ふみちか

水乃戸あみ

とある夏の午前中、友人の家で。

「読んでくれたんだ?」

 千香が部屋の真ん中、小さなテーブルの上に置かれている本を差した。富美は眺めていたスマートフォンからおもむろに目線を上げると千香を見、そして置かれている本を見、言う。

「積ん読してる」

「友人の本を積ん読しないで……」

 目線はスマートフォンに戻っている。その手指の動きからブラウザかSNSでも眺めているのか。千香は目線を外すと、富美の部屋を見渡した。

 2DKのアパート。

 今どき珍しい純和室の二間続きの部屋。そのせいか、駅から遠いせいか、……恐らくその両方だろうが……、やけに空き室が多い。割と頻繁に遊びに来る千香であるが、他の住人に出会ったことさえなければ、気配すら感じたこともない。駐車場に車はあるのに。ちなみに富美は自転車。

 生活空間であるそこ。その向こう、せんべい布団が敷かれているあちらの部屋も、周囲には乱雑に本が積まれていた。所狭しという言葉が似合うそんな状態。その脇々に富美が春夏秋冬好んで着る(らしい)黒のワンピースや、似たようなひらひらの黒い服が丸めて着捨てられており、この夏から続く友人の性格を表しているようだった。溜息を付きつつも、この部屋に来る度、呆れより安心してしまう。そんな自分に気付く。

 肌を擦った。八月の半ばだというのに、どうしてこの部屋はこんなに肌寒いのだろうか。

「閉める?」

「ううん」

 いつの間にか富美が窓辺に立っていた。音もない。生活臭はこんなにするのに――首を逸らし、シンクに溢れている皿器類を見やる――この子の幽霊気質はなんなのだろう? 目を放したら、いつか自分の目の前から消えていきそう。

 それを咎める、或いは止めることも出来そうにない。

「書くの早いのよね。千香。お願いだから三年に一冊ペースにしてくれない?」

「職業作家になんてこと言うの」


 千香は作家だ。


 小説家。今年で二年目になる。大学在籍時、とはいっても卒業ぎりぎりにデビューした為、その時は就職するか、そのまま『普通の生活』を、投げ打って作家として生きていくか、随分と悩んだ。今思えば贅沢な悩みである。

 取った賞が取った賞だったから。

 地方文学賞。

 地方の自治体や新聞社などが主催する新人賞である。所謂文芸誌が主催している賞は、やはり何と言っても純文学&エンタメ小説家の登竜門的な扱いなだけあって、応募総数も軽く数千は超えるし、デビュー後の出版&売れ行きもある程度は保証されている。

 しかし、地方文学賞となると話は違ってくる。そもそも受賞したとて、書籍化される確約もなければ、出版されたとて、賞事態のネームバリューが殆どない為、大勢の読者は出版されたその本の存在に気が付かなかったりする。新聞紙や地方のPR誌に掲載されるくらいはしてくれるだろうが、大した収入にはなり得ない。印税など鼻から期待しない方がいい。

 勿論、各賞それぞれ、名のある有名な作家もいるが、じゃあ自分がその中の一人に入れるかと云えば、それはその人次第。ただ、こんなのはどの文芸誌主催の賞にも云えることで、結局売れなかったらそれまでなのだ。

 幸い、千香の作品はめでたく出版が決まった。それも大手出版社から。

 千香の取ったのは、地方文学賞の中でも、かなり有名な賞だったから。

 悩んだ。だから悩んだ。

 こんなことを延々と。

 答えのない問いに、悩んでしまうのは千香の悪い癖であり習慣であった。

 一応、筆が早い方だったからというのもある。

 編集者に聞いた概算の印税収入。それだけで一応食べてはいけた。その上で、雑誌のインタビューを受けると、少なからずお金が貰えることを知った。デビューから今暫くは注目されているから、雑誌、新聞、テレビ……はあるか分からないが……、とりあえずどんな場所でも、惜しげなく自らを晒していけば貯金もそのうちに貯まるであろう。

 印象良ければ次へと繋がるかもしれない。勿論、自分が一発屋で終わることなく、次も、その次も、そのまた次も読まれることが前提だ。

 転けたらお終い――とは云わずとも、三回四回だめだったら見切りを付けられるだろう。この辺りは妄想だが。遠くはないはず。初版部数は絞られるんだ。きっと。

 けれど。

 千香には自信があった。

 転けない自信が。

 自分の書いたものは絶対に面白いだろうという自負が。

 デビュー後、しばらくしてから芽生えた感情ではあるが。


「それじゃ、いい?」

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