よーい アクション

くいな/しがてら

よーい アクション

「よーい、アクション!」

 心の中でカチンコを打つと、主役の俺だけの時間が始まる。風になびく葉付きの枝も、落ちる最中の書類も、密室に呼び出して今まさに僕を虐めようとする上司も、動けるものは何もない。悠々とドアを開けて自分の机に戻り、ボイスレコーダーを持って上司の元へ戻る。金でもとってやろうと財布を探ると、中に入っていた保険証と免許証に気づく。こっちの方が「うっかりなくす」と面倒か。


 窓から顔を出し、深く息を吸い込んで吐く。

 素晴らしい天気だ。この時間は、僕だけの時間。世界が止まれば、動くものはない。遠くの電車の音、鳥の羽ばたきすら聞こえない真の静寂にしばらく浸る。酔い飽きると、ボイスレコーダーのスイッチを入れて「カット!」と心の中でカチンコを打った。途端に世界は動き出す。上司の瞼もピクピクを再開した。苛ついているサインだ。

「辞表なんか出しても無駄だからな。お前みたいな無能はどこでも‥‥‥あ? お前、そんなところにいたか? まあいい、ともかくてめえは‥‥‥」

 おっと、ちょっとズレていたか。時を止めた場所に正確に戻れないと、周りの人間には瞬間移動したように見えてしまうのだ。次からはスタート位置で靴を脱いでおくことにしよう、と反省する。

 上司の虐めはそれから小一時間にも及び、そんなことまでと呆れてしまうような言いがかりをつけられるのだが、胸ポケットに入れた上司の身分証の冷たさ、硬さが何とも愉快な気分にさせた。それが気取られたのだろう。上司はますます目をピクピクさせた。

「なんだ? その余裕ありますよって感じの目は。お望み通り、後腐れなくやってやるよ!」暴行。

 痛みよりも、打撲音までしっかり録音されているのかが気がかりだった。


「あれ、お前もしかして梅渓? ちょっと老けたな」

 同窓会で話しかけてきたのは、かつて自分も所属していたサッカー部のキャプテンだった。失礼な奴だと感じたが、キャプテンの顔は明朗快活、筋肉は引き締まっていて確かに他人に老けたな、という権利があるように見える。まだサッカーをやっているのだろう。

「久々に見ればそうかもな。実際、お前だってだいぶ貫禄あるぞ。親父と呼びたいくらいだ」

「でも、顔がすっきりしたな。前とは雰囲気が変わって」

「長年我慢してきたブラック企業に、昨日辞表を叩きつけてやったからな、そのせいかもしれない。パワハラの録音もさっき社長に送り付けて、爆弾魔の気分だよ」

「やるじゃねえか」うい、と拳を突き合わせる。実際のところ、僕じゃなかったら無理だっただろう。あのクソ上司は卑怯にも、虐める前にボイレコの類がないか入念にボディチェックをする。それをかいくぐれるのは、僕の心のカチンコだけだ。

「お、梅渓‥‥‥なのか?」忘れもしないその声に、身がびりりと震える。モテるガキ大将と言えば伝わるだろうか。即興で生きているようなくせして狡猾な性悪で、皆に良い顔をしておきながらこっそり僕を虐めていた。

「お前マジック好きだったよな。今ここで何かやってみせてくれよ」そうそう、こういうこと言う奴なんだよ。返事を待たずして、話が耳に入った元同級生たちが興味津々で集まる。無茶ぶりだ。時を止めて逃げてやろうか。むかつくし、復讐として後日アリバイを作って殺してやろうか‥‥‥いかんいかん、どうもできることが増えると狭量になってしまう。ちょっと見せてやろう。このカチンコさえあれば、即興でどんなマジックでも簡単だ。


「その後どうです? カチンコの使い勝手は」

 骨董品屋の店主は、顎髭を撫でながら聞く。漆黒のスーツに大きめのシルクハット、その恰好はまるでマジシャンだ。

「最高だよ。好きな時に一人になれる。騙しも盗みもなんでもござれ。根性出せば旅費もタダ。最近はもうやってないけどね。疲れやすくなった気がするよ。年かな」

「何人殺しました?」銀縁眼鏡の奥の瞳がきらりと輝く。

「‥‥‥内緒だよ?」僕が店主に耳打ちすると、店主は大笑いした。

「自信作を楽しんでいただいているようで何よりです」


「おい‥‥‥店主‥‥‥話が違うぞ」

「どうしたんです、そんなに息を荒げて。お疲れのようですね」

「そうだよ、僕はまだ四十半ばだ。しかしどうも息苦しい。医者に聞けば‥‥‥低酸素血症だとよ。胸壁が硬くなって肺が動きづらくなっているそうだ。よっぽど高齢じゃないとこうはならないんだ。僕の年齢を聞いた途端、目を丸くしていたよ。なあ、あのカチンコに仕掛けがあるんだろう、え? 僕の寿命を縮めるような‥‥‥」

「お客様、カチンコをかなり愛用してくださったようですね」

「話を逸らすな」

「だからでございます。カチンコを鳴らして止まるのは‥‥‥あなた以外の時間です。あなたがあなた以外の時を置いてけぼりにしたのです。老いが早いのも当然でございます。見たところ六十代後半といったところでしょうか」

 言葉を失った。サーッと顔が青ざめるのが自分でわかる。当然と言えば当然だが、その危険性について忠告してくれなかった店主に対する怒りと、皆が見ていないときに若さを浪費してしまったことの後悔がどっと押し寄せる。

 ‥‥‥皆? そうだ、店主の話はおかしい。

「同窓会を毎年やるんだが、皆も似たりよったりの顔つきだ。本当に僕が世界を置き去りにして人生を早送りしているなら、誰かに指摘されても良いはずだ。お前の話はおかしい、そうだ、騙したな? 何が狙いだ」 

「心のカチンコは多くの方にお売りしていますから。皆さま、なぜか自分だけが時を止められるとお思いのようですが。主役にでもなったつもりなのですかな」

「――ッ」

 用意、アクション。

 レジを乗り越え、引き出しを開けてボールペンを取り出し、喉に突き立ててやろうとしたところで‥‥‥店主の腕がそれを止めた。

「考えたことはありませんか? 時を止めている最中に自分が死んだら、世界はどうなってしまうのか」

 ボールペンはびくともしない。店主は涼しい顔をしている。

「私が安全装置という訳です。『カット』」

 流れ始めた雲の影が、部屋を斑に彩る。

 ボールペンが音を立てて落ちる。僕は気付くと両手をついてへたり込んでいた。

 それから急いで立ち上がると、足をもつれさせ、沈みかけの太陽の方へ、よろつく足で逃げ出した。


 閉店時間。曲がったネクタイを元に戻して、店主は静寂を取り戻した店にたたずむ。

「やはりカチンコは我が最高傑作だ。心の中にしまえるから嵩張らないし、目先の利益のみを考え、特技は隠し、孤独を好むという人間の性質にも合っている。それに何より時間がかからず効率的だ。お客様の周りでは絶えず人が死ぬし、お客様自身も早死にする。さしずめ私は爆弾商人かな‥‥‥もっとも、もう爆弾はレギュレーション違反だが」

 上機嫌でシルクハットをするりと脱ぐ。ベレー帽とやらは山羊の角で浮いてかなわなかったが、この帽子は良い。色も好みだ。店主改め悪魔は満足のため息をついて、今一度自分に喝を入れる。

「大殺戮コンテスト、今回は私がもらうぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

よーい アクション くいな/しがてら @kuina_kan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