第8話 夢幻

 京都に向かうヘリコプターの中で、宗次は側頭部を窓ガラスにつけて黙り込んでいた。

 全ての仏像、覚醒者を宗次の手で滅ぼしたかった。だが、肝心な母を殺した仏像、覚醒者はすでに果たすべき目的を達成したことでこの世から消えた。

 それでも宗次の中に宿る復讐の炎が消えたわけではないが、舞い上がるほどではなくなったのは確かだ。仏像、覚醒者に対する怒りより母の仇を取れなかった悲しみが上回っていた。

 どうしようもない感情に振り回されていた。




 どこかのホテルに案内され、部屋の玄関で靴を脱いだ途端、宗次はその場で気を失う。

 誰か何かを叫んでいた気がしたが、間もなく宗次は闇の中に引きずりこまれた。




 一面が闇。

 何も見えないわけじゃない。目に見えるものが全て闇なのだ。

 前後左右分からず彷徨っていると、目の前にぼんやりとした光が現れた。

 宗次は目を凝らしてそれを見る。

 黒髪にこげ茶色の目をした、優しそうな表情を浮かべた男性がそこにいた。

 宗次はその男性をよく知っていた。

 

「咲守さん?」


 宗次は警戒した。もしかしたら咲守の体を借りた行曹かもしれない、と。

 

(荒哉……)


 宗次は荒哉の名を呼んだが、返事がない。

 同化しているはずなのに、荒哉の存在が全く感じられない。

 どうしたと言うのか、何があったのだ?

 目の前にいる咲守が言う。


「どうして……夢を見させてくれなかったの?」

「夢?」

紅潤こうじゅん……彼女は極楽浄土に行ったんだ。きっと、そこで幸せに」

「咲守さん、あなたは間違っている。極楽浄土なんてない。死んだら骨しか残らない。残された人に悲しみだけが残る」


 それは母の骨壺を目の前にして宗次が思ったことだった。


「極楽浄土がないことくらい、君の言うことが正しいことくらい、分かっている。それでも私は夢を見たかった。紅潤が語る夢を一緒に見たかった。紅潤と一緒にいたかった」

「咲守さん……」

「それに僕は信じたかった。そうじゃなきゃ……」


 誰も救われないじゃないか、咲守は小さく言い放った。その言葉に宗次は胸を締め付けられた。

 咲守は両目から涙を流す。すると、咲守の足元から光の塵が舞い上がる。


「咲守さん、あなたが出会ったのは紅潤さんではありません、行曹です。行曹がどこまで計画していたか分かりませんが、紅潤さんを誑かして、あなたを騙したのは確かです」

「そうだね」

「……気づいていたんですか?」

「……私は愚かだ。極楽浄土があると信じて疑わなかった。紅潤はきっとそこに行ったと思い込んで……あれ、行曹というのかな、行曹が私も極楽浄土に連れて行くと言って肉体から私の魂を追い出した」

「!」


 自らの目的のために咲守の一途な想いと信仰を利用したのか、どこまで卑劣なのだ。 怒りが沸き上がる。

 咲守の体が光の塵となり、見える部分が顔だけとなる。

 咲守の顔が言う。


「私はその時になってやっと、騙されたと理解した。だけど遅すぎた。だからせめて……」

「咲守さん!」


 宗次は咲守の真正面に駆けつけ、咲守の両頬に手を添えた。

 消えないで、そう言いたいのに声が詰まって言葉にできない。

 涙が溢れる。


 ありがとう……


 咲守はそう言い残して消えた。

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