常盤喫茶・万屋

みやびき

一品目 入店

 やっと引っ越しが終わった。同時に、両親も帰っていく。十八年間いつも誰かが身近にいたありがたみが、ようやくわっかた気がする。


 俺は、今年から大学生だ。高校三年生では、死に物狂いで勉強した。

 

 しかし結果は実を結ばず、第二志望の大学に何とか後期試験で合格した。実際のところ悔しさのほうが大きく、なかなか前向きになれないでいたが、どうやらそんな時間はないようだ。


 明日は、入学式。遅刻しないように早めに寝るのがよいだろうか。新品の布団の匂いが少々気になるが、疲労による睡魔には関係なかったようだ。


 夢を見た。とても楽しい夢だった気がするが、お思い出せない。これからの生活に期待しているのだろうか。それとも、不安から逃避したいという感情の表れだろうか。そんなことを考えながら鳴り響くアラームを止める。朝食はシリアルで済ます。簡単かつ栄養も摂取できるので一人暮らし初心者には、ピッタリの品物だ。

 

「電気消したな。持ち物もよし。」

 

心の中で「行ってきます」とささやいた。


 俺の名前は高萩浩。鹿島大学に通う、いや、通い始めた大学一年生。学部は心理学部だ。国が運営する大学である為、学費が格安である。


 趣味は本を読むことで特に考えさせられる題材が好みだ。将来的には、心理学や哲学を学びカウンセラーを目指している。


 鹿島大学と実家は距離にして五百キロメートルぐらいだろうか。知り合いなどは誰もおらず、俺にとって今日は非常に大事な日である。


 なぜなら、大学生活は人間関係で半分以上決まるといわれており、まだ人間関係が構築されていない今日を必ずものにする必要があるからだ。俺はあまりコミュニケーションが得意でないが、とりあえず隣のやつに声をかければいいのだ。そう。必ずきっかけがあるはず・・・。


 俺の大学生活は終わったかもしれない。いざ声を出そうと思っても意外と出ないものだった。きっかけは勝手に転がってくるものだと思っていたのに・・・


 周りの生徒たちは次々と連絡先を交換していき、徐々に人間関係が構築され始めている。そうなると余計首を突っ込むのが難しくなる。


 よく世間では学力なんかより人との接し方など、すなわち社会性が重視されるといわれている。そんなこと考えればすぐわかるはずだ。


 そして、俺も理解しているつもりでいた。高校時代はどちらかというと狭く深く人間関係を構築するタイプで、今目の前で起こっているような光景は苦手だ。


 相手のことを全く知らないのによく自分の情報をのうのうと公開できるなと尊敬の意をおぼえた。そんなことを考えることしかできない自分が腹立たしく感じた。

 

 大学からアパートまだは二百メートル程だろうか。自分にがっかりしながら帰路をたどる。入学式後の説明会では履修登録などに関する話があった。


 大学ではどこもインターネットを使った学習管理がなされ、パソコンをほとんど触ったことのない俺にとって最大に危機である。心配事が道に転がっている石ころのように無数に・・・。一つ、回りのやつよりも大きいのが転がっていたので近くにあった駐車場めがけて足を振ってやった。


 足は石にうまく当たらずバランスを崩した。ため息が出る。イライラがこみあげてくるのを久しぶりに実感した。

 

 お金がいくらあっても手に入らないもの。その一つに人間関係がある。

俺はよく哲学的なことを考える。今生きている理由とは何だろうか?いつかなくなるものならば、最初からなくしてしまえばよいのではないだろうか?


そんな時だった。少しさびれたようなベルの音がした


「おーい。少年、そんな暗い顔して歩くなー」


 少し低い声だった。声のした方向に目を向けると白衣を着た金髪の女性が、常盤喫茶・万屋と書かれたレトロな建物のドアから半分体を出して声をかけてきた。

身長は平均ぐらいだろうか。前髪は白色で布製のカチューシャにまとめ上げられ、白い歯を見せて笑っていた。若干幼く見えるものの、何か他の人とは違うオーラを放っているように感じた。


「あー、えーと・・・」


 あまりしっかりとした返答ができなかった。


「とりあえず、飯でも食うかー?飯まだだろ。」


 気づけば腕時計の短針は一の少し右下を指していた。断ってもよかったのだ。断る条件もそろっていた。昼食は準備してきたし、喫茶店なんかで食べたら結構金額もするはずだ。


 だが、口から出た言葉は違った。


 「あ、はい。」


 根拠なんてない。でもこの選択に重大な価値があるように感じた。選択したというよりか、脳みそが勝手に信号を発して口が従った。こう言ったほうが正しいだろうか。


 「さあ、入れは入れ。」


 彼女のしゃべり方には特徴があった。語尾を伸ばす癖がある。それが落ち着いた雰囲気をより際立たせる。


 喫茶店の中は、一昔前の時代にタイムスリップしたかのような雰囲気である。

ほとんどが木造でできており、静けさをより引き立てている。メニューはキッチンの

上に貼られた黒板にチョークで書かれている。


 客がほかにいなっかたため、少しばかりか売り上げを気にした。


 しかし、黒板には営業時間が七時から十三時とかかれていた。恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいになった。


 「てきとーに座ってくれ。」


 そういいながら、キッチンに向かった。俺はキッチンに隣接するカウンター席に座った。


「きみは、鹿島大の子―?」


「はい。今年入学して・・・」


「顔を見ればわかるよ。友達出来なくて悩んでる感じか? まぁー私も最初はできなかったしね。あっ、そうだ、名前言ってなかったな。私は、常盤沙羅。鹿島大学理工学部物理学科の三年生だー。」


