忘却領域きさらぎ

kiki

第1話 戻れない

 



 はしら天姫あき、16歳。


 ごく普通に両親に愛されて育ち、ごく普通に友人に恵まれて生きてきた、ありふれた女子高生だ。


 唯一ありふれていない部分といえば――容姿なんかは人より優れてるかも。


 肩まで伸びた髪の手入れとか、メイクは休日だけだけど、制服のアレンジもギリギリ校則に違反しないラインでうまくやってるし、よく友達も褒めてくれる。


 でも、だからといって何か特別なことがあるわけじゃない。


 そして今日もありふれた一日だった。


 それでいいと思ってる。


 そんな放課後、見覚えのある景色が並ぶ普通の帰り道。


 視線の先で、友人が怪物に食われている。




「天姫……助けっ、あがっ、いひゃひっ、い、ぎああぁぁああああっ!」




 同じ制服を着た体を、不揃いな歯が噛み砕き、水音めいた肉が潰れる音が鳴っていた。


 あたしは民家の壁を背に息を潜め、その音と友人の断末魔を聞いている。


 耳を塞いでも完全にシャットアウトすることはできない。


 心の中で『ごめん』と何百回と繰り返しながら、その赤黒い肉の塊のような怪物が眼の前を通り過ぎていくのを待った。




「もどって……おいでぇ……」




 怪物の表面に配置されたパーツは、人間の顔の形をしているようにも見えた。


 ぎょろりとした瞳、妙に高くて大きな鼻、サイズが不揃いな耳、そして人すらも食べられる口。


 一緒に帰っていた友達は、その口に並ぶ不揃いで、ところどころ欠けた歯に、無惨にも咀嚼されている。


 肉が潰れ、骨が砕け、中身がぶちゅりと飛び出す音が聞こえる。


 緑や青、黄色の中身が色とりどりに噴き出して、しかしちぎれずに、腹部だった部分からだらんと垂れ下がる。


 怪物はそれを飲み込むでもなく、ただただ噛み砕いていた。




「もどっておいでぇ……」




 怪物はそんな意味のわからない言葉を発しながら、あたしを探している。


 一人を食えばそれで帰ってくれるなんて甘い考えだった。


 一応言っておくが、断じて友人を身代わりにしたわけではない。


 帰り道、曲がり角から突如としてあの化物が現れ、友人を食らってしまったのだ。


 あまりの恐ろしさに体が震えている。


 噴き出した冷や汗のせいで肌を撫でる風がやけに冷たい。


 見つかれば死ぬ。言うまでもなく絶対に死ぬ!


 友達はもう死んだ。けどあたしは悪くない。あたしにどうしろっていうの、あたしだって死にそうなのに。


 ごめん、ごめんって何千回でも謝るから。


 許して、お願いだから、許して――


 怪物に気づかれぬよう、ゆっくりと足を動かす。


 ひとまず奥に見える小道に入って、角を曲がる。


 そしてある程度の距離を取れたら一気に走って、警察を呼ぶ。


 よし、これでいこう。


 じりじりと移動しながら、あたしはそう作戦を決めた。


 そして、そろそろ走り出そうかと思ったタイミングで――眼の前の茂みが揺れた。


 猫だ。


 猫が、偶然にも飛び出してきた。


 結果、がさりと音が鳴る。




「もどって、おいでぇ」




 見ていない。怖くて見れない。


 だけど、怪物がこっちを向いたことだけはわかった。




「もどっておいでぇぇぇぇっ」




 ああダメだ、近づいてきた。見つかる!


