第10話 黒龍の涙。

智の朝は 早かった。

薄っすらと夜が 明ける前には いつも 布団から出ていた。


昨日の夜 出会った不思議な青年達は まだ 寝ているようだ。

少しでも ゆっくり休めているなら 智も 安心が 出来る。

彼らが 起きて来ないことが 智には 良い合図に思えた。


香奈も 起きて来ないところを見ると まだ 寝ているのだろう。

昨日の夜 いきなり 空中から 青年達が現れたのだ。動揺していた香奈も さすがに 疲れているだろうと 智は 思った。

智も 疲れていないわけでは ないが 何より 神社の仕事をすることが 好きだった。

いつも どれだけ 疲れが残っていても 智は 朝になれば 自然と神社へ 足を運ぶ習慣が 身に付いていた。

黙々と仕事を こなして行くと 寝起きのぼーっとした頭も 逆に スッキリと冴えてくる。 


智は 素早く 朝の身支度を終え 神社に向かった。

智が 仕えている神社は 小さいながらも 本殿と拝殿があった。智は 神様のいらっしゃる本殿を 1番最初に 掃除をする。昨日の夜 護摩木を 焚いていたのは この本殿だった。

神様に 見守られながら 護摩木を焚けば 業の強い護摩木が 少しでも 浄化されるかもしれないと言う智なりの配慮だった。


杓皿に残っていた灰を捨て 杓皿を元の棚に収めて 折り畳み式の座卓の脚を折り畳み 座布団を片付け 定位置に戻した。

智は 文机を見て 昨日転がって来た 黒曜石をどうするか 悩んだけれど 文鎮の代わりに 使うことにした。

軽くはたきを かけてから 掃除機をかけた。智は バケツに 水を入れ 綺麗な雑巾に水を含ませ 固く絞った。畳の目に沿い 雑巾で 畳を拭いて行った。

拝殿も 同じように はたきをかけ 掃除機をかけてから 雑巾で拭いて行った。


智は 賽銭箱も 雑巾で 綺麗に 拭きあげた。

本坪鈴の鈴緒も 手の届くところまで拭き 念のため 昨今では 除菌スプレーも かけるようにしている。


それが 終わると 階段の1番上部分に 鎮座している狛龍を 磨き上げた。

この神社は 一般的な狛犬ではなく 狛龍が 守っていた。

階段上の狛龍は 御影石だろうと 先代は 言っていた。


狛龍を 磨き終えると 智は 静かに 階段を降りて 外回りの掃除をした。

参道の草抜きは もちろん 小さな樹木なら 選定もする。蜘蛛の巣を 取る時もある。

何年かに1度は 大きな樹木の剪定は 専門の職人に頼んでやってもらっている。

社の簡単な修繕なら 智自ら 修繕する。神主と言うより 何でも屋のような 気がする時もある。


とにもかくにも 神社の1番の仕事は 綺麗に掃除をすることだ。

それほどに 智は この神社の仕事が 好きだった。


参拝者が 気持ち良くお参りが出来るように 智は いつも周りを見渡す癖が 付いていた。

本殿と拝殿は 特に気を付けて 汚れたところはないか 再確認する。

小さな手水舎も 葉っぱなど 浮いていないか 確認して 汚れた箇所があれば 気持ちよく 手と口を清められるように 気を付けて掃除していた。


その後 黒く塗られている神門を 専用の大きなはたきで 掃除しながら 壊れている箇所はないか 釘が出て来てしまったりしていないか チェックをする。

参道から 鳥居まで 逆方向に 竹箒で掃いて 掃除をして行く。落ち葉の多い季節は 大仕事になる。


坂道を 少し下り 鳥居の前にも 鎮座している狛龍を いつも最後に 乾いた綺麗な布で 磨き上げる。

こちらの狛龍は 階段上の狛龍と違い 真っ黒な黒曜石で 作られていた。

毎日 綺麗に磨いているので 狛龍は 黒々と光り輝いていた。智の1番の自慢が この狛龍だった。

智が この狛龍のお世話をしたくて 神社に仕えたいと 何年もかけて 先代に 頼み込んだのだ。


廃神社に なりかけていた神社を 自らバイトをして お金を貯め 先代に教えを請い 自分で 出来る部分は 可能な限り 修復して行った。

ホームセンターでは すっかり常連客に なってしまった。

自分で 出来ない部分は 専門職の人に 直してもらった。

智は それほど この入口の狛龍に 入れ込んでいた。


この神社は 真っ黒に輝く狛龍が 鳥居の前で 入口を 守って下さっていた。

人目を 避けるように 山の中腹に ひっそりと建てられている 知る人ぞ知る 珍しい神社なのだ。

もちろん 出版社からも ガイドブックに載せたいと 何度も 打診を受けたが 智は 断り続けていた。

先代が 守り続けて来たことを 智も 守りたいと思っていたからだ。


狛龍は いつも神々しい黒さで 参拝者を迎え入れる。参拝者の中には 狛龍を怖いとさえ 感じる人もいるようだ。

狛龍が 睨みを利かせているのも 悪いものが 入って来ないようにだろうと 智は 思っていた。

