七十五歳と七十七歳 / 学校の後輩と先輩 / 出られない部屋
「これが孫が言っていたお題を突破しないと出られない部屋、か」
七十五歳の男性、
妻と死別して二十年後に初恋の二個上の先輩の男性、
御来屋と宮氷が目を覚ましたら、四角い真っ白の空間に閉じ込められていたのである。
御来屋の脳裏を真っ先に過ったのが、孫から聞かされた物語であった。
扉のない、または扉があっても開けられない四角い真っ白の空間に二人の人物が閉じ込められて、出されたお題を突破しなければ部屋から出られないという恐ろしい物語である。
御来屋がホラーかと問えば、孫から純愛だよと訳のわからない答えが返ってきては、怒涛の如く物語を聞かされたのだが、ほとんどが脳を素通りして、この出られない部屋の存在だけがかろうじて残ったのである。
「しかし。ネクタイを締めるだけでいいのか」
「そうみたいですね」
宮氷と御来屋は壁に大きく書かれたお題を見ては、そのお題の下の壁にかけられている二本のネクタイへと視線を下げた。
紺の基調色に赤と水色の斜線が入ったレジメンタルストライプ柄で、素材はリネンのダービータイだった。
「俺、ネクタイって頭に巻いてた記憶しかなくて、ネクタイの締め方を忘れちまったんですけど。先輩は覚えてますか?」
「いや。俺も、あやふやだ。が。まあ、身体が覚えてるかもしれねえから、とりあえずやってみるか」
「はい」
ちまりちまりちまちまちまちま。
御来屋は短い指を忙しなく動かしながら。
すぅーいすいすいすすいのすい。
宮氷は長い指を華麗に流れるように動かしながら。
共にネクタイを締めようとした。
御来屋は記憶をほじくり返しながら。
宮氷は思考放棄して十本の指に任せながら。
結果。
「先輩。お願いします!」
「………おめえ、何がどうしてそうなったんだ?」
「はは。いやあ、俺にもさっぱりで」
「ったく」
あちらこちらと絡まりまくっているネクタイを解くところから頼まれた宮氷は、御来屋の後ろに回ると、身体を密着させて御来屋のネクタイに触れては、また思考を放棄して十本の指に任せた。
御来屋は細長い指があちらこちらと流麗に動き出すのを、首を下げてじっと見つめようとしたのだが、その度に宮氷から下を向くなと顎クイされて、真正面に向けさせられた。
「動くんじゃねえ」
「いやだって、先輩の指、すごいんですもん。あっという間にネクタイを整えていく。滑らかで、艶があって、目が離せないって言うか。見なきゃ損って言うか」
「この部屋から出られたら幾らでも見せてやるから、今は我慢しろ。おめえが下を向くと、指が動かなくなっちまう」
「約束ですよ」
「ああ。だから」
宮氷は御来屋に顎クイして顔を真正面に向けさせた。
「動くなよ」
「………は、い」
顎をほんの少し撫でられては耳元で囁かれた御来屋は刹那にして身体が硬直し、ドギマギしながら返事をした。
よし動くなよ。
念を押した宮氷は御来屋のネクタイを無事に締める事に成功。
部屋から出られた宮氷は御来屋との約束を果たそうとしたが、もう少し時間をくださいと御来屋から何故か嘆願されたため、半年経った今も約束は果たされていたのであった。
「なあ、まだか?」
「まだです」
「ならもう、約束は破棄っつー事でいいのか?」
「だめです!」
(2024.5.16)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます