真実
「あったよ。その時は、ブラック会社で働いていた男が降りてきてさ、長々と生前の悩みを聴かされたよ」
鼻から湿った息を漏らし、首を横に振ることで億劫な降霊の機会だったと鼻白む。
「そっか」
苦労話に対する相槌の弱さを殊更に意識することにより、手応えのなさを自覚させて降霊の話を打ち切らせるつもりだった。だがしかし、他人を慮る意識の低さは、己か抱く気持ちに対しても例外ではなかったようだ。誠実さに欠ける相槌を兄はものともせず、喋り続ける。
「あらゆる不平不満を淀みなく吐き出した後は、身体の支配権を恙無く明け渡したよ」
きわめて浮世離れした経験談を四方山話のように語る兄は、ワタシが手に負えない世界へ足を踏み入れていることを物語る。
「満足すれば、身体から出ていってくれるのかな」
霊魂が身体の中にいつまで居座ってしまうのかを正確に把捉し、降霊という儀式への認識をハッキリさせたい。そんな心持ちであった。
「どうだろうなぁ……。もし仮に俺が他人の身体の中に入って現世に戻れたなら」
言い終わる前に兄は口を閉じてしまい、肝心の答えを聞けない。前言通り、便宜にも線引きをして理を作ろうとするのは、烏滸がましい考えなのかもしれない。
「まあ、心配することはないさ。事故は一度もない」
試行回数の低さを棚上げした楽観的な考えは、不安だけが募った。ひいては、次の提案を受けたとなれば、無関心ではいられなかった。
「降霊会に一回参加すれば、要領は分かるはずだ」
不意の誘いを寸暇もなく断って、醸成される険悪な雰囲気を事も無げに受け入れるだけの関係性は築いてこなかった。ワタシは、適切な距離間でのみ兄と接してきており、血を分けたはずの間柄に見合わない皮相さに定住していた。
「今度の日曜日にでも」
ワタシが断ることなど、まるで考慮していない兄の手前勝手な推し進め方に、額から鉄球を吊るしているかのように頭が下がった。それは、「落胆」の二文字がよく似合い、誰であろうとワタシの心境を看取することは容易いはずだった。だがしかし、やはりというべきか。鈍感な兄の観察眼の手前、ワタシの所作は只の身じろぎとして落ち着いてしまった。これ以上、問答に執着すれば、ワタシと兄との間に険悪なものを遺恨が残る恐れがあった。普段より居間で過ごす時間を早く切り上げ、自室に戻る。
「ふぅ!」
張り詰めた胸に穴を開ける勢いで口から息を吐き捨てた。きわめて不可解な「儀式」の参加を強いられることへの前途多難な不安が肩に降り積もっていた。
「降霊会」
誰が名付け親か知らないが、そんな軽薄な名称を与えて、不特定多数の参加を促す主催者の思考にワタシは嫌悪する他なかった。信じるに値しないオカルト話の尽くは、人間にとって都合の良い事情ばかり繕い、愚にもつかない問題を列挙し、あたかも真実であるかのように演出する。しかし、今回の「降霊会」は、此方の事情を鑑みない、きわめて危険な問題が付き纏っていて、相当な物好きでもない限り二の足を踏んで当然の内訳だ。複雑怪奇な感情が胸に渦巻き、ワタシは半ば「降霊」が実際に実現し得るものとして、咀嚼しかけていた。
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