 包丁がまな板にあたり発せられる音は、緊張の塊をすぱすぱと切っていき、自然と口は開いていた。


 「心理学部の高萩浩です。兵庫からきて、」


 「兵庫かだいぶ遠いなー。てことは、一人暮らしか。なら、今日はただでいーよ。」


 「いいんですか?」


 「甘えられるときは甘えといたほうがいい。私の経験からだ。」


箸で卵をとく音がした。

 

「 そういえば、この辺は飲食店が多いだろー。」


確かに言われてみればそうかもしれない。通学路だけでも三、四十個あった。


「そうですね。特に海外物が多かった気がします。」


「中国、インド、ドイツ、えーと、あれだオーストリアとかウクライナの料理店があったはずだ。まぁ、頑張って友達作っていくといいさ。」


彼女の言葉には余裕がある。そしてどこか知性に溢れている。ただ、どちらかというと謎に包まれている部分が多いと感じる。まずは白衣だ。場違いすぎる。


 「常盤先輩はなんで白衣を?」


 「あぁー、沙羅でいいよ。私は飛び級してもう研究室はいっているから結構着る頻度高いんだよねー。気づいたら着てたみたいな感じかな。」


 文系の自分に研究室というワードはあまり関係ないものだ。

研究の代わりに資格などの勉強に時間を費やすのが一般的で、早いうちからの努力が大切だと聞いたことがある。


 段々と、いいにおいがしてきた。自分でもあまり気づかなかったが、相当おなかがすいていたらしい。

 

 「ほいっ、うちの看板メニューだ。」


 そう言ってカウンター越しにオムライスが目の前に置かれた。喫茶店内が少しばかり暗いせいだろうか。オムライスの色は鮮明だった。食べる前にカバンからスマホを取り出し、シャッターを切った。


 「最近は男子もそういうことするのかー。」


 「増えてきてると思いますよ。 でも、これすごくおいしそうだったので・・・」


沙羅は頬杖をつきながら言った。


 「ほめてもなにもでないからなー。」


 「これ食えるだけで十分ですよ!」


 実際味もすごくおいしかった。卵が固まりきっておらず、口の中でとろけていく感覚がなんとも贅沢なものだった。


 俺は色々と気になっていた質問を、口を押えながらたずねてみた。

 

「ここって万屋も・・・というか、経営とかも全部沙羅先輩がやっているんですか?」


 もし彼女一人で全部やっているのだとしたら、かなりのスペックの持ち主だ。そして、万屋というのも気になる。ドラマやアニメで見たことはあるが、現実ではなかなかないものである。


 「そーだな、基本私が全部。でも、一人友人がバイトで入ってくれるから助かってる。 万屋ってのはまぁーサブみたいなもんだよ。たまにお手伝いの依頼が来るぐらい。引っ越し、うちに頼んでくれてもよかったのにー。まぁ、お金はそれなりにはかかるけどなっ」


 「いや、最近こっち来たばかりだし・・・あと、あまり先輩のおこずかいを増やしたくないですから。」

 

 ちょっとだけふざけてみた。なんとなくだが、こういうことを言っても大丈夫な人だと思った。


 全部自分でやっているとは驚きだ。だが後者については、とりあえず反論しておく。


 一人暮らしをはじめて感じるようになったこと。それは悠々とお金を使う人を見たとき、すごくなんというかこう、うらやましく感じる。

高校時代の帰りに何げなく買っていたお菓一つに手が出ないのだ。


 「結構生意気だなー後輩君。」


こちらを挑発するような目で、体をカウンターから突き出し顔を近づけてきた。


 「いや、後輩君って・・・」


 「別に事実なんだしいいだろ?」


 「別にいいですけど」


 そんな会話を交わしながら、オムライスをたべ終えた。おいしかったと伝えるととても満足げな顔をしていた。


やはり、他人からの賞賛はうれしいものである。


 その後、履修登録などのやり方を教えてもらい、時計の短針は三を指していた。これ以上長居するのも失礼だと思い帰宅の準備を始めた。


 「もう帰るのか?」


 「そうですね。俺もやることがあるので。」


 特にやることはなかったが、こういえば、自然な流れができそうだと思った。


 沙羅先輩は少しだけさみしそうな顔をしていた。


 「なら仕方ないな。」

 

 「もしかして、さみしいとかですか?」


 「・・・後輩君。あまり先輩をからかわないほうが、この先楽だ。何か言うことがあるんじゃないか?」


 笑顔でそんなことを言ってくる。恐怖を感じ、とりあえず謝っておいた。だが、こちらがふざけてもしっかりと対応してくれる。ほんとによい先輩に出会えた。リュックサックを右肩からかけ、先輩にお礼を言おうとした瞬間、先輩のほうから声をかけてきた。


「よかったら家でバイトしないかー?」


 テーブルにもたれながらそう言ってきた。こちらにしてはすごくありがたい話だった。大学に近いバイトはほとんど埋まっており、遠くまで行く必要があった。それがこんなにも大学の近くでさらに、沙羅先輩のような人がいるとなると断る理由なんてなかった。


「一旦考えます。」


 そう答えておいた。好条件でも即決はできない。なんとなくだが、そういう信念が

自分の中にある。


 「そうだな。急に決めるのもよくない。また来てくれー」


 「わかりました。今日はありがとうございます!」


 そう言って店を出ようとした。その時だった。少し慌てた様子で五十代後半ぐらいの女性が店に入ってきた。


 俺はその人と入れ替わるようにして店を出た。


 「ここって結構前に有名だった万屋さんでしょ?」


 来店した女性の言葉が聞こえたがあまり気にせずドアを閉めた。本心を言うと、とても気になったがこれ以上邪魔できないと思い店を後にした。


 その後、もう一人店に入ったのだろうか、あのさびれたベルがなった。先輩の言っていた友人かもしれない。

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