を先祖代々伝えてきております。資料も残しているのです。その時が来るまで毎日修練を……」

「もうよい」


 水を打ったように、しんと周囲が静まり返る。妙な緊張が走り肌がヒリつくような気がした。


(俺、このまま首落とされたりしないよな……? もし夢なら早く覚めてくれ)


 栄太がそう考えていると、王が再び話し出した。


「星読みの進言により勇者の選抜はもう終わっておる。今さら反故にする訳にもいかぬ。とはいえ嘘の聖女を立てようものなら、この国がどうなるかも分からぬ。――カトウといったか」

「……」

「何か言わぬか!」


 皺だらけの手でバシリと肩を叩かれて、栄太は目を丸くした。恐る恐る顔を上げながら


「はい、加藤です……」と蚊の鳴くような声で言った。

「数日後に勇者とその仲間が魔王討伐に向かう。お前も同行しなさい」

「――へっ!? 待って、魔王って――」


 バシリ。

 今度は頭を叩かれた。なにも言えないまま、栄太は黙ってうつむいた。


「わざわざこの国へ来てもらったのだ、平民の宿に泊まらせるわけにもいくまい。一番良い客室を用意し泊まらせるように。食事もコックに作らせ、酒も用意せよ」

「はっ」


 階段脇に立っていた王の御用聞きらしい男は頭を深く下げ、もう一度頭を上げると栄太の方へと近寄ってきた。


「お前の働きに期待しているぞ」


 それだけ言うと、王は椅子から立ち上がり、ゆっくりと垂幕の裏へと消えていった。


「さあ、我々も行きましょう。もう立っていいですよ」


 御用聞きが栄太の横で言った。栄太は立ち上がって膝の汚れをはたき、ふぅっと大きく息を吐いた。

 老人は仕事があるからといって途中で去ってしまい、栄太は何も分からないまま客間に連れてこられた。およそ人が通るために造られたとは思えない大きな門の前に立つと、御用聞きは扉を開けて「どうぞ中へ」と言った。


「すっげぇ~……」


 ぽかんと口を開けて部屋を見渡す栄太を見て、御用聞きは少し笑った。

 部屋の中は40畳でも足りないほど広く、大きな窓の向こう側にはバルコニーがついている。窓につけられたカーテンは手触りがよさそうな赤い布でしつらえられ、金糸で縁どられていた。キングサイズのベッドには天蓋、天井には宗教画、床は全面カーペットで覆われている。部屋の真ん中にはテーブルと花柄のソファが置かれ、テーブルの上には既に酒瓶とグラスが置かれていた。


「風呂とトイレは向かって左側の扉です。料理はすぐに用意しましょう。何か不足はありますか?」

「えっと……勇者一行っていうのは……」

「勇者御一行は支度と挨拶、祭儀などで今はおりません。出発時にはお会いできますよ。心配はありません、勇者というのは幼少から王宮で鍛錬を続けた者の中から実績のある者だけが選ばれます。家柄だけでは成れず、強く知恵があり、国王に許可を得た者だけがなれるのです。安心して旅をなさると良いですよ」

「でも、魔王って……」

「それでは良い1日を」


 質問の返答を得られないまま、扉はパタリと閉じられた。足音は無情にも遠ざかって、消えた。眉尻を下げて困った様子の栄太は、本当に行ってしまったのだろうかと扉を開けようとした――が、開かなかった。ガチャガチャと金属音がするだけで、全く開きそうにない。


「え、嘘。鍵閉められてんじゃん……。あの、誰か、居ませんか……?」


 扉の向こうからこもった男の声がした。


「旅立ちの日まで外出は許されていませんよ」

「えっ!? でも俺、家に帰りたいかもしれなくて」

「許されていません。食事も入浴も全てその部屋で間に合いますのでご安心を」

「ええ……」


 それ以上、栄太が何をいっても誰も返事をしてくれなくなった。

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