【声劇台本】毒吐き0円【原案:IEOIさん】

澄田ゆきこ

本編

鈴木:はい、もしもし、鈴木です。お疲れ様です。……今ですか? 退勤中ですけど……。……え? 明日の会議? それって営業アシスタントも出るんですか? ……い、いえ、初耳だったもので……。 ……え、朝イチで資料? ……いや、違うんです、不服とかではなくて……! はい、作ります! はい、はい……承知いたしました。はい、失礼します。


(長い溜息)明日も7時には出勤しなきゃなあ……。最近こんなのばっかだ……。

帰って夕飯作る気力もないし、何か食べて帰るかなあ……。どうせならお酒も飲みたい。ていうか飲まなきゃやってらんない……。どこかちょうどいい店は、っと……ん? 見たことない店。新しくできたのかな。


看板が出てる。「バル ヴェレーノ」……牡蠣のアヒージョ、カプレーゼ、気まぐれピクルス、本格石窯ピザ……全部美味しそうだし、値段もそんなに高くない。入ってみよう、かな……。初めてのお店って、緊張するけど……。


……ごめんくださぁい。


店主:いらっしゃいませ。おひとり様ですか?

鈴木:あ、はい……。

店主:お好きな席にどうぞ。今なら選び放題ですよ。

鈴木:ええっと……。(数秒、沈黙)

店主:(微笑し)ほかにお客さんがいないと、入りづらいですよね。わかります。どちらでもいいですよ。

鈴木:……すみません、悩んじゃって。人見知りなもので……。はは……。

店主:大丈夫ですよ。バルは、お客様それぞれが、自分の好きな時間を過ごす空間です。どんなお客様でも大歓迎ですし、合わないと思うなら引き止めません。お客様の好きになさってください。

鈴木:じゃあ、その……入ります。

店主:(微笑し)ありがとうございます。では、どうぞ。

鈴木:失礼しまぁす……。


店主:こちら、当店のメニューです。本日のおすすめは、タルタルステーキです。

鈴木:……タルタルステーキって、タルタルソースのかかったステーキですか?

店主:(微笑し)いえ、フランスの伝統料理です。乱暴な言い方をすれば、「洋風ユッケ」とでも言いましょうか。生肉をトリミングして細かく刻み、たまねぎやピクルス、粒マスタード、ケッパーなどと和え、真ん中に卵黄を落とします。

鈴木:へえ、美味しそうですね。……じゃあ、それを。あと、三種チーズの盛り合わせと……。……この、気まぐれピクルスっていうのは、なんですか?

店主:その日によって違うピクルスをお出ししております。本日はラディッシュとパプリカ、蓮根を使用したものになっております。

鈴木:蓮根? 珍しいですね。……じゃあ、それも。

店主:かしこまりました。お飲み物は何にいたしますか?

鈴木:赤ワインは何がありますか?

店主:ライトボディからフルボディまで、多数取り揃えてございます。お客様のお好みのものをご用意いたしますよ。

鈴木:うーん……。飲みごたえは欲しいんですけど、あまり渋みが強いのは得意じゃないんですよね……。

店主:では、オーストラリア産のイエローテイル・メルローはいかがでしょう。ミディアムボディで、ジャムやチョコレートのような甘い香りが特徴です。まろやかな飲み口で、お料理にもよく合いますよ。

鈴木:じゃあ、それで。

店主:ほかにご注文はございますか?

鈴木:いえ、大丈夫です。

店主:かしこまりました。では少々お待ちください。


鈴木(N):ひとつ慇懃に礼をして、店主は、カウンターの奥へと姿を消した。おそらく厨房に向かったのだろう。手持無沙汰になった私は、改めて店内を眺めてみた。席は、私が座っている場所を含めて、カウンターが5席。小さな店だ。料理を用意する音と、外国語のジャズだけが店内に静かに響いている。カウンターにずらりと並べられたボトルと、きれいに磨かれたグラス。落ち着いたいい店だ。入るときは緊張したものの、なかなか私好みの雰囲気だった。

手元のメニューを改めて見てみる。空腹のせいで全部が美味しそうに見える。レギュラーメニューはラミネートがされていて、「本日のおすすめ」はヴィンテージ感のある紙に、おそらく手書きの文字が綴られている。

その一番最後の行に、変わったメニューがあった。


「毒吐き 0円」


なんだろう、これ……?


