ネバーランド

はるむら さき

ねえ、ティンカーベル。

百人の詩人が集まっても、ボクの今の気持ちを言葉には出来ないよ…。




キャプテン・フックが、蒼月三十一日でネバーランドから居なくなることが決まった。

飼っていた彼のワニ達が、新種の伝染病にかかったらしい。

それは人にはうつらないらしいけど、治療方法は全く不明。高い熱を出して死んでいくワニをフック達海賊団は、重くて冷たい感情渦巻く心で、見送ってきた。

百匹のワニが死んで、やっと分かった対処方法。

とにかくキレイな水で身体を清潔に保つこと。そして、感染したワニは隔離して、他の個体を側に近づけないこと。それから、子どもとワニを接触させないこと。

理由は全くもって分からないが、この強力な死の病は子どもからワニへと感染するらしい。




かつてフックは子どもだった。

ネバーランドに最初にやって来た二人の子ども。ピーターパンとその親友。それが彼だった。

二人は孤児で、この夢の国へたどり着く前は、いつも暗くて汚いどこか知らない場所をさ迷っていた。

腐った魚やカビたパン。残飯でもありつければまだマシで、何日も空腹が続くこともザラだった。

寝床だって、風を遮る場所さえあれば上々。

眠りにつく時は、危険が近づいてきたらすぐ逃げられるよう、どちらか一人が起きていた。

キリキリと続く緊張に、終わりない空腹。

なんの希望もない世界でそれでも二人で支えあって生きていた。

どこを目指しているのか、何を成し遂げたいのか。

生きるために進むのか、進むために生きるのか。それさえ解らなくなった頃、辿り着いたのが、このネバーランドだった。


砂漠の真ん中に急に現れたオアシスの如く、信じられない景色が少年達の目の前に、突然現れた。

口をぽかんと開けて呆然としていると、美しい羽の妖精が飛んできて、二人を歓迎してくれた。

「ようこそ。ネバーランドへ」

夢でもいいと思った。

この国では、世界中の美味しい食べ物も、清潔でかっこいい服も、ふかふかのベッドも、風をしのぐための家も。今まで欲しかったものすべてが与えられた。

あんなにも憧れていた遊園地さえも、国にはあって、それは二人の貸し切りだった。


「何か見返りを求められるのではないか、そろそろ逃げよう」

「こんなに良い所は二度とない。相手を信じきったフリをして、様子をみよう」


最初こそ、二人とも警戒していたが、何日経っても、何ヵ月経っても、妖精達が二人に代償を求めることはなかった。

そんなやわらかい幸せに飼い慣らされ、二人の警戒はいつかどこかへ消えてしまった。


「きっとこの国は、今まで辛いことばかりだったボク達に、神さまが与えてくださった奇跡なんだ」

少年達は妖精を心から信じ、その国にずっとずっと住むことを決めたのだった。



その後、いくつも月が空を巡り、花が咲き、雪が降った。

その間に二人は妖精と自分達の国をよくするために色々なことをした。

高く伸びすぎた樹を切り、それを使っていろんなデザインの家をたくさん建てた。

ひとつに飽きたら、次の家に住むのだ。こんな贅沢なことはない。

また、家の側に川の水を引き、河から海へ出て、美味しい魚や貝を捕りに行けるよう、船の通れる幅に河を広げたりした。

二人は孤児の頃に色々な仕事を日雇いで経験していたので、わりと何でも器用にこなした。

それでも、どうしても解らない時は妖精に意見を聞きにいった。妖精はいつも快く二人の欲しい答えをくれた。




ネバーランドに着いてから、相当の年月を過ごした。

少年達が、とっくに老人と呼ばれてもおかしくないほどの時が流れたというのに、二人は少年のまま、そこから年をとることはなかった。

「ここはきっと天国なんだ」

「ボク達は天使になったのかもしれないね」

二人が今までで一番やさしく笑いあった時だった。

いつもは笑顔を返してくれるはずの妖精が、何の表情もなくポツリと言った。

「ねえ、ピーター、フック。そろそろ、世界中から無差別に、他の子ども達も連れてきましょうよ。たくさんいれば、もっともっと、ネバーランドは楽しい国になるはずでしょう?」

その言葉にピーターは「良い考えだね」とすぐに賛成したが、フックはいつもと違う妖精の表情に、何かほの暗い恐ろしいものを感じて、何の返事も出来なかった。


その日の夜。

昼間あった出来事について、フックはピーターに言った。

「今日のティンカーベルはなにかおかしかったよ。お前も見ただろう、何の感情も無いようなあの顔を。昔、孤児だった頃。オレ達を騙そうとした大人と同じ顔をしてた。きっと、いよいよ今までの代償を払わされる時が来たんだよ」

言葉を繋ぐ内に、フックの顔は青ざめていく。

「なあ、逃げようピーター…」

「ダメだ」

フックの声を遮るようにピーターの声が重なる。

「ボクだって馬鹿じゃない。アイツが何かを企んでいることくらい解るさ。けれど、今さら…。今さら、こんな幸せから逃げ出して、元の辛い世界に戻ることも、無理だ」

「っ!でも、二人ならまた、何とか…」

なおも良い募るフックに、諦めのため息をつきながら、ピーターは言う。

「なあ、フック。もう手遅れだよ。ボク達は幸せを手に入れすぎた。この国の外へ一歩でも出てみろ。何もかもを求めて、何もかもが足りなくて、あっという間に死んでしまうよ…。少なくとも、ボクはね…」

二人の間に沈黙が訪れる。

ネバーランドへ来て初めて、重く苦しい時間が流れた。

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