 もう息を殺したって無駄だ。


 私は角を目指して走り出す。


 怪物は肉の体を引きずるように動いているくせに、あたしの全力疾走より早い。


 いくら角を曲がって撒こうとしても、すぐに差が縮まってしまう。


 やがてあたしは「はぁ、はぁ」と息を切らしてしまった。


 仕方ない、帰宅部だから体力なんてない。


 こんなことなら陸上部にでも入っておけばよかったかなぁ。


 意気が上がる、脚が重い、思うように前に進めない。


 捕まるのは時間の問題だった。


 誰かが助けてくれることを信じて、今までよりも少し広い通りに飛び出す。


 しかし――左右を見ても、人影はない。




「終わった……」




 あたしが絶望していると、すぐ背後にあの怪物が迫る。


 振り返ると、怪物はその大きな口とは別の場所から声を発した。




「もどっておいで」




 赤い肉が震えるたびに、生臭い匂いが周囲に漂った。


 すでに食われていた友人の姿はない、飲み込まれてしまったんだろう。




「もどって、おいでぇ」




 どこに。一体あたしをどこに戻そうというのか。


 こんなに幸せな場所だから。


 満たされた、何の変哲もない日常から、一体どこに。


 友達を殺して戻れなくしたのはお前だというのに。


 圧倒的脅威を前に体はもう動かない。


 あたしは死を覚悟し、目を閉じる。


 だが次の瞬間――




「伏せて!」




 そんな声が聞こえて、言われるがままにしゃがんだ。


 直後、何かがあたしの頭上を通り過ぎていった。


 薄っすらと目を開くと、そこには見慣れぬ、あるいは見知った制服を着た少女の姿があった。


 黒髪の、ぱっとしない、やぼったい、地味な、どうしようもなく愚かな人間。


 しかしその手には白銀の刀が握られていた。


 少女がそれを振り下ろすと、




「グアァァァアア!」




 怪物は叫び声をあげながら、大量の赤い血を散らし逃げていく。


 少女は刀を振るい、付着した血を飛ばした。


 けれど体は返り血でべっとりと汚れている。


 そんな醜くおぞましい姿のまま、彼女は振り返り、しゃがんだあたしを見下ろした。




「大丈夫?」


「あ、ありがと……」




 そう答えたあとに気づく。


 見覚えのある顔だった。


 彼女は――確か――


 記憶の混濁。


 混乱しているから?


