第3話
タブレットを使って猫のイラストを描くことにした。
雪だるまのような丸っこいフォルムのシャム猫のキャラクターはひょんなことから生まれたもの。
「余裕余裕、なんちゃって」
バスケットボールを片手で持ち上げ、憎らしいほどの得意げな顔をしている。
テーマはできそうでできにゃいだ。
華麗にドリブルからのシュートを決めようとしているが、1歩踏み出した途端に転んで自分が弾んでしまうシャム猫「ぴかるん」。
名前に特に意味はない。
強いて言うなら「(才能が)光る」はずの名前に近付けたかった。
楽しくなってにやにやしながら5枚のイラストを描きあげていく。
完成したらインターネット上のサービスを使って繋ぎ合わせてGIF画像に変換する。
「よし、完成」
ちゃんと動くことを確認し、席を立つ。
「城内さん、こんなんできたんですけど、確認お願いします」
「ん? なになに、これ作ったの?」
「可愛くないですか」
「かわいー!! 生意気な顔してできないとことか超可愛いー。ちゃんと保存しといてよ」
「はーい」
施設の専用のフォルダに保存できたのを確認したところで作業終了の声がかかった。
さっさと片付けを済ませる。
そういえば連絡先の交換はどうなったんだろうなぁ、となんらアクションを起こしてこない相手が誰なのかを予想しながら掃除に取りかかる。
東雲サンは連絡先を交換したがるようには見えないし、時任サンとは既に交換済み。
となると残るのは慎也サンだけど。
「アズから聞けばいいのになぁ」
何故わざわざ時任を通したのか、と首を傾げる。
いくら考えてもわからないので、思考を放棄。
手早く掃除を済ませてタイムカードを押して職員さんに挨拶をし、近くのスーパーへと歩いて向かった。
今日は鶏肉と玉ねぎが安いらしい、とスマホで広告をチェックしてから店内に入る。
よし、今日は親子丼にしよう。
そうと決まれば迷うことなくたまごと鶏肉、玉ねぎを買って一度施設に戻る。
アズの姿を探すが先に帰ってしまったらしい。
車に乗り込んで帰路に着いた。
他の人が見た時、家族仲が悪いようには見えなかっただろう、とシフトレバーを握りながらため息を吐いた。
わたしには車を買えるような稼ぎなどない。
普段使う車は養父から借りている車だ。
連絡もとらなくなった今となっては貰ったと言った方が合っているのだろうか。
いや、あの人のことだから何かあればすぐに返せと騒ぐだろうな、とまたため息を吐く。
早い内から一人暮らしを始めたわたしには驚くほど生活能力がなかった。
そんなわたしを見守るため、しょっちゅう泊まりに来ている大親友のアズは親子丼が大好物だ。
なんとなしにアズに《今晩は親子丼》とメッセージを送ってみる。
《なに、今日親子丼なの!? なんで言ってくれなかったの、今から行くから!!》
呼び出そうとして言ったわけではないが、結果的にメッセージを受け取ったアズは今日も泊まることが確定した。
アパートに着いたらすぐに浴槽にお湯を張っておく。
アズはすぐに入りたがるので早い方がいいだろう。
コートを脱ぎ捨ててフライパンと小鍋を用意する。
小鍋にしょう油を大さじ4、みりんと酒と砂糖を大さじ2ずつと、カップに半分の顆粒だしを溶かした水を入れて煮立てておく。
大きめの一口大に切った鶏肉をフライパンでしっかりと焦げ目をつけて焼いてから繊維を断ち切るよう5ミリ幅にスライスした玉ねぎを投入する。
小鍋からつゆを移し10分煮込む。
卵を3個用意して、2個は白身と黄身をわけておく。
黄身1個と白身の方はしっかりと混ぜ、残りの黄身はさっと箸で切るだけ。
白身の方を先にフライパンに入れて、火が通ってきたのを確認して黄身を格子状にかけて火を止めてふたをして置いておく。
これで親子丼は完成だ。
「ソラ、なんか通知鳴ってたよ」
「え、嘘、聞こえなかった」
いつの間にかやって来ていたアズの存在にも気付かなかったので、小さな通知音なんて気付くはずもなかった。
とりあえず親子丼は完成したものの、まだスープを作っていない。
「誰だった?」
「スライムがあなたを友達追加しました、だってさ」
「いや、誰だよ。あ、ごめん、風呂お湯出っぱなしかも」
慎也サンかな、とくすりと笑いながら告げる。
「じゃあ、ついでに入ってきちゃうねー」
パタパタと駆けていったアズを見届けながら、スープのレシピに迷う。
「親子丼に合わせるなら鶏ガラか……コンソメも捨てがたいな……」
しばらく悩んでから結局コンソメを使ったわかめスープにすることにした。
こちらは簡単だ。
