第18話
パンッというピストルの音と同時に、生徒が一斉に飛び出す。紅軍は1回戦と同じ作戦で、足の速い生徒が真っ先に棒に手をかける。そして、その棒が引かれようとして───
「マジか!?」
國代が思わず声をあげる。それもそのはず、棒はその場から動かなかった。いや、動かせなかった。
「体張るなあ」
僕も思わず呟いていた。
白軍のとった作戦は、紅軍が早々に棒を持っていくのを阻止するというもの。そのためには紅軍と同じく、走力のある生徒を単独でぶつけるほかない。しかし、その走力には微かに差があったのだろう。わずかに早く紅軍の生徒の方が棒に手が触れた。だが、特筆すべきはその後。白軍の女子はそのままでは間に合わないことを瞬時に悟ったようで、最後に力強く踏み切って棒に対して飛び込んだのだ。手で引っ張るのは間に合わない。ならばその場で棒を動かないようにすればいいという考え。全体重をかけて棒にしがみつくことで、棒は紅軍女子の手を離れて地へ。人1人分の全体重が加わった棒はそう簡単には動かせない。勿論、人が加われば動かせるだろうけど、その頃には混戦状態になる。
……単純だけど、思い切った良い作戦。この作戦の発案者もそうだけど、あの白軍女子のガッツには拍手を送りたい。
初動での差はなくなった。後は泥臭いぶつかり合いが残るだけだ。
「いけええ!!」
「やれやれ!!」
先ほどよりも接戦が繰り広げられているのが傍からでも分かるからか、観客の歓声も大きくなっている。そして、その歓声は戦う彼女たちにも届いているのだろう。特に我らが白軍の女子は先ほどより表情が生き生きとしている。
「……?」
誰もが真剣な形相で棒を引っ張り、こけてはまた立ち上がりを繰り返している中。軽い足取りで、さながら散歩でもするかのような態度でグラウンド内にいる少女が1人。競技に参加する気があるのか疑いたくなる。そんな彼女は、しばらくもみくちゃになっている生徒の様子を眺めた後、やや棒が白軍寄りになっているものに近づいて行った。一応加勢する気はあるのかと思っていたら……
彼女は棒を横に引き始めた。
どういうことかというと、要は綱引きのような形で棒に平行に力を加える競技なのに、彼女は棒に垂直に力を加え始めたのだ。
物理の授業でやったが、力のモーメント、つり合いというものがある。今は紅軍やや優勢なため、棒は紅軍陣地に徐々に引き込まれるそうになっている。でも、棒に対して垂直な力は加わっていない。そう、彼女が手を出すまでは。
あのように力が加われば、棒は紅軍陣地に近づきつつ、彼女が引っ張る方向にも徐々に移動する。当然だ。彼女の加えた力を相殺するものがないんだから。こうなれば棒はまっすぐ移動するのではなく、真上から見た時は斜めの軌道を描くことになる。そして、そうなると……
ピピーッ
「え?」
「エリア外です。この棒は採点対象外となります」
「……は?」
観客への安全を考慮してのものか、ルール上、棒引きはグラウンドの限られたスペースで行う必要がある。詳細に言えば、所謂リレーや徒競走で走るレーンにまで棒が出てしまえば、それはルール違反なのだ。サッカーでも、コートにボールが出たらいったん中断される。
つまり彼女は、「このままでは白軍の点になる棒があるなあ……じゃあ0点にしちゃえ」というとんでもなくゲスで、理に適った作戦を実行したわけだ。いや、したというか、している。現在進行形で。
彼女は笛の音を聞くや否や、敵味方含む茫然とした他の生徒とは対照的にそそくさとその場をさり、他の棒へ向かっていく。彼女が手を伸ばした棒はさっきと同じく白軍優勢のもので、またその棒をエリア外になるようにちゃっかり誘導する。
ピピーッ!
