第22話

 先生の説得を無事に終え、ひとまずテントへと戻っている最中、小田先輩が声をかけてきた。


「世良町君。さっきの話本当なの?」


 横を歩く先輩の口調は静かだ。深入りしてはいけないと思っているが、無視することもできない、そういった表情をしている気がする。だが、僕はそれにあえて気づかないふりをした。


「すみません、言ってなくて。カムフラージュのために余分にダミーの騎馬変更を混ぜていたんですよ。そのダミーを取り除いたものを提出すれば、こちらに有利な状態の編成をぶつけられます。丸山先生はともかく、横山先生が一筋縄でいくとは思えなかったので」


 初めから本命の編成を見せれば再編成そのものを拒否される可能性があったが、過剰に変更が加えられたものを見た後ならば、多少の変更は見逃してくれる。このように大きな要求をした後、小さな要求を示してそれを選択させる手法はドアインザフェイスと言う。『一度断ってしまった』という相手の罪悪感を利用した交渉術の一種で、ビジネスの交渉などにおいても多用されているものだ。


「そうではない。いじめを受けていたという話だ」


 今度は団長が口を開いた。先ほどまでは演技に集中していたのもあって気が付かなかったが、いつの間にか顔から晴れやかさが消えている。声も心なしか落ち着いているようだ。どうやら2人とも、あの話を聞いてみて見ぬふりしてはくれないらしい。


 いじめの過去を説得材料として持ち出すのは当初から計画していたことではある。今回の場合、先ほどのドアインザフェイスに「いじめの過去」という話を加えることで、相手の同情を誘いつつ、教師ならではの罪悪感の増加も期待した。しかも、いじめを受けた本人がその過去を乗り越えようと健気な姿を見せたのだ、応援したくもなるだろう。結果、厄介な横山先生の説得も完了したので、クサイ演技とウソ泣きの甲斐があったというものだ。


 もちろん使わずに済むならそれに越したことはなかった。だから先輩たちには何も話していなかったのだが、結果として、それがこのような2人の反応を招いてしまっている。


 ……しかし、どう答えたものか。いじめを受けたのは事実だけど、別に恐怖にとらわれているわけじゃないし、ましてやその克服のために相手に勝負を挑むなどするわけがない。もしあいつがこの場にいたら、腹を抱えて笑うだろうなあ。『君、そんな度胸ないでしょ』とか言う光景が目に浮かぶ。


 数秒思案してから僕は口を開いた。


「どうでしょう?本当のことかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。仮に本当だとしても先輩方がそんな風に気を落とす必要ありませんよ」


「……そう」


「……」


 僕の言葉から言外の意を悟ったのか、それきり、いじめのことに関して先輩方が触れてくることはなかった。うーん、それでもやっぱり空気が重たいなあ。リーダーポジションの2人がこれではせっかくの策も無駄になりかねない。……よし、ここは。


「それよりも先輩」


「?」


 少し足を速めて先輩二人の前に出て振り返る。そしてまたわざとらしく両手を広げ、からかうように告げた。


「少なくとも、僕は自軍の勝利のために手を尽くし、協力したというのは事実です。かわいい後輩がこんだけしたんですから、感謝の言葉の一つでもかけて、やる気満々な姿を見せてくれないと」


 すると、二人は一瞬呆けた表情を見せたかと思うと、小田先輩が口を開く。


「かわ……いい……?」


「え、噓でしょ。そんな初めて感情を得たロボットみたいな反応します?」


「フフッ、冗談よ」


 そう言うと、小田先輩が近づいてくる。どうしたのかと思うと、その一瞬で彼女は僕の背に手を回し、ぎゅっと抱き寄せた。


「ありがとう……お疲れ様」


 そう言って優しく頭をなでてくる。抱き寄せられているからその表情は分かりかねるが、その手つきと同じように、それ以上に優しい声音。女性特有な柔らかさ、清涼的でさわやかな香りに包まれて、普通なら顔を真っ赤にして引きはがすところなのに、それができなかった。何が何だか理解できていない僕の頭の中を一つの言葉が反響していた。


 僕は知らず知らずのうちに期待していたのだ。誰かから、たった一言、「お疲れ様」と言ってもらえることを。







 嘘と策略にまみれた教師の説得と、女子の先輩に優しく抱擁されるという醜態をさらしたのち、僕らは応援団のテント付近まで引き返した。こちらに気づき軽く手を挙げて早見先輩が声をかけてくる。


「お帰り。それでどうなったんだい?」


「世良町君の策略通り。私たちにも話してない行動するもんだから焦ったのなんのって」


「敵を騙すにはまず味方からっていいますし」


「まったく反省の意が見えないあたり、さすが君だな」


 小田先輩と団長には今回のことに関して、僕が必要以上に関与したことは誰にも話さないように口止めをしておいた。団長はこのテントまで戻らずに参加競技へと向かったが、まっすぐなあの人のことだ、大丈夫だろう。小田先輩に関してもその点は信頼している。


 しかし、まだ午前中だというのにどっと疲れた気がする。まだこの後騎馬戦そのものに参加しないといけないし、憂鬱だなあ……ここでふと思い出したことがあったので小田先輩に質問する。


「そういえば、女子団体って棒引きでしたっけ?騎馬戦に必死に作戦練ってましたけど、そっちの方はいいんですか?」


「言えば手伝ってくれるの?」


 しまったこれ地雷だ。面倒ごとに首突っ込むことになる。いや、足か?


「ははは、そんな露骨に焦った顔しなくても大丈夫だよ。まあ応援しててよ」




 ───これが、騎馬戦前の出来事だった。

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