店主:お待たせいたしました。こちらお先に、赤ワインと、三種のチーズ、それからピクルスです。タルタルステーキはもう少々お待ちください。

鈴木:あ、ありがとうございます。あ、あの……。

店主:なんでしょう?

鈴木:これ、なんですか? この、「毒吐き」ってやつ……。店員さんに相談したら、毒舌で意見をくれる、とかですか?

店主:ははは、逆ですよ。毒を吐くのはお客様です。毒と言っても、毒舌の毒ではなくて、お腹に溜めたストレスを吐く、という意味です。身体や心の健康にとっての毒ですね。要は愚痴聞きです。

鈴木:ああ、なるほど……。

店主:興味がおありですか?

鈴木:まあ、少し……。

店主:引き返そうか悩むほど、人見知りだとおっしゃっていたのに。今日はお口チャックの日かと思いました。

鈴木:いやあ、はは……なんとなく、気になって。

店主:これまでの言動から、お客様は、とても慎重で、どちらかというと物事をまず悲観的な視点で見るタイプだと推測しました。おそらく気遣いもできる方でしょうが……同時に、少し流されやすいところもある。違いますか?

鈴木:……! な、なんで……。

店主:何、ちょっとした推理ですよ。私は人間観察が趣味なんです。

鈴木:……そんな分かりやすいかな。

店主:ただの勘ですよ。……さて、そんなお客様ですから、日々抱えるストレスも大きいでしょうね。例えば……仕事のこととか。上司と部下の間に板挟みになっているとか、ね。

鈴木:すごい。なんでもわかっちゃうんですね。

店主:ははっ、単なる憶測ですよ。でも、当たっているんですね。

鈴木:……はい。(そのまま言葉を探して黙り込む)

店主:そうですか。なら、ここはひとつガス抜きと行きましょう。お料理がそろったら、お付き合いいたしますよ。今日は予約もありませんし。タルタルステーキが出来上がるまで、もう少々お待ちくださいませ。先にこちら、召し上がっていてください。

鈴木:ありがとうございます……。

(数秒後、小さい声で)いただきます。……あ、おいしい……!


店主:お待たせいたしました。タルタルステーキです。

鈴木:ありがとうございます。……あの、ワインもチーズもピクルスも、すごく美味しいです。

店主:ありがとうございます。そちらもぜひ召し上がってください。

鈴木:いただきます。(咀嚼)……んん~!(感嘆)

店主:はは、そんなに美味しそうに食べていただけると、作った甲斐がありますね。

鈴木:はっ、すみません……私ったら……。恥ずかしい……。

店主:何も恥ずかしいことはございませんよ。素敵なことです。

鈴木:そんな……ありがとうござい、ますっ……(泣き出す)

店主:……お客様?

鈴木:すみません、私、最近涙腺がおかしくて……。(泣きながら)

店主:……やはりあなたには、「毒吐き」が必要なようだ。私でよければ、お話、お聞きしますよ。

鈴木:いいんですか……?

店主:お客様さえよければ。無理にとは申しません。

鈴木:……お願いします。……でも、私、話すのとか下手で、何からお話していいか……。

店主:ではこうしましょう。――あなたが今一番、殺したい人間は誰ですか?

鈴木:……殺したい?

店主:ええ。殺したいほど憎い。そんな風に思っている相手がいるんじゃありませんか。けれどあなたは、善良で規範意識が強い人間だ。「そんなことを思ってはいけない」と気持ちを抑え込み、結果として自分を責めている。そうじゃありませんか?

