第20話 提案
ただ、お酒を飲むだけ。
上椙さんの指定したお店は、駅西と呼ばれる界隈に最近出来たところで、気取った感じというほどではないけれど、内装もおしゃれで人気のお店のようだった。
入り口に立っていると、ちょうど中から出て来たスタッフの人に声をかけられた。
「ご予約されてますか?」
予約……しているんだろうか?
「上椙で予約がありますか?」
スタッフの人はタブレットで確認すると、「予約いただいてます。どうぞ」と言って席に案内してくれた。
上椙さんがいつ来るかもわからなかったので、ドリンクのメニューを眺めて時間をつぶすことにした。
上椙さんの言っていた通り、ビールの種類が豊富で、随分前にどこかで飲んで以来、もう一度飲みたいと思っていたリンデマンス・ストロベリーがあるのを見つけて、最初に注文しようと決めた。
メニューを見ているだけだったのに、何だか楽しくなってきた。
わたしがお店に入ってから15分くらいして、上椙さんがやって来た。
こんなに早く来れるなんて一体どんな魔法を使ったんだろう。
「ごめん、遅くなって。これでも急いで来たんだけど」
そう言いながら、真剣にメニューを見ているわたしに気が付いて笑った。
「やっぱり、フレーバービールを気にいると思った。前に言ってたの覚えてたから」
「ありがとう。来て良かった」
会社の外では敬語を使わないルール。
まだ慣れなくて、一言一言に緊張してしまう。
「まずは飲もう。何飲む?」
「リンデマンス・ストロベリー」
上椙さんに持っていたタブレットを渡すと、すぐに飲み物を注文していた。
「嫌いなものなかったよね? 料理、適当でいい?」
「お願いします」
嫌いなものがないなんて話したことあった?
間違ってはいないけれど。
「つぶれてもいいよ。ちゃんと送って行く」
「そんなに飲むつもりないから」
そう言いながらも、次に何を飲むかは既に決めていた。
「館山さん、お酒好きだよね。ひとりで飲みに行くこと多かったりする?」
「多いってほどでは。たまに行くくらい」
そう言えば……
お酒が好きだって言ったことあった?
「誘ってよ」
「でも彼女に悪いから」
「彼女?」
「彼女がいる、って前に言ってたよね? 来ておいて言うのはおかしいんだけど、ふたりだけっていうのは良くないと思う。理解のある彼女でもいい気はしないと思うから」
「ああ、あれかぁ」
その続きを聞く前に、飲み物が運ばれてきて話が中断した。
「お疲れ!」
「お疲れ様です」
「やっぱ仕事の後のビールは美味しい」
頼んだ料理も運ばれてきた。
黒いプレートにポテトサラダが円柱状に盛ってあり、周りが生ハムで巻かれている。
「食べ方に悩んじゃう盛り付けだけど、きれい」
「写真とか撮らないの?」
「撮らない。そういうのはやらないから。もったいないけど崩すね。上椙さんの彼女は撮ったりする?」
まるで自分に言い聞かせるかのように、上椙さんの彼女の存在を言葉にしながら、きれいに盛り付けてあるポテトサラダを崩して、お皿に取り分けた。
せっかくきれいなものをこんなふうに崩さないといけないなんて、残念だと思いながら。
「館山さんは、彼氏いる?」
「いません」
「即答だね」
短いやり取りの間にも料理がどんどん運ばれてきた。
一皿一皿、盛り付けがきれいだった。
周りの女性客から「かわいい」という声と、スマホのシャッター音があちこちから聞こえてくる。
「僕が入社してすぐにあった歓迎会で言ってたよね? 『彼氏なんていらない』って」
「覚えてないけど、言ったかもしれません」
口に出して言ったかどうかは記憶になかった。でも、「彼氏はいらない」と思っているのは事実だった。
「彼女なんて最初からいないよ。いろいろめんどうだったから、彼女がいるって嘘をついていただけ」
「嘘」という言葉に自分が身構えるのがわかった。
「館山さん、今も誰かと付き合う気ないの? 立候補したいんだけど」
「まさか、わたしのバッテンって……」
思わず口に出てしまった。
それを聞いて上椙さんが笑った。
「あれ、女子社員には内緒って聞いてたのに。誰が言った?」
「答えて」
「僕だよ。僕がつけた。意味も聞いた?」
「どうしてわたしなんか……」
「僕はあと2ヶ月したら契約期間が終わる」
「契約社員だったの? 上椙さんだったら社員になるのも簡単だと思うけど? 希望すれば期間だって延長されるに決まってる」
「興味を持ってもらえてて嬉しいけど、延長はしない。最初から1年だけという約束だったから。今日、強引に誘ったのはそういう理由。チャンスをくれない? 3日だけ恋人として過ごそう。それでも気持ちが変わらなかったら、あきらめる」
言ってることは突拍子もないのに、真剣な顔。
「……そんなことできない」
「何に縛られてるのか知らないけど、もういいんじゃない?」
『ずっと今のままでいいんですか』
上椙さんの言葉に、かっちゃんの言葉が重なる。
「僕は、あと2ヶ月したら、館山さんの前からいなくなるんだから」
わたしだって、ずっとこのままでいいとは思ってない。
でも……
「OKってことでいいね」
「まだ何も言ってない」
「もう時間切れ。反論は聞かない」
優しい目をして、上椙さんは微笑んだ。
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