それ故に 怖いと感じる人も いるのだろう。


毎日 参拝してくれる地元の人々もいれば 遠くから 来ているのか 定期的に 参拝に来てくれる人々もいる。

智は 人の顔を覚えるのが 得意なため 年に数回だけ 訪れてくれる人の顔も 覚えている。

智は すれ違うことがあれば 参拝者には 軽く会釈だけするようにしている。

参拝者は 智ではなく 神様に 話しかけに来ているので 智からは あえて話しかけないように 気を付けていた。


この神社に 呼ばれて来る人 探しても たどり着けない人 偶然 見かけて参拝してくれる人 様々な人々が 色んな理由で 訪れて来る。

例え 一期一会だったとしても 智は ここを 訪れる人は 皆 それぞれに意味があって ここに 来ているのだろうと感じていた。

だからこそ 智は この神社を 廃神社に したくなかった。


智が 1番最後に この狛龍を 磨き上げるのは 参拝者が 1番最初に 出会うのが この狛龍だからだった。

ほんの少しでも 長く神聖な状態を 保つために 1番最後に 掃除しているのだ。


智は 掃除が 全て終わると 狛龍と鳥居の前に立ち 深々と一礼をして 誰に言うでもなく「今日も1日 よろしくお願い致します。」と お辞儀をして 神社に入って行く。

毎日 この神社の1番最初の参拝者は 誰でもない智なのだ。


その時 鳥居の横に植えられている御神木の大きな杉の木から 夜露なのか 小さな雫が垂れて来て 右の狛龍の上に落ち 雫が 狛龍の顔を伝った。

智には まるで 狛龍が泣いているかのように 見えた。

「そうだったのですね……。随分と長い時間 待っていらっしゃったんですね。」智は 小さな声で言いながら そっと涙を拭うように 狛龍の顔を 拭いた。

「大丈夫ですよ。彼らのことは 何が起こっても 私が守ります。」今度は はっきりとした声で 智は 言った。


そして 智は もう1度 深々とお辞儀をして 颯爽と神社の中に 入って行った。


智が 神社の掃除を終えて 住処に戻ると 香奈は すでに起きていて 台所で 朝ご飯を作っていた。

「おはよう。お兄ちゃん。ご飯 もう出来るよ。」香奈は 振り返って言った。

「おはよう。ありがとう。手を 洗ってくるよ。」智は 手を洗い 戻って来た。


「お客様は 起こす?」香奈は お味噌汁を お椀によそいながら 聞いた。

「もう 起きて来ると思うよ。」と言う智の返事に 重なるように「おはようございます。」と声が 聞こえた。

白髪の青年は シャキッとしているが 黒髪の青年は まだ眠そうに 欠伸をしながら 台所に入って来た。


「おはようございます。よく眠れましたか?」智は 聞いた。

白髪の青年が「おかげさまで ありがとうございました。」と 答えた。

「こちらへ どうぞ。」と 2人に座るように 智は 誘った。


「残り物で すみません。」香奈は 切り干し大根の煮物 ほうれん草のおひたし ほかほかのご飯 暖かいお味噌汁に お漬物を 2人の前に並べた。

「これは 美味しそうだ!」黒髪の青年は 無邪気に 嬉しそうな声を 出した。

白髪の青年は 少しびっくりした顔で「いえいえ とんでもない。ちゃんと1汁2菜で 本当に美味しそうです。2人共 お若いのに しっかりされているんですね。」と 微笑んだ。


久しぶりの4人の食卓は 智は 賑やかで嬉しかった。

食べ終わった後 香奈は 4人分のお茶を淹れた。


「それで お2人は 何か 思い出されましたか?」智が 話を切り出した。

黒髪の青年は 何も言わず 左右に 首を振った。

「何も……。昨日は あの後 すぐ寝てしまいましたし……。」白髪の青年も 申し訳なさそうに答えた。

「わかりました。あの後 色々文献を見てみたのですが 多分 お2人は 黄泉の国から いらっしゃったんだと思います。」智は 言った。


香奈は びっくりしながらも やはり……と言う顔をしていた。

黒髪の青年は「黄泉の……国……?」思い当たるふしがないか 何かを思い出そうとしていた。

白髪の青年は「そうですか……。」と言いつつ 目を伏せた。


「実は 昨日の夜 焚いていた護摩木は 業の強い護摩木です。」智は 2人の顔を 見ながら 言った。

「ここからは あくまでも 私の推測になります。話が 長くなってしまいますが……よろしいですか?」智は 一旦 話すのを止め 2人の様子を伺った。

2人共 顔を上げて頷き「是非 聞かせてくれ。」黒髪の青年が 答えた。


「業の強い護摩木が なんらかの干渉を起こして 黄泉の国と 繋がったのではないかと 思っております。お2人が おっしゃっていた炎の池と 杓皿が 黒煙に因って繋がってしまい こちらに 来られたのではないかと思いました。」智は 1度話を切って 2人を見た。

