一失

 AIトレーナーの仕事を始めてから斜め読みをしなくなった。

 隅から隅まで読んだ後にもう一度初めに戻って読み直すくらいには念を入れるようになった。それは安全性チェックでも、正確性チェックでもそうだ。大事な情報がハイライトされていることなどほぼない。太字にもなっていないしフォントが他と違っているわけでもない。見落としてはいけない情報は何でもない顔をして当たり前のように、些末な言葉とともに並んでいる。


 AIの不正確な回答を見逃してしまったからといって、それでサービスが中断することはない。AIが人間のふりをしているのを見過ごしてしまったとしても、それだけで誰かが不幸になるということはない。しかし、大きな歪みが生まれるきっかけになるということもある。あるいは、たった1つの小さな見落としのつもりが、実は大きなチャンスまでも逃すことになるとか。

 例えば、トレーナーが不足しているので一緒に働かないかと以前のエピソードに書いた。エピソードでは軽く書いたが、実は毎週のように「働き手を連れてこい」と催促されている。自身のSNSでも詳しい採用情報が載ったURLをポストしているが、大体が自分にとって都合のいい情報しか拾っていないようで、今のところ誰一人としてスクリーニングテストを受けるには至っていない。軽く書いた例のエピソードでさえ最初から最後まできちんと読めば、日本語が母語であることはエントリーするための必要条件でしかないことが分かるはずなのだが。

 それに、無事に採用されたとしてもプロジェクトに参加するためにはやや複雑な手順を踏む必要がある。1つでも手順と違うことをすればプロジェクトへの参加はできない。そのせいで長い間稼働できていないというトレーナーも多い。

 何が大事な情報なのか、それを掴み取るためにも一文字ずつ丁寧に読むに越したことはない。


 AIの回答もそうだ。

 ホテルやフライト情報を記載している回答は、まず最初にスニペットと言うものが提示される。スニペットというのはウェブページの概要情報のことだ。試しに、某G社の検索エンジンで『ホテル』と検索してみてほしい。すると結果の上の方にサムネイル画像のような小さなホテルの写真とともにホテル名や金額やホテルの簡単な紹介が表示されるはずだ。それをスニペットという。

 AI回答でもこのスニペットが表示される。その場合、スニペットの下に文章での説明が記載される。スニペットと文章の内容は同じであるため、ほとんどのユーザーは文章を読んでいない。スニペットの方には画像もあるため、より目を引きやすいのは仕方がない。

 しかし、文章の方にも注意してほしい。稀にスニペットには載っていないことを書いていたりする。そしてそれが大事な情報であることも少なくない。


『御殿山駅から大学まで徒歩で行きたい。道順を教えてください』

 という質問があった。


 AIは某G社のマップを含むスニペットをまず提示し、その下に道順を文章で説明していた。マップではすでにルートを青い線で示しているので文章での説明は不要であると思われた。ところが、ファクトチェックを始めるとマップとは全然別の道順を説明していることが判明した。

 マップ上はおそらく最短ルートを示しているのだが、文章の方は大きく迂回するよう指示していた。マップをよく見ると2つキャンパスがある。マップとテキスト、それぞれ別のキャンパスへの道順だろうかと思ったがそうではない。どちらも目的地は同じキャンパスだった。これはマップ通りに説明していないとして、正確性の評価を下げた。

 次は一泊10000円以下の某所にあるホテルをリストアップしてほしいという質問だった。通常通り5つスニペットを貼って、下に文章でそれぞれのホテルの説明をしていた。

 が、「10000円以下で快適に滞在できるホテルは以下の通りです」という文章から始まっているそれは、4件のホテルの説明しか記述していなかった。スニペットは確かに5件分ある。時々スニペットにはすでに閉業した店舗が混ざっていることもあるため、除外されたホテルを検索してみる。すると、現在も営業中のホテルだった。


 理由が分からないまま画面をスクロールしていくと、『【心霊ホテル】ずっと部屋の中で足音がする…俺一人なんだが【怪奇現象】』というページが目に留まった。クリックするとホテル滞在中に起きた心霊現象のことが書かれていた。色々なホテルの名前が挙がっていた中に、AIに除外されたホテルの名前もあった。

 改めて『ホテル〇〇 心霊』と検索すると数多くの体験談がヒットした。単なる噂かもしれないが、とあるブログには昔そのホテルでは死体遺棄事件があったとも書かれていた。


 確かに、一晩中見えない誰かの足音が聞こえるならに滞在するのは難しい。ユーザーにとっては役に立つかもしれないが、回答だけを見るとスニペットの情報とテキストが完全に一致していない、いわゆるエラー表示の部類である。低評価をつけて提出した。

 また「涼しいサイクリングコース」を提案していた別の回答でもやはり、スニペットのマップ画像とテキストでは矛盾があった。その場所は大きなダム湖で、マップ上ではその周りをぐるっと囲むようにルートが表示されていたのだが、文章ではダム付近を避けるような指示をしていたのだ。指示通りにマップ上に線を引いたら、アルファベットのCを反転したような形になるだろう。

 調べてみると、案の定そこも心霊現象発生場所であるという結果が出てきた。とすると、これはAIの配慮である可能性が高い。前述の駅から大学までのルート上にも、ユーザーに害をなす何かがあったのだろう。


 その意図はいつも分かりにくい。ぜひ一語一句大事に読んでほしい。


 何か見落としてはいないだろうか。


 もし違和感を覚えた箇所があれば戻って腑に落ちるまで何度も読んでみることをお勧めする。

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