「え……」
棒引に夢中になっていた他の生徒はいきなりその棒が無効だと告げられてポカンとした表情。そしてその元凶たる彼女はまた別の目標へと狙いを定める。
何度ホイッスルの音を聞いたことだろう。2回戦の終了が告げられ、表示された得点は……紅軍2点、白軍1点。試合状況そのものは我らが白軍が優勢だったが、陣地に引き込む前にそのほとんどが妨害されて、得点を伸ばせなかった。あいつの妨害がなければ1回戦の点差をもう少し詰められただろう。
「き、汚ねえ……」
「そっか、よく考えりゃ、あっちは逃げ切ればいいんだし、ああいうのもアリなのか」
呆れ交じりに呟く僕と、「はあー」と感心した表情を見せる國代。一応開会式の時に「スポーツマンシップに則り、正々堂々と戦うことを誓います」という選手宣誓があったんだけど。いやまあ、ルール違反ではないんだろうけど、かなりグレーゾーンでしょ。
思わず苦笑いを浮かべていると、グラウンドの中の少女と目が合う。おそらくというか、十中八九この作戦の立案者であろう彼女は、僕を見て「イエーイ」という顔でピースしてきた。搦手を講じた張本人は僕とは対照的に満足的なやり切った感を醸し出している。
「こりゃあ厳しいか」
「最低条件、紅軍に1点も取らせたらダメだな」
学年ごとに対決するため、あと勝敗を左右できるのは3年生のみ。エリア外に棒を誘導する手法も一度見せた以上もう使えないだろう。
誰もが固唾を飲んで見守る。スタートの合図を待つ空気は緊張感にあふれ、まさに目が離せない状況。ピストルの合図が、その空間に鋭く響き渡った。
「お疲れ様です、早見先輩」
「ああ、世良町。一歩及ばずだったがな」
「いえ、あの状況からあそこまで舞い返したのは凄いですよ」
女子棒引き、3年生同士の対決は何と白軍が紅軍に一本も棒を獲得させることなく、白軍が終始優勢で進んだ。そもそもの白軍の生徒の身体能力が紅軍より上回っていたのかもしれないし、火事場の何とやらもあったのかもしれない。少なくとも、学年別の対決の中で一番白熱していたのは間違いない。
しかしながら、やはり1、2年生の大差がきつかったのか、逆転までは届かなかった。こればっかりは仕方がないだろう。
「あの問題児の動きがなければもう少し違ったかもしれないが」
「ははは……」
「あはは、そうかな?」
僕たちが話していたところに横から声がかかる。ぴたりと会話を終えて横を向けば、後ろで手を組んだ状態の彼女がいた。
「お前」
「あー、早見?ダメだよ。ルール違反じゃないんだから怒られる筋合いはない。でも文句くらいは聞いてあげるよ!さあカモン!」
「……」
早見先輩が何か言おうとすると、彼女はぴしっと指を立ててそんなことを言い、続けて煽るようなことを言う。……てか早見って呼び捨てかよ。
「はあ……いや、いい。確かにそこまで考えが及ばなかったこちらの不手際だ」
「ふーん?そう?」
早見先輩の回答に「つまんないの」という顔で答える彼女。すると、彼女は僕の方へ軽く一歩踏み出し、そのまま顔をグッと近づけてきた。
「!?」
「……君、何かしてるでしょ」
いきなりの状況に反応が遅れた僕に対し、こっそりと耳打ちするような形で彼女は言う。ふわりと香ってきた爽やかなミント系の香りが、ついさっきまで彼女も協議に出ていたのだと感じさせた。
「もともとは動くつもりなかったんだけどね、君が何やら面白いことしてるみたいだから、こうやってあげた方が盛り上がるかなって」
「……見てたのか?」
「ふふふ、どうだろうねぇ」
言いたいことだけ言った彼女は、僕の横を通り過ぎながらくるりとターンする。そして、振り向き際に、にこりと笑みを浮かべながら言った。
「楽しみにしてるよ。き・ば・せ・ん」
その一言を最後に軽い足取りでふらふらと歩いていく彼女。その背中を見送りながら、僕は小さくため息をついた。
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