不倫夫の復讐は宇宙人と共に

一時匣

第1話 告白

 純一の不倫を知ってしまったのは、偶然だった。

 偶然彼がいつものようにスマートフォンをテーブルに置いてお風呂に置いた時。通知で出てきた「今日も会えて嬉しかった。愛している」の言葉。「アイ」という名前。

 一瞬だけ液晶に浮かんで消えた文字だったが、それだけで聡い恵は悟ってしまった。

 夫、純一は不倫している。

 朝帰りだった今日は「接待」だと言っていた。でも接待じゃないのは通知で立証済みだ。裏付けるようにセックスも数年していない。恵は子どもが欲しかったが「俺みたいな安月給じゃ子どもに辛い思いをさせる」と言われ、諦めた。

 でも、そうじゃなかったら?

 単に子どもができたら不倫もできなくなる。

 結婚した26歳当時の恵は綺麗な女だった。けれど結婚後に純一が高圧的な夫であると知ってからストレスで肌が荒れ、気分も塞ぎ込むようになった。肌も爪もボロボロで、何もかもに無気力で、けれどそれじゃいけないと思い始めたのが小説を書くことだった。

 趣味で小説を書きながら、夫に言われパートに出て、働いて、家事をして、眠る。

 夫と睦み合う時間など殆どといってなかった。

 ベッドが別々で良かった。

 何度もそう思った。




「……というわけで、私、不倫されてるっぽいんだよね」


 恵はそう告白すると、昼間のファミレスに呼び出した幼馴染みの男の顔をうかがった。同学年、同じ36歳のくせに20代かと思うほど肌艶のよい美形だ。

 小さい頃はこの美形が「めぐちゃんと結婚する!」と阿呆のように騒ぎ回っていたのだから懐かしい。


 その阿呆のように騒ぎ回っていたクソガキ、四ツ辻命異(よつつじ・めいい)は、本当に不思議な男だった。美形というのもあるのだが、どこか浮世離れしていて、それでいつだって周囲の目をとことん引いた。


 本人は注目されることがどうでも良さそうだったが、小中高の学生時代、「めぐちゃん!」とキラキラした目で声をかけられるのは大変だった。その後、目立つ女子グループに嫌がらせをされたから。それが理由で命異から距離を置くようになった。

 今こうして何事もなかった顔をして会えるのは、お互いが本当にどうでもいいくらい歳をとってしまったからだ。


 命異は話をちゃんと聞いていたのか怪しい声音で、んー、と言いながらストローでオレンジジュースの中を攪拌する。カランカランと遊ぶ氷の音がした。


「それで?」

「それでって……あんた、ちゃんと話聞いてた?」

「聞いてたさ。それでめぐちゃんはどうしたいんだい? 慰謝料請求して離婚する? 泣いて跪いて謝っても許さないってくらい精神的に追い詰めて相手の人生ぶち壊してやる?」

「えっぐ。いや、でもあんたの言っていることには悪くないと思ってる自分もいるわ……」

「でしょ」


 にこっと人の良さそうな顔で笑うこの幼馴染みだが、実際のところ何を考えているのかさっぱり分からない。恵と疎遠になった時期、一度結婚したようだが一週間のスピード離婚をしたらしく、しかも相手は名家のご令嬢だったとか。

 しかも離婚の理由が「やっぱり彼女は俺の運命デスティニーじゃなかったから──」とか。

 阿呆か。

 でもその阿呆に縋る思いで相談している自分も阿呆なのかもしれない。


「それで、もう一度聞くけどめぐちゃんはどうしたいの?」

「どうしたいって……」

「人生で初めての離婚劇になるかもしれないんだよ? だったら派手にやらなきゃ」

「派手に」

「そう、派手に」

 

 何だか誘導尋問めいている感じがしたが、それが魔法の言葉のように恵の心を浮き立てた。確かに結婚してから十年、夫の言動に怯えるような日々を送ってきた。離婚も考えてきたことがある。まるで洞穴の中のような結婚生活だった。

 だったらここで派手に散って、第二の人生を踏み出すのもよかろう。


「そうね。派手に、は悪くないかも。ほらよくある不倫の復讐漫画ものみたいに、スカッとするやつがいいな。夫も不倫相手も成敗してやりたい」

「ほう」

「泣きながら縋ってきても蹴飛ばしたいくらい、派手に」

「なるほど」


 すると命異は急に黙り込んだと思うと、とんとん、と指で机をノックした。考える時のいつもの癖だ。学生時代から変わっていないんだな、と思うと少し心の中が安心した。変わらないものがあるのを見つけると、少し嬉しくなる。


「ねぇ、めぐちゃん」

「なに?」

「その復讐手伝ってもいいんだけど、ひとつだけ告白しておきたいことがあるんだ」

「告白しておきたいこと? なによ」


 恵が怪訝そうに眉を顰めれば、命異は改心の笑みを浮かべて告げた。


「僕ね、実はこの地球の生き物じゃないんだよね」


 所謂地球外生命体、と歌うように言う命異に、恵は目を丸くする。ファミレスで流れていたクラシックのBGMが遠のいていく。なにをいってるんだ、こいつ。

 けれど呆然とする恵をよそに、命異は恍惚とした表情で胸に手をあて、晴れ晴れとした声音で告白した。


「僕はウンチャカピャカチュラ星人。この地球から5億光年先にある惑星から来た、プリンスなんだ。ふふ、めぐちゃん。君だけだよ。地球人で個人的にこれを知っているのは」


 ウンチャカピャカチュラ星人。の、プリンス。王子?

 何を──言っているんだ。

 恵はとうとう目の前の幼馴染みが会わないうちに狂ってしまったかと思い、額に手をやって深々と溜め息をついた。


「ちょっと、冗談はやめて。冗談じゃないなら精神科にでも──」

「本当のことだよ」


 その声の鋭さにはっと顔を上げると、命異の右眼がぐるりと回って赤い眼球が姿を現した。その瞳孔は猛禽類のように鋭く、どう見ても人間のそれではなかった。

 だが、なぜか恵はそれを見ても恐怖を覚えなかった。

 ただ、納得した。


 あ、ほんとだ。

 ほんとうにこいつ、人間じゃないんだ、と。


「……マジだったんだ……」

「あはは、すんなり納得するのがめぐちゃんらしい。うんうん、僕はそういう聡い所が好きなんだよね」


 好き、と言われて少しだけドキリとするが、地球外生命体が発したものだと考えると何だか観察対象として「好ましい」と思われているように感じた。

 誤魔化すように恵はアイスコーヒーを啜って、それで、と話を進める。


「アンタが宇宙人なのは分かったけど、それがなんか関係あるの? 私の離婚問題と」

「あるさ。壮大な復讐劇に、宇宙人たちの手を借りれば良いんだから」

「は?」


 間の抜けた声が出たと思う。命異はくすくすと笑いながら言った。


「まぁとりあえずは話を聞いてよ。この地球と、僕たち《地球外生命体》のことを、さ」


 

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