第2話

 自分で言うのも何だが、僕自身、かなり真面目な性格をしている。やるべきことは期日までに仕上げるし、規則は守る。悪く言えば融通が利かないともいえるので、もう少し柔軟になってもいいのではないかとも思うのだが、すぐに変われるわけもない。


 そんな僕にとって授業をさぼって外のベンチに腰掛けるという行為は非常に落ち着かないものであり、どうもそわそわしてしまっていた。そんな今にも腰を浮かせようとしている僕とは対照的に、隣に腰掛けた彼女はずいぶんとリラックスした表情をしている。風を心地よさそうに受ける表情と美しくなびく髪には目を奪われそうではあるが、授業をさぼっているこの状況を何とも思っていなさそうな姿には一抹の不安を覚える。もしかして、この子はさぼり常習犯の不良なのではないかという考えすら浮かんでいた。しかし当の本人はまさにどこ吹く風である。彼女が瞼を開けたのは風がやんでからのことであった。きっと不安そうな顔をしていたであろう僕のことを一瞥し、言葉を紡ぐ。


「学生生活しているといろんな悩みが湧いてくるものだよね。進路、部活、人間関係……でも、そういうものを抱え込むのってかなりきついと思う。特に若いうちは精神がまだ発展途上だしね」


 まるで自分はその若いうちというのに該当しないかのような物言いだ。しかし、言うことには一理ある。いじめなどを原因とする自殺の中には相談できる相手がいなかったという例も多い。だから僕は彼女の言葉の続きを促した。


「だから、もし何か悩んでるなら話してみない?力になれるなんて言わないけど、私、聴き上手な方だと思うよ?」


 まあ、勘違いならそれに越したことはないんだけど、と彼女は続けた。悩みの有無で言えば確かに悩んではいる。実際、その悩みから逃げるようにしてここにたどり着いたわけで。しかし、じゃあその内容をすぐに話すかと言われると話は別だ。今日知り合ったばかりの名前もわからない人に相談できるほど図太い神経をしてはいないのだ。そもそも、そんな神経の持ち主ならば悩みなどないかもしれない……ん?


「そういえば、名前とか聞いてないんだけど」


「フッ、人に名前を訊くときはまず自分から……」


「やっぱ帰る」


「わー、待って待って。ごめんって。調子乗りました、すいません」


 ハア、と一つ大きなため息をつく。なぜだろう、漫画とかで残念イケメンという言葉があるが、この子の場合、その女の子バージョンという感じがする。あの第一印象は何だったのだろうか。そんな少女はゴホン、とわざとらしく咳払いして、


「私は───」







 互いに自己紹介を終えて、一息。初めに見た時よりややずれた校舎や木の影が時間の流れを感じさせていた。


「それで、どう?話してくれるならちゃんと聴くし、難しいなら私のおしゃべりに付き合ってくれるだけでもいいよ。この場所に人が来るなんて珍しいから」


 彼女はそう尋ねてくる。しかし、自己紹介を終えたとはいえ僕はこの人のことをほとんど知らない。確かに吐き出せば楽になるかもしれない。それでも、自分の心の内を明かすには彼女との関係はあまりに希薄だった。自分が友人と思っていた関係でさえ信用に足るに値しないと知ったばかりだ。


「いや、ちょっと疲れがたまっているだけだよ。ほら、疲れていると人と関わる気が失せることあるだろ。ここに来たのもそれが理由」


 ばれない嘘をつくコツは、しっかり真実を核にしてその上から嘘でコーティングすることだ。疲れているけど、君の思うようなことではないよ、そういう意を込めた返答が今は最適だと思った。


「ふーん、そう?観察眼には自信があったんだけど、やっぱり鈍くなってるのかなあ。はぁ」


 彼女はそう言ってため息をつく。まるで人の悩みや苦悩を期待しているかのようなその姿に「やはりこいつ、ロクでもないやつなのではないか」という考えがよぎる。こうして一緒にいて大丈夫だろうか……


「まあ、私の思い過ごしなら、君にとってはいいことだよね。余計なお世話だったかな」


 たはは、と申し訳そうな笑みを浮かべる彼女に自分の良心がちくりと痛む。実際、自分から距離を置こうとしたクラスメイトとは違い、自分の表情を見て、こうして話そうと行動に移してくれているだけでもありがたいことなのかもしれない。まあ、それはクラスが違い、僕の現状を知らないからということもあるのかもしれないが。