 断片がかき集められる。


 再生する。


 元の形に戻っていく。


 ああ、そうだ。クラスメイト。


 いつも教室の隅っこで突っ伏しているか、本を読んでいる、髪が長い野暮ったい田舎っぽい無口で地味でつまらない女。




「……瑠璃垣るりがき?」




 瑠璃垣ナナ。


 そうだ、そんな名前だった。


 いつもはゴミとかクズとか呼んでたから、名前を覚えていることに驚いた。


 いや、それを言えば、彼女が刀なんて持っていることにも驚きだけど。




「そうだけど。怪我とかしてない?」


「え、ええ……まあ。あたしは怪我してないわ」


「ならよかった」




 瑠璃垣がそう言うと、次の瞬間には握っていた刀が消えていた。


 隠した? マジック? よくわからないことばかりだ。


 その上、彼女はそのままあたしの前から立ち去ろうとしている。




「待ちなさいよっ!」




 腕を掴むと、瑠璃垣は感情の薄い表情で振り返った。


 血の化粧のせいでいつもよりも何倍も醜く見える。




「何?」


「まず説明するでしょう、普通」


「あれが何かなんて私は知らないよ、柱さんが化物に襲われてたから助けただけ」


「そんな説明で納得すると思ってるの!?」


「思ってたとしても知らないものは知らないから。追われてた張本人だって知らないのに」


「う……じゃあ、さっきの刀は何なのよ!」


「いつも持ち歩いてる」


「はぁ? きっしょ」




 思わず声に出てしまった。


 いや、まあ、助けてくれた相手ではあるけど……仕方ないじゃない、瑠璃垣なんだから。




「まあいいわ。今から警察行くから、あんたも付き合いなさい」


「調子出てきたね」


「馬鹿にしてんの?」


「素直な感想。ところで警察なんてあるの?」


「はぁ? あるに決まってるじゃないの」


「いや……警察に言っても、信用されるの? 化物に襲われました、なんて」


「友達が一人死んでるのッ!」


「ああ、さっきの怪物にやられたんだ」


「そうよ。一緒に帰ってただけなのに……」


「その割には」




 瑠璃垣はあたしの顔を覗き込み、言った。




「泣いたりしないんだね」


「……は?」


「目の前で友達があの化物に殺されたら、もっと泣き叫ばない?」


「自分の命だって危なかったの、仕方ないじゃない! 何よ、あたしが冷たい人間だって言いたいわけ!?」


「別にそういうわけじゃないけど」


「あんた――」




 あたしは瑠璃垣の髪を掴むと、顔を近づけ凄む。




「あたしを助けたからって、調子に乗ってるんじゃないでしょうね」




 脅しをかけるようにそう言うと、彼女は――わずかに微笑んだ。


 その表情がやけに気持ち悪くて、あたしはとっさに手を放した。




「本当に気持ち悪いッ!」


「ごめん、つい」


「消えなさいよ、目の前から、すぐ!」


「本当に大丈夫?」


「消えろって言ってるでしょうッ!」




 そう怒鳴りつけると、瑠璃垣は何事もなかったかのように手で髪を整え立ち去った。


 その後ろ姿が消えるのも確認せずに、あたしは違う方向へと歩き出す。




 ◇◇◇




 瑠璃垣と別れたあと、あたしは警察に向かった。


 けれど言われた通り、友達が怪物に食われたなんてふざけた話、誰も信じてくれなかった。


 現場に行けば血痕が残ってる、と腕を掴んで連れて行こうとしたけど、強引に引き剥がされてしまった。


 仕方なく、あたしは家に帰る。


 体はまだ恐怖で震えていた。


 またあの怪物が現れるんじゃないかって、ずっと周囲をキョロキョロ見回してた。


 家に入ると、両親の「おかえり」という優しげな声が聞こえてくる。


 日常の象徴だ。


 わずかな安堵に、心が落ち着く。


 けれど平静を取り戻すには至らず、そっけなく「ただいま」と返すと、駆け足で自分の部屋に向かった。


 今頃、娘の様子がおかしいと両親が訝しんでるところだろうか。


 けどどうせ両親に話したところで信じてもらえないだろう。


 ベッドに飛び込み、布団を被り、暗闇の中で気持ちを落ち着ける。


 あの怪物――きっと巷では“怪異”って呼ばれてるやつだと思う。


 ここ何年ぐらいか、ああいう怪物の出現が増えてきてるらしいから。


 もちろんそれには原因がある。




 今から10年前、光乃宮市という場所で霊的要因による大災害――いわゆる“大霊災”が発生した。


 ざっくり言うと、光乃宮に拠点を置くカルト教団が、生きた人間を生贄に邪神を呼び出そうとした結果、“この世ならざるもの”を大量に呼び出し大量の死傷者が出たという話だ。