鈴木:どう……なんだろう。そうかもしれないし、……あ、でも……。

店主:思い当たる節があるようですね。

鈴木:……。

店主:どうぞ、ここでは思う存分毒を吐いてください。聞いているのは私一人だけ。そのほかには誰もございません。

鈴木:……(迷い、言葉を探す)。わ、私は……

店主:はい。

鈴木:私が殺したいのは、上司、です……。

店主:なるほど。なぜでしょう。

鈴木:パワハラがひどいんです。私の職場、ちょっと……いや、かなりブラックなんですけど。その空気を作り上げているのが、紛れもなく、私の直属の上司なんです。無茶ぶりは多いし、ひいきもひどいし……。自分も残業しまくるから、部下の私たちだって、なかなか定時には帰れなくて……。今日だって、明日の会議の資料を明日の9時までに用意しろって、急に……。そのうえ、部下が思い通りに動かないと、すぐ不機嫌になって……。

店主:それはそれは。昨今なかなか見ないほど典型的なタイプですね。

鈴木:そうなんです。うちの会社、小規模だし体制も古いから、そういうのが当然のようにまかり通ってしまうんです。それに、人事の決定権を持っているのもその上司なんですけど、男女差別も平気でするんです。「女の子は養ってもらえるんだから」とか「女の子はサポートに回った方がいいでしょ」って、私はいつまでも営業アシスタント止まりで、昇進も昇給もない。男性社員はどんどん昇進していくのに。

店主:それは、悔しいですね。

鈴木:そうなんです。入社して何年かは、男性社員にも負けないようにって、私、必死にがんばっていたんですけど……。もう最近は疲れてしまって。頑張っても無駄だって。だから、仕事を流すようになりました。

店主:そうなんですね……。

鈴木:ええ。仕事に期待をしなくなってから、多少は楽になりました。……でも。

店主:でも?

鈴木:……去年、部下が入ってきたんです。女の子です。仕事のできる子で、最初は私のサポートをしてもらっていたんですけど、すぐに仕事を覚えて、今ではもうどっちが先輩なのかって感じなんですけど……まあ、自信家なぶん、何かと波風を立てる子で。まっすぐ意見を言うんです。「私にはどうにもできない」って言うと、例の上司に直接もの申すようになりました。最近の若い子ってすごいですね。やっぱり世代が違うのかな。

店主:なるほど。それであなたは板挟みになっているというわけですか。

鈴木:はい。上司は、私に「あの子をどうにか落ち着けてくれ」って押し付けてくるんです。「後輩なんだから、ちゃんと言い聞かせろ」って。要するにしつけろってことですよね。後輩は後輩で、「上の世代の女性社員たちがはっきり異を唱えなかったからこうなってるんじゃないですか」って、私を非難するようなことも言うし……。

店主:ははあ。それは困りましたね。

鈴木:本当、困ってます……。……でも、わかってます。悪いのは、誰にも逆らえない私だって。

店主:そうじゃないでしょう。

鈴木:……そうでしょうか。

店主:ええ。悪いのはあなたじゃない。「逆らえない自分」をふがいなく感じる気持ちはわかりますが、まず問題の根元にいるのは、あなたの上司でしょう? だから、「殺したい人間」と聞かれて、真っ先に思い浮かんだ。あなたも本当はわかっているんじゃないですか。それに……それだけじゃないんでしょう?

鈴木:……。

店主:言いづらいことなら、無理に言う必要はありませんよ。

鈴木:いえ……。話します。ここまで話してしまったし、自分の中のものは全部吐きだしてしまいたい。

店主:わかりました。

鈴木:……その、例の上司、なんですけど……。

店主:ええ。

鈴木:パワハラだけじゃ、ないんです。セクハラもひどくて。単に女性差別があるってだけじゃなくて、もっと直接的な……。……私、お酒の席で、人目がないところに二人きりになった隙に、抱き着かれたことがあって。服に手をかけられて……。私、怖くて、声も出なかった……。

店主:それは……おつらいですね。

鈴木:……でも、私、どうしたらいいんでしょう……。(泣き出す)

店主:まずは気分を切り替えましょう。そうですね、楽しい想像をしましょうか。

鈴木:楽しい想像……?