「後で ゆっくりお見せ致しますが うちの神社を 守っているのは 黒曜石で 出来ている狛龍です。言い伝えでは 黒龍だと言われております。黒龍が故に 黄泉のものとも 繋がり易いため 細心の注意を払うよう先代より 言われて参りました。私の不注意で こちらに誘うようになってしまったことを 大変申し訳なく 思っております。」智は 深々と頭を下げた。


「俺達は 逆に助かったんだから 礼を言うのは こっちだ。謝らないでくれ。」黒髪の青年は 少し怒った口調になった。

「頭を お上げ下さい。」白髪の青年が 静かに言った後「貴方の行為で ここに来たのだとしても 僕達は あそこから 出ることが 出来ました。それは とてもありがたいことです。」と 続けて言った。


「それと もうひとつ 気になることが あるんです……。ここは 神社ですので 黄泉の国ものは 入れたとしても 長くは 滞在出来ません。穢れたものは 浄化されるか ここから 逃げることしか出来ません。仮に お2人が 黄泉の国ものだとしても この神社に 長く滞在するのは 不可能です。でも 今ここで ちゃんと 存在されていらっしゃいます。そうなると お2人は 黄泉の国ものでは ありません。」智は そう言い 2人を見た。


2人は 顔を 見合わせて「そう言われても……俺達 自分達か 誰かわからないからな。」黒髪の青年は 照れくさそうに 頭を掻いた。

「僕達は 自分達が 何者かと言うこと以外は 覚えています。先程の護摩木も見ただけで 護摩木と認識していましたし……それで 自分自身 少し戸惑っているところもあるのですが……。」白髪の青年は 苦笑いした。


「黄泉の国から 来たと言う割には お2人の佇まいが 相反するので 私も 少々戸惑うと言うか どう解釈すればいいのか……とても 困っています……。」智も 苦笑いをして 困った顔をして「後は お2人が ご自身が 誰かわからないと言う解釈で よろしいでしょうか?」と 智は聞いた。

「そうだ。」黒髪の青年は 頷いた。

「わかりました。承知致しました。」智は 微笑みながら 答えた。


「どこか 行きたい場所とか どこかに 行かれる予定は ありますか?」智は ゆっくり 2人を見ながら 聞いた。

「うーーーん。そう言われてもな。予定……予定……予定か?今のところ あいつを探す以外の予定は ないな。」黒髪の青年は 豪快に ははははと笑った。

「確かに。あそこから 出る以外 何も決めてなかったですね。」白髪の青年も クスクス笑った。


「好きなだけ ここにいて下さって 構いませんよ。もし 行きたいところがあれば 私か香奈が 案内します。」智は にっこり微笑んだ。

「それは 助かる。」間髪を入れずに 黒髪の青年は 答えた。

「よろしいのですか?」白髪の青年は 聞いた。


「私達は お2人が いて下さるのは 嬉しい限りです。」智は 微笑みながら 頷いた。

「香奈も 嬉しいよ。それに お兄ちゃんは 神社の仕事で 忙しいでしょ?案内とかは 香奈がするよ!」香奈も 嬉しそうに言った。


「では 差し当たって ここの神社を ゆっくり見せて頂いても よろしいですか?」白髪の青年は 聞いた。

「香奈 案内するよ。」香奈は 嬉しそうに言った。

「俺も 狛龍を見たいし 神社を見てから これからどうするか 考えるか。」黒髪の青年は すこし考えながら 言った。

「香奈 案内を お願いしてもいいか?私は ここの片付けを しておくよ。」智は 香奈に微笑んだ。


「朝ご飯 ごちそうさまでした。」白髪の青年は 頭を下げた。

「美味かった。ありがとう。」黒髪の青年は 笑った。

「お兄ちゃん 片付けありがとう!行って来るね。」香奈は 3人で 連れ立って 出て行った。


香奈が 作った4人分の朝ご飯は 智と香奈の分は 綺麗に無くなっている。

残りの2人分の朝ご飯は 昨日の夜のお茶と同様で 水分が少し減っているぐらいで ほぼ綺麗に 残っていて 手も 付けられていない。


智は 微笑みながら「お昼ご飯にでも するかな……。」と 呟いた。


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