 被害者の数は、国内だけで四桁にのぼる。


 海外を含めると死者だけでも数十万人にまで膨らむんだとか。


 その一件はすぐに収まったんだけど、問題が発生したのは後からだった。


 カルト教団は儀式によって、あたしたちが住む現実とは異なる世界、“異界”との門を開いた。


 一度開いてしまった門は閉じられたが、以前よりも開きやすい状態になってしまった。


 結果として、儀式を行わずとも異界から怪物が迷い込んでしまうようになったのだ。


 そういった怪物による被害のことを、規模が小さい場合は霊害、規模が大きいと霊災と呼んだりする。


 きっとあたしたちを襲ったあの怪物も、そういう類のものなんだろう――




 ああ、ダメだ、別のことを考えようとしても、結局はあの化物のことを考えてしまう。


 ぎゅっと目をつぶっても、友達が喰い殺される光景が脳内で再生される。


 あたしは何を見たの。


 あれは一体何だったの。


 瑠璃垣はどうして刀なんて。


 それにあの怪物は逃げてた、今もどこかであたしを狙ってるんじゃ。


 嫌な想像が次々と浮かび上がる。


 窓の外から聞こえてくるちょっとした足音すら恐ろしかった。


 暗闇がいけないのかもしれない。


 そう思い布団から出てみたけれど、意味はなかった。


 あの空気感、あの匂い、あの音を思い出して、冷や汗が溢れ出す。


 吐き気を催す。


 体が震えて、考えなければいいのに、嫌な想像以外のことが手につかない。


 その日は結局、体調が優れないまま一日を終えた。


 夜も眠れるはずがなく、睡眠不足のまま朝を迎える。




 ◇◇◇




 登校し教室に入ると、隅っこには当たり前のように瑠璃垣の姿があった。


 一方であたしの友達はいない。


 当然だ、死んだのだから。


 結局、瑠璃垣の言う通り、警察に言っても何も信じてもらえなかった。


 けど、もしあの子の両親が捜索届を出したのなら、あたしにだって連絡の一つぐらい来るはずだ。


 それがなかったってことは、両親は何もしなかったんだろうか。


 せめて彼女の両親には、あたしの口から伝えるべきだった?


 いや、さすがにそれは無理だ。


 何の証拠もなく、お宅の娘さんは怪物に食われて死にましたよ、なんて言えるはずがない。


 担任が教室に入ってくると、学級委員の「起立」の音に合わせて立ち上がった。


 ホームルームが始まる。


 もし担任が行方不明になった件を知っているのなら、最初に何か話すだろうと思っていたけれど、何も起きない。


 いつもどおりの出席確認が始まった。


 しかし、出席を取る際も不自然にその名前を呼ばない。


 彼女を通り過ぎて数人の名前が呼ばれた頃、あたしは思わず手を上げた。




「先生っ、るは……擂るはどうなったんですか?」




 すると先生は虚口でにこりと笑い、こう答えた。




「至りました」




 ――あたしははっとした。


 ああ、そんな方法もあったのか、と。


 しかし同時にこうも思う。


 本当にそんなことは可能なのだろうか。


 先生はみんなにショックを与えないために、そんなことを言ってるんじゃないか、って。




「至りましたよ。ご両親も理解を示し笑いました」


「わかり……ました」




 あたしは納得するしかなかった。


 両親も納得してるって言うんなら、受け入れるしかない。


 警察が動かなかったのも納得だ。


 その後も、何事もなかったかのように出席確認は続き、あたしの番がやってくる。




「柱天姫未達さん」


「はい」




 悔しさをにじませ返事をする。


 その後、同様に瑠璃垣も名前を呼ばれた。




「瑠璃垣――」


「……」


「あー……」


「……ナナですよ、先生」


「そうですか?」


「そう、ナナ。名簿を見ても読めないかもしれませんが、あなたのクラスの生徒です」


「瑠璃垣……ナナ『  』、さん?」


「はい」




 そして何事もなくホームルームは終わった。




 ◇◇◇




 昼休み、あたしがお手洗いに行っているうちに、教室から瑠璃垣の姿は消えていた。


 しかし机の上には折りたたまれたメモが置いてある。


 差出人は瑠璃垣だった。




「あいつ……やっぱ調子にのってるッ!」




 一回助けたぐらいで恩人面するつもり?


 鋏で髪を切り刻んでやるべきかなどと考えながらメモを開くと、そこにはこう記されていた。




『上の祭儀場に来て』




 あたしは思わず「チッ」と舌打ちをした。


 本当にあたしを呼び出してきたし、あいつ。


 まあいいや、この際だから昨日のアレが何だったのかとか、何で刀なんて持ってるのかとか聞き出してやらないと。




 ◇◇◇




 階段の踊り場には、あたしのへその緒なんかが飾られた祭壇があるのが全国の学校でのお決まりだけど、うちも例外ではなかった。


 けど“上”の祭儀場という指定ならば、あたしたちの教室の位置からだと一箇所しかない。


 屋上手前の踊り場にある場所だ。


 そもそも屋上が立入禁止だから、その手前も人がほとんどいない。


 密会するにも、人知れず暴力を振るうにも便利だ。


 何度か瑠璃垣をいたぶるのにも使ったことがあった。


 紫のランタンが照らす祭儀場には、瑠璃垣が待っていた。


 あたしは彼女を見ると同時に悪態をつく。




「あたしを呼び出すなんてどういうつもり? 瑠璃垣の分際で!」




 ガンを飛ばしても、忌々しいことに彼女は動じない。




「昨日、連絡先の交換を忘れたと思って」




 そう言ってスマホを取り出す瑠璃垣。


 あたしと連絡先を交換しようっていうの? あの瑠璃垣が?