店主:ええ。――もし、法がなければ、どんな風に殺してやりたいですか。

鈴木:え……?

店主:あくまで「もし」の話ですよ。想像するだけなら、何の罪にも問われません。

鈴木:……でも、そんなこと……。

店主:言ったでしょう。今この空間には、私とあなたしかいません。誰にとがめられることもない。あなたは自由なんですよ。

鈴木:自由……。

店主:ええ。

鈴木:……。

店主:……。

鈴木:(ためらいがちに)真っ先に浮かんだのは、ナイフです。……今、手にもっているからでしょうかね。このナイフじゃ、とても人は殺せませんけど。

店主:なるほど。いいじゃないですか。……少々お待ちください。「小道具」をお持ちしましょう。


鈴木(N):店主は再び、カウンターの奥の暗闇へと姿を消す。私は残った料理を所在なく口に運んだ。「殺す」という物騒な言葉を聞いたからだろうか。タルタルステーキの生肉の赤や、ワインの赤が、やけに毒々しく見えた。


店主:お待たせしました。


鈴木(N):そう言って店主は、銀色に光る包丁を、ごとりとテーブルに置いた。


鈴木:ひっ……!

店主:おっと、驚かせましたか。落ち着いてください。何もあなたを刺し殺そうってわけじゃない。

鈴木:じゃあ、なんで……。

店主:言ったでしょう。「小道具」です。想像は具体的な方が面白いじゃありませんか。

鈴木:そんな、面白い、なんて……。

店主:さあ、どうやって殺します? 簡単に致命傷を負わせるなら、腹部を刺すのがいいかもしれませんね。死体の処理はどうしましょう? 女性だと少々骨が折れますから、例えば私がお手伝いしたとして……そうだ、うちには業務用の冷蔵庫もありますし、調理してお客さんに振る舞うのもいいかもしれませんね!

鈴木:(短く悲鳴を上げる)じゃ、じゃあ、これ……。

店主:ははっ、嫌だなあ、心配なさらなくても、これはただの牛肉ですよ。

鈴木:(荒い息を整えようとする)

店主:不安なら、うちの冷蔵庫を覗いてみますか? 大丈夫ですよ。人の手足がごろごろ……なんてことはありませんから。

鈴木:い、いえ、結構です! 

店主:そんなに怖がらないでください。冗談ですよ。

鈴木:……あ、あのっ、私、帰ります! 会議の資料作らないといけないから、明日、早くて……!

店主:そうですか。……すみません、少し意地悪をしてしまいました。お客様の反応があまりにも――言葉を選ばずに言うと――面白くて。

お代はけっこうです。明日は良い日をお過ごしください。


鈴木(N):私ははやる気持ちで鞄を持ち、席を立った。出口には鍵がかけられていた……なんてことはなく、店主はドアを開けて外に促してくれた。私は動悸と震えを押し殺しながら、どうにか店主に頭を下げた。


店主:気をつけてお帰りください。夜道は暗いですから。

……そうだ、よければまたいらしてくださいね。どんなことでも、相談に乗りますよ。


鈴木(N):最後に店主はそう言った。


異変が起こったのは、その翌週のことだった。例の上司が忽然と姿を消した。会社は無断欠勤で、社員が彼の住むマンションに訪ねて行っても、家族も彼の行方を知らないという。要するに消息不明だった。警察も出動する事態になったが、彼の姿はついにどこにも見つからなかった。

あれ以来、私は店の敷居をまたぐことはしていない。それでも、帰り道にあるその店の前は、時々通る。店にはいつも薄暗い明かりが灯っていて、ドアには「OPEN」の札がかけてある。ある時、その札を「OPEN」から「CLOSE」にかえようとしている店主を見つけた。私はすぐに目をそらそうとしたが、店主はめざとく私をみつけ、にこり、と黙って微笑みかけた。

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