9th sg 沖縄のソワレ①

 沙那の向かう所へ、僕たちはタクシーに乗っていく。

 一歩一歩近づいていくたびに、空気が重くなるのを感じる。

 彼女が目指すところを僕はなんとなく察していた。

 沖縄にある思い入れの場所といえばきっとあそこだ。

 そんな事を考えていると、タクシーが停車し目的地に着いた。

 沖縄は中心地には「ゆいレール」と呼ばれるモノレールが存在するが、それも中心地だけ。市電も地下鉄もない、だから沖縄では車で移動するのが主流らしい。

 那覇空港からここまで料金はおよそ6500円だった。恐ろしいな、こんなにも高いのか。なんとなく車社会の厳しさを知らされた気がする。


 しばらく歩いたあと、沙那が立ち止まって口を開いた。

「ついたわ、ここよ」


 僕たちの目の前には大きな箱がそびえ立っていた。


「懐かしいですね、ここ。当時、僕も来ましたよ。沙那さんがユアヒロインに入ってグループの雰囲気が大きく変わって、気づけば五大ドーム制覇。その始まりの地、ですよね?」

「ええ、確かにドームも思い入れは驚くほどあるわ。けど、私はやっぱり一番最初の大きいキャパの公演をしたここ、沖縄アリーナへの思い入れが一番ね。2日で1万6000人、満員。あのときは本当に感動したわ、ステージから見える私色のペンライトで埋まるの」


 沙那の目が遠くを見つめるように細められる。彼女の視線の先には、あの日の記憶が鮮明に蘇っているのだろう。初めてコンサートをした日のことを。僕も、その光景を思い浮かべた。数え切れないほどのペンライトが、まるで星空のように輝いていたのを今でもはっきりと思い出せる。


「そういえば、あのとき沙那さん、ステージで泣いてましたよね」

 僕は微笑んで、彼女の横顔に視線を向けた。

「そうね、あの時は本当に感極まってしまったわ。正直つらいことだらけだったし、自分がここまで来れたこと、ファンのみんなが支えてくれたこと、全てが頭の中で混ざり合って…気づいたら自然と涙が溢れていたのよね」


 沙那の言葉に僕は頷いた。あの日、沙那が見せた涙は純粋で、あまりにも美しいかった。その瞬間、僕は彼女がただのアイドルではなく、一人の人間として深くファンに愛されていることを実感した。突如として現れ、ユアヒロインを変え、引退した。簡単にできることじゃない。それはきっと沙那の優しさや努力による賜物だろう。


「この場所には、いろんな思い出が詰まってるんですね」

 僕は改めて、目の前の大きな箱――沖縄アリーナを見上げた。

「そうね、ここは私にとって特別な場所。だからこそ、どうしてももう一度訪れたかったの」


 沙那の声には、どこか決意のようなものが感じられた。彼女にとって、この場所はただの思い出の場所ではなく、再び自分を見つめ直すための重要な場所だろう。

 けれど沙那の決意とは裏腹に心の奥には僕とのスキャンダルによる傷が影を落としている気がしてならなかった。


「それで……着いたら話してくれるって、言いましたよね?」

「わかってるわ、もう少しだけ心の整理をさせて」


 一人になりたい、と言うので僕は一度沙那を置いて自動販売機に飲み物を買いに行く。


 少しだけ公園内を散策した後、沙那の所へ戻る。


「やっと帰ってきた。踏ん切りがついたわ。……一から話すわね」


 僕は静かに彼女が口を開くのを待つ。


「ユアヒロインに入って、ここで初めて大きなコンサートをして。五大ドームも完走出来て。始めは下手だった演技もだんだん褒められるようになって、女優業も増えて。私はとても嬉しかったし楽しかった。けど、それと同じくらい辛いことも増えた。ドラマに出れば『演技できないのに出演するな』とか歌番組に出れば『歌へたくそ』とか、数えきれないくらい言われた。家族もメンバーもマネージャーもみんな応援してくれてるのに、期待に沿えない自分が嫌いで嫌いで仕方がないの」


「そんなことない」

 そう言いたいのに、彼女の次の言葉を待つ自分が立ちふさがって口が動かない。

 そうしているうちにも沙那は話を続ける。


「そうしたらふと、辞めれば全部解決するなんて思ってしまって……頭では間違っているって分かっていてもそれ以外の行動が出来なかった。そして私は引退した。些細なことに感じるかもしれないけど、自分でも気づかないうちにストレスとか色々なものが蓄積されていて、それが私をおかしくさせた」


 僕は、信じられないという思いと、沙那が嘘をつくわけがないから信じたい思いが入り乱れていた。


「自分で言うのは恥ずかしいけど、私って正直、完璧じゃない? だから、あんな大雨の日に公園に居座ってわざわざ風邪を引くようなことはしないしね? だからそうね……あのとき颯太が話しかけてこなかったら、そのまま私は一人で海外にでも行って一生暮らしていたかもしれない、本当に感謝してる」


 沙那は久しぶりに笑顔を見せて言った。

 けれどそれは素人の僕でも分かるくらいの作り笑いで、どうにもならない感情がまだ沙那の中にいることを僕は悟った。



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