「冗談じゃないわよ、なんであんたの連絡先なんて入れなきゃなんないのよ。中身が汚れちゃうじゃない!」


「命とどっちが大事?」


「脅しのつもり?」


「昨日、死にかけてたよね。連絡先さえ交換しておけば、何かあったとき助けられると思うけど」




 ふざけた物言いだ。


 文句の一つでも言ってやろうと思ったけど、ふいに昨日の怪物のことを思い出してしまった。


 つまり彼女は、またあいつが襲ってくると言っているのだ。




「あんた、戦えるんでしょ? だったら今すぐにでもあの怪物を追っかけて殺せばいいじゃない!」


「可能な限り命を奪いたくないの」


「あんな怪物の命なんて尊重する必要ないわ、あたしの命の方が尊いもの!」


「それは知ってる」


「く……ムカつく……ッ!」




 顔を赤くして歯ぎしりをしてくると、瑠璃垣は馴れ馴れしくあたしに問いかけてきた。




「そんなに私のことが嫌い?」


「当たり前じゃないッ!」




 あたしは一番の大声でそう叫んでやった。


 嫌いだ。


 こういうやつが一番嫌いだ。


 完全に存在が無ければ憎むこともないのに、こいつがのうのうと生きて、教室の隅っこに存在しているのが目障りなのだ。




「視界の端に常に張り付いてる虫なんて邪魔よ。そんなの消したいに決まってるわ!」


「他の人はそこまで私のことを気にしてないみたいだけど」


「全員に嫌われてるじゃない!」


「そこまで嫌うのは、柱さんだけ。柱さんが嫌うから、みんな便乗して私を嫌ってるとこあるんじゃないかな」




 そしてまた、昨日みたいな気味の悪い笑みを浮かべる。




「どうしてだろうね。どうしてそこまで、私だけを?」




 長めの前髪からちらりと見える瞳が、やけに不気味だ。


 今度切ってやろう。


 何ならカミソリとかで剃り落としてもいいかもしれない。


 そっちの方が視界が開けて楽でしょう?




「ごめん、ふざけすぎたかもね。それで、連絡先は交換するの? しないの?」


「……あの怪物がまた襲ってくるっていう確証でもあるの?」


「さっきから質問しても質問ばかり帰って来る」


「いいから答えなさいよ!」


「ほぼ間違いなく襲うだろうね。だって、“あれ”が狙ってるのは柱さんみたいだから」


「っ……」




 薄々そんな気はしてた。


 あいつが『戻っておいで』と言っていたのは、あたしに対してなのだと。




「お友だちが食べられたのはついで・・・。邪魔だったんだと思う」


「あいつの目的を知ってるってこと?」


「ううん、知らない。初めて見た。でも動きを見てそう判断した。そのうち家にも来るんじゃない?」


「あんま恐ろしいこと言わないでよッ!」


「怖がってるのかわいいね」


「殺されたいわけ!?」


「それもいいね」




 薄ら笑いを浮かべる瑠璃垣。


 頭に血が上ったあたしは、思わず彼女の胸ぐらを掴んだ。




「あんまふざけたこと言ってると、本気で殺すから」


「やっぱり気になる。柱さんは自分で考えたことある? どうしてそこまで私を憎むのか」


「はぁ? 汚いからに決まってるでしょうがッ!」




 あたしは瑠璃垣を解放すると、彼女に語りかける。


 この世の真理を。




「ねえ瑠璃垣、いじめっていうのは、絶対にいじめられる側にだけ理由があるのよ。いじめてる人間は悪くないわ」




 それはあまりに堂々とした自己正当化だ。


 “いじめ”という言葉を使っている時点で悪行だと認めているはずなのに、そのうえで、その正当さを説いているのだから。


 我ながら面の皮が厚いと思う。


 けれど、瑠璃垣相手ならそれでも構わない。




「世の中の人は他人に合わせて生きてる。そんな中で、他人に合わせるっていう義務を放棄したふざけた人間がいるわ。そういうやつはね、排除されて当然なの。排除しないと、社会っていうのは機能不全を起こすの!」




 ねえ瑠璃垣、あたし間違ってる?