「それじゃあ、ちょっと雑談しようよ。そうだなあ……」


 人差し指を顎につけ、うーんと考える様は何というかわざとらしい。わざとらしいくせに妙にしっくりきて可愛らしい。顔がいいというのはそれだけでずいぶんと得なものである。


「あ、いじめについてどう思う?」


 ……この女、実は僕の事情を知っているんじゃないかと思われるような発言とタイミング。急所を的確に撃ち抜かれたように感じられる内心の驚きや焦りを悟られまいと何とか表情を作り、言葉を紡ぐ。


「何、いじめにでもあってるの?」


「いやいや。確かに恨みを買うことは多いかもしれないけど、いじめられてはないよ。単純な興味。最近だといじめが原因で自殺したとかいうニュースも珍しくないしね」


 本当に大丈夫だろうか、この人。恨みを買いやすいだとか、いじめに対して興味があるとか、人間性に不安を覚えるのだが……しかし、この発言を信じるならば、別に探りを入れようとしているわけではなく、気になっていることに関して自分以外の意見が欲しいだけ、ということである。いや、信じていいものだろうか。詐欺師というか、ロクデナシというかどうも胡散臭い感じがするのだが……


「それで、どう思う?」


 ズイ、と体をこちらに寄せて尋ねる彼女。女性特有のふわりとした香りが鼻をくすぐる。整った顔立ちなのはわかっていたが、こうも間近で見るとそのきめ細やかな肌や長いまつ毛に驚かされる。若い女の子に対して耐性がないのもあるが、間違いなくこの子は美人なのであると再認識し、気恥ずかしくなる。そんな状況に対して、僕は後ずさりしながら、身をよじって質問に答えるのだった。


「そりゃ、いいもんじゃないだろ。自分の優越感とか快感のために他者を見下して、傷つけるのは犯罪と何ら変わらない。外国ではもっと厳しく取り締まっているところだってある。日本はいじめに対する認識そのものが多分、間違ってる」


「ほうほう、いじめは犯罪と変わらない、認識が間違ってる、なるほどねえ……かなり強く否定した言葉だ。うん」


 彼女は僕の返答に満足したのか、寄せていた体を引っ込めて座り直す。……さっきより座っている位置が僕の方に近づいている。あったばかりの、しかも異性に対してこんな接し方をするあたり、本当に少しずれた子なのであろうと思っていると───


「でも、不思議だよね。見た目とかの些細な違いで、ひどい時は単純に気に入らないからとかいう理由で他者を簡単に傷つけるんだから。獣と同じじゃん。何なら獣より立ち悪いかも。あっちは生きるために必要なことだけどいじめはそうじゃないからね」


 滑稽なことこの上ない、彼女はそう言った。


「そのくせ、観ていても全然面白くないんだよね、あれ。人の不幸は蜜の味、とかいうけどあれに限ってはそうでもない」


 やれやれ、と両手をあげてわざとらしく首をすくめる。


「その不幸な現場が限りなく自分に近いからだと思う。例えば同じ教室だったら、自分が直接の対象じゃないとしても、完全な部外者とも言えない。」


 そう言って彼女のほうを見やると、彼女はぽかんとした表情をしていた。そしてそこから一転、ぱっと表情を輝かせる。


「その考え、面白いね!なるほど、傍観者も同罪だなんて言われるけど、そもそも傍観者っていうのがいない訳だ。うんうん、全員が関係者ならそりゃあ加害者以外は良い気分なわけないよね!うーん、しっくりくるよ!いやあ、君を引き留めて正解だったなあ」


 そう語るのだった。その姿はまるで貴重な実験結果を手に入れた研究者の様で、並みはずれた美貌も相まって本当に恐ろしく見えた。同時に、小さな怒りもわいてきた。


「なあ」


 やや、語気を強めて話しかける。あの時のように、自分の感情とそれに伴う行動が制御できないあたり、やはり僕は子どもである。しかし彼女は僕の語気に反応することなく、その言葉の先をその柔和な笑みで促す。その態度はやはり気分のいいものではなかった。


「さっきから何なんだ。いじめを受けた人は相当苦しんで、一生のトラウマになる人もいる。お前の言ったように自殺に走る人もいるだろうさ。それを面白い、面白くないだとか、質の悪い神様みたいな目線で語るな」


