定年後やる事もやる気も無くなった暇な前期高齢者の日記

かりんとう

第1話 2024年のトラック野郎 (2024/5/13)

昨日、日本映画専門チャンネルで1975年の映画『トラック野郎・御意見無用』を観た。映画公開当時はまだ小学生で、この映画は知っていたが観たことはない。それがいつの頃からか、この映画になんとなく興味を持ってたので、飛びついて観た。


なんでこの映画にそんなに興味を持ってたのか。なんの裏付けもない勝手な想像だが、物流の主役がそれまでの海上輸送から、70年代頃に陸上輸送にシフトし、トラックがにわかに注目されだした影響で、以前は船員(マドロス)が、映画や演歌によく登場してたのが、それがトラック運転手に変わったんじゃないか、と思って興味を持っていたからだ。


また、前後して公開された(と記憶する)、米サム・ペキンパー監督の有名なトラック映画『コンボイ』と、なにか関係あるのでは?とこれも勝手に想像し興味があったからだ。


さらに、この映画と別に、ここ最近昔の仁侠映画をよく見ているのだが、そこでも数々出演している仁侠映画の代表的俳優の一人である菅原文太が、仁侠映画のあとに長年主演したのが、この「トラック野郎」シリーズということも、え?なぜ仁侠からトラックに?という感じで、それも興味があった。


で、映画を観た。面白かったが、気づいたことがいろいろある。

まず、この映画には、トラックはバンバン出てくるが、荷物を運ぶシーンは全く出てこない。荷物を運ぶ物流トラックのはずなのに、そういう荷揚げ・荷下ろしや、「時間通りに荷物を運ぶんだ!」的な、お仕事シーンは全くでてこない。もしかして、ここで出てくるトラックは皆自家用車で、トラック運転手たちはそれを趣味で全国を長距離ドライブしている奴らばかりなんだろうか?と一瞬思ってしまうほど。いろいろな分野で「お仕事映画」全盛の昨今からみると、これはちょっとした驚き。


これは仁侠映画と同じなのではと、ふと思った。仁侠映画でもヤクザの経済面(クスリ売ったり、シノギのあれこれ)のダークなシーンはあんまり描かれず、主にヤクザ間の闘争とか、人間関係が物語の中心だと思うが、それと同じなのかも。

哲学や思想の方面で、よく社会を2層に分け、上層(人々のいろんな活動)とそれを支える下層(経済活動)に分け論じるものを見かけるが、仁侠映画やこのトラック映画も、下層よりも上層の人間関係が主に描かれるという構図なのかも。


昨日見た日本映画専門チャンネルの解説者の方も言っていたが、とにかくこの映画は登場人物がみな汗だらけで、人間同士の熱いぶつかり合いが描かれる。


70年代ごろまでは、このような熱い人間どおしの関係が物語の中心だったと思うけど、いつの頃からか、お仕事映画やお仕事SFなど、関心の比重が「仕事」に映っていったように思える。だとしたらそれは何故なのか。これはまた別途考えてみたい。


タイトルに「2024年のトラック野郎」と付けたのは、「お仕事」とも関係するが、現在の物流2024年問題(人手不足や物流の労働環境の改善で、物流がひっ迫する)と、トラック野郎を絡めてなんか書こうと思ったからなんだけど、まあこの映画はお仕事云々より、仁侠映画と同じ「熱い人間関係」の映画だったから、物流問題云々とは全然文脈違うよなー、って思ったので、これもまたいつか、気が向いたら考えることにしよう。

というか、トラック野郎を、もし今映画続編を作るとすると、さすがに物流2024年問題は避けて通れないだろうから、今続編作ったらどんな映画になるかなー、と想像するのは、(不謹慎だけど)ちょっと楽しいって感じはする。














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