受け取ってもらえるよね?
文月は“ガトーショコラ”を作るつもりでいたらしい。だが、もふもふさんに却下された。
『生焼けにしそう』
過去のバレンタインでもふもふさんが女の子からプレゼントを受け取ったときの経験談である。環菜の「おねえならやりそう」の一言にも後押しされて、姉妹は“クッキー”を焼くことになった。クッキーなら、昨年の環菜が母親とふたりで作っている。今年は姉妹プラスもふもふさんで台所に立った。
「こんなにバターを入れるの!?」
「去年と同じよ?」
「そうなの?」
「おねえ、ばくばく食べていたよね」
「う、うん……」
生地を作って寝かせているあいだに、それぞれの手紙の文面を考える。文月は貴虎宛の、環菜はかのしぃ宛のものを。ふたりともさんざん悩んで、半分はもふもふさんの知恵を借りて、思い思いの文章を書き連ねた。それからクッキーをオーブンに入れて、参考にしたレシピと同じ時間だけ焼く。
「お。甘いにおいがするなぁ」
焼き上がりのタイミングで鏡家の大黒柱である父親が帰宅した。文月と環菜は、お互いに必要な数を改めて確認し、ふたりで分け合うぶんを差し引いてさらに余ったぶんを父親に渡す。
『多めに作っておいてよかった』
娘たちの声を代弁したものである。このもふもふさんの声は父親には聞こえない。ふたりとも口には出さずに、もふもふさんの言葉に静かにうなずいた。
クッキーを十分に冷ましてからラッピングして、翌日。母親が用意してくれた手提げの紙袋に入れて、いざ、登校である。
『貴虎宛の手紙も持ったよな?』
「うん。ばっちり」
出る前にチェックしておかないと、文月の性格上、家に置き忘れたをやってしまいそうだ。もふもふさんに呼び止められて、今一度、手提げの紙袋の中を見る。響子主催のチョコ交換会用と、バッグインバッグで一回り小さな紙袋に貴虎へのプレゼント用のクッキーと手紙が入っていた。
『読み上げる? 持ち帰ってから読んで、で渡す?』
「どうだろう。どちらがいい?」
『どちらでも。文月がそちらのほうがいいと思ったほうでいい』
「なら、もふもふさんが手紙をもらうとしたら、どちらが嬉しい?」
『そうくるか。オレと貴虎とでは受け取り方が違う』
「そうかな?」
『アイツは一度も女の子からチョコをもらったことがないと思うから』
「そうかな……?」
これまでのバレンタインを振り返る。クラスの雰囲気に乗じて、貴虎から「鏡は持ってきていない?」と聞かれた
「桐生くん、学校では有名で、クラス委員長だから、わたしの知らないところで誰かからもらっているんじゃないかなあ?」
『本気でそう思っている?』
「わからない。今のはわたしの想像ね。桐生くんから直接聞いたわけじゃないよ」
『そうかそうか。邪魔してくるヤツはもうさすがにいないだろうから、安心して渡してきなさい』
もふもふさんの言う“邪魔してくるヤツ”は、この間のフリースロー対決の相手のような存在を指している。貴虎と文月の関係を理解せず、勝ち目のない戦いを挑んでくるような存在。
「邪魔してくるヤツ?」
『いいよこちらの話だから。説明していたら、遅刻するぞ』
「あっ! やばっ! いってきます!」
『いってらっしゃい』
*
チョコ交換会は給食後の昼休みの時間に開催された。響子を中心にして、隣のクラスの
「ひかりちゃんのチョコ!」
「何か不満?」
「えっ、いや、ひかりちゃん、毎日陸上の練習があるのにって……」
「嫌味?」
「違うよお。忙しくても準備できていてすごいなあ、っていう意味だってば」
文月はひかりからにらまれて萎縮した。100メートル走の件は根に持たれている。とはいえ、運動会前に比べれば、こうして会話できるようになっただけでも大進歩だ。ひかりも口ぶりほどは怒っていない。
「うんうん。毎年練習が終わってから、走って帰って作っているんだものね。すごいわほんと。この、未来のオリンピック選手のチョコ、おいしくいただきます!」
響子が間に入って、ひかりを拝んだ。ひかりが私立の中学校に進学してしまうため、教室でのチョコ交換会は今回が最後の参加になる。
「待てよ。コレ、食べずにとっておいたほうがいいかな。金メダリストの手作りチョコレートなんて、ちょっとしたお宝よね」
「そうかも?」
「食べなさいよ! 絶対に食べなさいよ!?」
*
そして迎える放課後。ランドセルを背負い家へ帰ろうとする貴虎を引き止めて、左手首をがっちりつかんで校舎裏まで引っ張る。
「よし!」
「よし?」
先客はいなかった。文月は貴虎を所定の位置に立たせて、大股一歩ぶんぐらいの距離を取って向き合う。
「あの、桐生くん」
「お、おう」
「桐生くんにあげるチョコは、ここにあります」
ここ、と手提げの紙袋を叩く。貴虎がチョコ交換会をうらやましそうに眺めていたのには気付いていた。
「チョコじゃなくてクッキーだけどね」
「ありがとう! 嬉しいぜ!」
「あとっ!」
さっそく受け取ろうとして手を伸ばしてくる貴虎を、文月は手をパーにして制止する。貴虎が止まったのを見てから、そのパーにした手を手提げの紙袋に突っ込んで、手紙をつまみ上げた。
「桐生くん宛の手紙があるの」
「えっと……それって……もしかして……」
文月からは見えないが貴虎からは見える位置に、野次馬が集まっている。貴虎が目を合わせると、さっと隠れた。
「ここでこの手紙を読み上げてもいい。桐生くんがおうちに帰ってから読んでもいい。桐生くんは、どちらがいいかな?」
貴虎に判断してもらう。文月は授業中に考えて、最終的にこの結論に落ち着いた。
「おれは」
ラブレターだと思い込んでいる。しかし、文月がつづった内容は愛の告白ではない。もふもふさんと環菜は幾度となく方向性を変えようと試みたが、文月は日頃の感謝に加えて『中学校に上がってからも仲良くしてね』で文章を終えていた。
「――帰ってからにする」
「うん!」
貴虎の返答を聞いて、文月は手紙を手提げの紙袋の中に戻す。内容を聞いてからの反応を見たい気持ちはあるものの、明日聞けばいいか、と思い直した。
「こらー! 散れ散れー!」
「えっ? ええっ?」
「鏡、うしろうしろ。みんな見に来ていたぜ」
「わあ。気付かなかったなあ」
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