表現者になることを諦めた人間の話

ゆるふわ

希望と絶望

小学校の中学年くらいから、僕は本を読むのが好きだった。

小学校の図書室に入り浸り、図鑑、漫画、小説等色々読んだ。


家では父の本棚にある文庫小説に心躍らせた。

特に筒井康隆、広瀬正といったSF作家の小説が好きだった。

少し「大人な表現」も中学に上がる頃には理解できるようになり、当時は難しくて細かいところは理解できなかった話も、年齢を重ねて思い出したように読み返してはこうだったのか、と改めて楽しんだりした。


中学に入ると、僕は音楽も好きになった。

中学に入り、パソコンとインターネットに触れるタイミングが増えた。

そして、今思えば著作権アウトなFlashをみて、ハマった一つのバンドに倒錯した。

高校生になってから、CDを買えるだけ買った。

プレミアが付いている限定品も、手に入る機会があればなんとかして入手した。

ライブには結局行けなかったが、それでもCDが擦り切れるのではないかと思うくらい聞いた。


同時期に、『DTM』という言葉と、それでパソコンで音楽を作る事ができるらしいという事を知りパソコンオタクになった僕はわからないなりに音楽を始めた。

父も母も音楽に関連する職業を経験していたこともあり、肯定的だった。

そして「それで生きていけたらどれだけ楽しいだろうか」と考えるようになった。


そんな僕も高校を卒業し、専門学校へ通うことになる。

親を説き伏せ、お前がそんなにやりたいなら、と許してもらった。

学科説明で『DTM』という単語が輝く学校へ入学した。

人数が少なすぎて複数の学科が統合され、週2コマのみ音楽を習った。

ほかはデザインやCGが多かった。


『モデリング』という3DCGで形状を作る作業がとてつもなく苦手だった。

提出物が足りず、補講を受けることとなった1年の終わり、

「なんかモデリングしないでもいい感じにする方法はないか?」と先生に無茶な質問をし『レンダリング』という3DCGにおける絵作りの工程を教わり、それが思いのほか楽しく3DCGにも興味を持った。

数十分待ってかろうじて壁紙になるかどうかの解像度の1枚の絵を出力した。

とてもたくさんの絵を出力した。

キャラクターは作れなかったので、単純な形状をいかにかっこよく、きれいに見せるかを考えた。


進学という形で2年制の学科を卒業後1年追加で在籍し、音楽で食っていくことのハードルの高さを教わり、東京でCGの会社を受けるが全敗。

就職活動で貯金が底をつき、卒業後半年ほど引きこもりになることになる。

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