あめあめふれふれ

黒詩ろくろ

第1話 僕のとうさん

「あめあめふれふれとうさんが」

「じゃのめでおむかえうれしいな」

『ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん!』



 雨の日は、僕の一番のお気に入りだ。とうさんがあめふりの歌を歌いながら、手を繋いで歩いてくれるから。

 いつもは自転車で後ろから見つめる背中が、僕の真横にある。「とうさん」と呼べば振り向いてくれる優しい顔がある。

 雨の日が好きだった。ずーっとずっと、雨の日が続けばいいと思っていた。

 続いていれば、きっと――あんなことには、なっていなかった。



 ぴちゃ、ぴちゃ、と僕の合羽から雫が滴った。

 ほんの少しだけいつもより遅かったお迎え。突如降り出した大雨に、僕だけ合羽と長靴、とうさんは剥き出しの黒いスーツ。

 朝から夜までずーっと雨の日ならこんなことにはならなかったのに。びっしょりと濡れていくとうさんの背中が、どことなく寂しそうに見えて。



「……ねぇ、とうさん」

「……んー?」


 だから僕は話しかけた。だから僕は、お願いした。

 ――あめふりのうた、歌って?



 とうさんは、快く応じてくれた。



 いつもは遠く感じる背中が、歌を聞いているだけで近く感じられた。僕は目を閉じ、リズムに合わせて身体を揺らしながら、とうさんと一緒になって歌った。

 合羽から滴る水の音が、僕の頭から離れない。

 いや――もしかしたら、なのかもしれない。僕はその日のことを、水の音以外、思い出せなくなってしまった。

 カラカラと空中を蹴る自転車の音も。

 近くに居たおばさんの悲鳴も。

 ――水たまりに広がる、鮮烈な色も。


 今はもう、何もかも思い出せない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る