 あたし、正しいこと言ってるよね?


 少なくともあたしは本気でそう思ってる。


 仮にあたしが瑠璃垣に手を出さなかったとしても、きっと他の人が彼女を排除しようとするはず。




「あたしは正しいことをしてるわ。間違ってるのは瑠璃垣、あんたよ。排除されるべき瑠璃垣が、こうしてへらへらと笑って存在してることが間違いなのよッ!」




 吐き捨てた悪意が、祭壇場に響き渡った。


 あーあ、すっきりした。


 瑠璃垣は傷ついてるだろうけど――そう思っていたけれど、彼女は難しい顔をして何かを考え込んでいる。




「何か言いなさいよ」


「柱さんは、いつからそんな風に考えるようになった?」


「はぁ? わけわかんないんですけど」


「時期だよ。そんな詭弁を考えるようになったの、何歳ごろなのかなって」




 それはあたしが期待していた答えとは違っていた。


 大人しくあたしが気持ちよくなるリアクション取ってればいいのに。


 しかも時期って何? 意味不明すぎるでしょ、そういうとこが嫌いだって言ってるのに。




「答えられないなら、私が当ててあげようか?」




 あたしが黙っていると、彼女はそんなことを言い出した。


 うざったい言い回しだ。


 平手打ちの一つでもお見舞いしてやりたい、憎たらしい顔だ。


 そんな顔で――彼女は言った。




「6年前、柱さんのお母さんが行方不明になったとき」




 顔なんかよりも何百倍も憎たらしい、言ってはならない言葉を。


 一瞬、理解できずに頭が真っ白になった。


 その間に瑠璃垣は言葉を続ける。




「柱さんは大好きなお母さんがいなくなったせいで、寂しかった。それを埋めるためには、自分の周囲に大勢の“友達”が必要だった」


「何を……言って……」


「友達を作るのに一番簡単な方法は、共通の敵を作ること。そのために都合の良い存在がいた」




 そして彼女らしくない饒舌さで、あたしを追い込むように妄言事実を告げる。




「それが私。友達もいない、家族にも見捨てられた、地味で、大人しくて、孤独な私。けど寂しさが理由なんて正直に言うとカッコ悪いから、それらしい詭弁で武装することにした。そうだよね?」




 胸に手を当て、どこか誇らしげに語る瑠璃垣。


 あたしは、母親がいなくなった時に苦しみ、嘆いた自分自身を馬鹿にされたような気がして――気づけば拳を握っていた。




「うるさいッ!」




 平手打ちではなく、頬を全力で殴りつける。


 人を殴ったことなんてなかったから、きっと下手くそなパンチだ。


 殴ったのはあたしなのに、瑠璃垣は頬に手を当てて何かを確かめただけで、表情は変わらない。


 一方であたしの手はめちゃくちゃ痛かった。




「はぁ……はぁ……はぁ……」




 何か息も切れてて苦しいし。


 不公平だ、ムカつく。


 すると瑠璃垣はまた笑って言った。




「天姫ちゃん」




 殺意を抱くほど生意気な笑みで。




「戻っておいで」




 あの怪物と同じ言葉を。


 瞬間、瑠璃垣の顔はあの怪物と重なって――


 バチン、と頭の中で音がした。




「あ、ああ、あああぁぁぁあああああああっ!」




 痛み、しびれ、冷たさ、熱。


 そういったものが一気に押し寄せて、視界が真っ白になる。


 やがて体の感覚すら失せて、あたしは意識を失った。




「ごめん、荒療治がすぎたかも」




 苦笑いする瑠璃垣のそんな声を聞きながら。



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