 その言葉を聞いて、彼女から先ほどまでのつかみどころのない雰囲気が消える。柔らかな笑みは消え、どこかばつの悪そうな表情を浮かべながら、彼女は口を開いた。


「ああ、ごめん。またやってしまったみたいで……私の癖というか性分というか、どうも他人の気持ちに疎いんだ。わかった気になって、その実全然理解していない。感情を言葉にしたなら、その文字だけを追って、その文字の意味を理解しないというか……こういうところを直さなくちゃいけないってのは分かってるんだけどなあ。ごめん。いじめに苦しむ人を軽視して傷つける発言だった。君を不快にさせてしまったことも、ごめん」


 そう言って彼女は立ち上がり、深々と頭を下げる。


「いや、僕も言い過ぎた。ごめん」


 これまでの印象を覆すような唐突な謝罪に面食らった僕は慌てて返す。実際、相当難儀な性格をしている。「また」という言葉やその態度からもきっとこのような経験は今までにあったのだろう。こうして謝ることができるのは間違いなく美徳だが、それでも他者との衝突というか、人の地雷を踏みぬくことも少なくなかったはずだ。というか、今まさに僕の地雷を踏みぬきかけたところだ。


 しかし、悪気がないのだと分かると、自分が感情に任せて怒ってしまったことが子どもの我儘のように思えて申し訳なさを感じる。そんな考えを巡らせていたところ、彼女がフフッと笑う。何事かと思って見てみると───


「いやー、さっきも言ったように私は無意識に人を怒らせるたり、不快にさせてしまうところがあるんだけど、こんなに早く指摘してきたのは君が初めてだよ。あれだね、君、正直すぎるって言われない?」


 まるで多重人格のようにケロッとした表情と口調で再び口を開く彼女。こっちの気も知らないで……小さくため息を一つつき、呆れたように告げる。


「お前、集団行動中に地雷踏み抜いて回り巻き込んでも自分だけ無傷でいそうだな」


「ひどいな!そんなことするなら他者に地雷踏み抜かせて自分は安全圏から見守ってるさ!」


「ろくでなしにも程がある」


 ここ最近、こうしてだれかと軽口をたたきあう時間などなかった。たぶん彼女はある程度親しい間柄になればそれなりに楽しい時間を過ごせる人間なのだろう。問題は、そこに至るまでに大抵付き合っている側の人間に限界が生じるということだ。今回、幸か不幸か、一種の限界を迎えていた僕はこうして会話を続けられていたのだった。


「それにしても、最初より表情が明るくなったね。なんか毒が抜けた感じがする。これは私のおかげかな」


「調子に乗るなよ三下が」


「急に口悪いな、君!」


 形は違えど、自分の感情とか、考えとか、そういうのを吐き出せたのが大きかったのだろうか。あるいは、友人同士で行うような他愛ない会話ができたからか。言われて初めて、確かに何となく心持ちが変わったことに気が付いた。相談したわけでもない、自分の悩みが解決したわけでもない、それでもささやかな変化が感じられた気がしていた。恋愛映画とかで失恋した人が海で大声で叫ぶのと似た感覚なのかもしれない……なんかそれは馬鹿みたいで嫌だなあ。


「ところで、さっきから僕の中で印象がコロコロ変わって忙しいんだけど、どれが本性なんだ」


「ふふん、乙女はなりたい自分になれるものなのさ」


 ドやぁ、と言いたげな満足そうな顔で胸を張る少女。僕は頬杖を突きながら呆れ交じりに言う。


「あれがなりたい自分だったら正真正銘サイコパスの人でなしなんだが」


 けらけらと笑う彼女はそれはそれは楽しそうで。悪戯っぽい、子供の様な笑みを浮かべて言うのだった。


「ぜーんぶ、私さ。時間、関係、シチュエーション、そういったものの影響で私の印象を受け手が勝手に判断しているだけ。人の中身が一枚岩なわけないだろう?」


 予鈴が鳴る。不思議な時間が終わりを告げる。ごちゃごちゃの感情が入り混じった鍋を地面にぶちまけたかのように、どことなくすっきりしていた僕には、その予鈴の音が先ほどとは幾分か違って感じられていた。

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