梔子
八瀬女
第1話
「あなたは私のこと好きじゃなかったんでしょ?ただ自分を愛してくれる存在が欲しくて、結局誰でも良かったんだよ」
そんなわけがない。そう思って口に出そうとしたけど、声が出なかった。彼女を心から愛していたのか、彼女との将来について深く考えたことがあったのか、何もわからなくなって、振り返って去っていく彼女を止めることはできなかった。
家に帰ってとにかく考えた。愛してもらうために愛すのはダメなことなんだろうか。彼女は自分にとって誰よりも特別な存在だった。一緒にいて楽しかったし、自分には勿体無いくらい完璧な人だった。確実に好きな人だったが、それは友達に向ける好意と何か違いがあるんだろうか。どんな本にも歌にも書いていないし、偉そうな人の偉そうな言葉にも隠れていない。きっと自分で分からないと意味がないんだろうが、分からないことをどうすれば気づけるんだろうか。
自分は他人に悩みを言うのが苦手だ。そんな性格のせいで友達には相談が出来ない。単にプライドが高いだけなのかも知れないし、治したほうが良いんだろうが、どうにも治そうという気が起きない。もしかしたらこの先も一人で悩みを抱えて、一人で生きていくのかも知れない。たとえ彼女を愛していなかったとしても、失恋にあたるのだろうから散髪に行った。
「失恋ですか?」
いつも髪を切ってくれる森さんが聞いてきた。
「そうなんですよ。一昨日フラれたばかりで」
正直不躾な質問だなと思ったけど、一応答えておいた。
「これから色んな出会いがありますから、切り替えていきましょう」
随分と無責任なことを言う。けれど確かに一理ある。残り何十年の人生で良い人は何人かは居るだろう。
「森さんは結婚してるんですよね?結婚生活ってどんな感じなんですか」
「自分は結構満足してますよ。お金はやっぱりかかりますけど、子どもと奥さんと暮らすっていうのは幸せですよ」
子どもか。自分には想像もしていなかった存在だった。でも一緒に暮らして楽しいなら、子どもを作るのも良いのかもしれない。
「またお越しください」
家に帰る途中、おそらく高校生のカップルがいた。
「昨日の動物園楽しかったね」
「次はどこに行く?」
そんな話がたまたま聞こえてきた。彼らは大学生になった後も付き合っているのだろうか。いや、もしかしたら数ヶ月後には別れてしまっているかもしれない。そんな悲しいことになるくらいなら、誰も愛することが無ければ良い。もしくは、一人だけしか愛せないようになれば誰も悲しくなることはないのかも知れない。自分たちの人生が死ぬためにあるように、恋というのも畢竟別れるためにあるのだろうか。
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