コンソメを溶かしたスープに乾燥わかめと2ミリ以下の薄切りにした玉ねぎを入れて5分煮た後仕上げにごま油を少々垂らして完成。
スマホを確認し、届いたメッセージを確認して固まる。
戻ってきたアズが不思議そうに声をかけてきても声も出せない。
アズが手元を覗き込んできたが、メッセージの画面を開いたまま指の一本も動かせずにいる。
送り主は先程のスライムだ。
アズの反応で気付くべきだった。
謎のスライムの正体が慎也サンであったならば、友達追加の通知を見た時点でアズが気付くはずなのだ。
とすれば連絡先を聞いてきたのは。
《お疲れ様です。東雲です》
「なんで!?」
ようやく口を開いてそう叫んだ。
「前にソラが言ったんじゃん。連絡先交換したいですって。それなのにアクションがないからあっちが動いてくれたんじゃないの?」
「おれ、そんなこと言った!?」
笑えない冗談だと思ったが、アズはからかうような様子ではない。
わたしが覚えていないだけで、確かにそんなやり取りはあったようだ。
「わたし、またやったんか……」
仮面を被る余裕もなく、深くため息を吐きながらタバコの箱を手に取る。
「待ち切れないから先に食べてていい?」
「好きにして……ちょっと落ち着きたい無理マジで……」
わたしには解離性健忘と呼ばれる症状がある。
心的外傷やストレスによって引き起こされる記憶障害のことで、記憶の空白は数分であったり数十年に及ぶ場合もあるという。
異性との関わり自体が
自分では「人よりちょっと忘れっぽいだけ」だと言っているが、その症状は日常生活に支障をきたすほどであることから十分に障害と捉えられる。
認めたくないのはなにも『障害者』と呼ばれることが嫌なわけではない。
そこまで重症であるとの自覚がなかったのだ。
まるっと忘れていても、その忘れていることさえ覚えていないのだから当然かもしれない。
しかし、こうして周囲に思い知らされることは稀とは言えなかった。
いい加減自覚した方がいいだろうか、と思う部分もありながら、まだ「忘れっぽいだけ」と言い張ることに決めた。
そうでなければまた悩みすぎて大変なことをしでかしてしまいそうだ。
大きく息を吸い込むのと同時に紫煙が体内に潜り込んでくる。
細く緩く吐き出せば踊っているかのようにも見える。
少し落ち着きを取り戻して、とりあえず挨拶だけ返しておいた。
その後、待てども待てども東雲サンからメッセージが来ることはない。
思えば彼は口下手なようだったな、と話題を提供するつもりで問いを打ち込む。
《恋人はいますか?》
お互いのことをあまり知らない二人の間ではこれが定番の質問ではないだろうか、と思っていた。
《いませんよ いるように見えます?》
いませんよ、のあとには汗の絵文字、最後に何かを考えている人の絵文字が添えてあった。
あまり絵文字を使う習慣のないわたしは、これがおじさん構文というのだろうかと首を傾げた。
《見えません》
素っ気なくも思える自分の文章。
声で表現するのと違い、悪ノリをしていることが正しく伝わるのかわからなくて不安になる。
《それはそれで傷つきます》
今度は涙を流す絵文字がついていた。
ただし顔はにっこりとしているものなので冗談だと伝えているつもりなのだろう。
《そっちが先に言ったじゃないですか》
やはり自分の文章は味気ない。
《そうですけど》
今度は震えている人の絵文字。
文字だけのやり取りでは温度を感じさせることができない。
しかし顔文字や絵文字は使いどころがわからず苦手だ。
もう一本のタバコを箱から取り出して咥える。
ポケットにしまったライターを取り出すのも億劫になって先程まで吸っていたタバコから火を移した。
《怒ったりはしてないです》
弁解しようにもそんな語彙しか持ち合わせていない。
煙と共に大きなため息を吐いた。
《大丈夫ですよ》
今度は絵文字ではなく顔文字だった。
その表情を見て思い浮かんだ[ほっこり]を打ち込むと予測変換に同じ顔文字が出てきた。
なるほど、こうやって使えばいいのか。
《ありがとうございます》と打ち込んだ後に[にこり]と打ち込んで出てきた顔文字を選択してから送信ボタンをタップした。
《おれ、東雲サンのことが好きです。よかったら付き合ってください》
ほぼ思考停止状態でメッセージを打ち込む。
送信ボタンを押したかどうかは、定かではない。
視界が暗くなるのを感じて、メッセージのやり取りを非表示にした。
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