08:「ダンスは苦手?」と陛下は聞いた

 1,2,3。1、2,3……


「ご、ごめんなさい。少し休ませて下さい」


 そう言って肩で息をする私に、初老のダンス教師はほんの少し顔をしかめつつ手拍子をやめる。同時にピアノの音も止まり、私はへなへなと床に崩れ落ちた。


 18年の生涯をすごした日本からこのアデリア王国なる国へやってきたのが数ヶ月前。与えられた役はこの国の王妃。異世界から来る黒髪の乙女が王妃となる時、国はとみに栄えるのだとか。


 転生に際し、丈夫な体を与えてくれた神様も運動神経ばかりはどうにもならなかったらしい。お披露目の夜会まで一月を切ってもダンスの腕は全く上達しなかった。


 とはいえ、陛下に恥を欠かせるわけにもいかない。息を整えて立ち上がったところで、突然部屋のドアが開いた。


「陛下!」


 慌てて陛下の方を向き、膝を折る礼をする。陛下はカツカツと音を立てて私の方へ来ると、こう問いかけた。


「そなたはダンスは苦手か?」

「……あまり得意とは」


 長身とあまり変わらない表情のせいで最初は怖い人、という印象だった陛下。しかし本当は優しい人なのだ、ということに気づくのに時間はかからなかった。


「そうか。では私が練習相手になろう」


 今も表情こそしかめ面に見えるが声音は優しい。ふわりと手を取られ、もう一方の手でゆるく腰を支えられた。


「……? 陛下? 」


 陛下の合図でピアノが鳴り始めるが、陛下は動かない。訝しげな私に陛下の声が降る。


「まずは音楽を聞くことだ。そしたら今度はゆっくり動こう」


 言う通り軽やかなワルツに耳を傾ける。少し体が揺れ始めたところで、陛下が私の手をひく。


「1、2,3。1,2、3」


 リズムを刻むのは低く優しい声。ほんの少し、少しずつ陛下の手が私を導く。ゆっくり、ゆっくりと私は陛下とステップを踏んだ。


「「1,2,3。1、2、3」」


 陛下と視線を合わせ、一緒にリズムを口ずさむ。陛下に腰を支えられ、クルリとターンをしてみると、彼は今までで一番柔らかく微笑んでくれた。


 広いホール。大理石の床。いくつもの楽器が奏でるワルツ。陛下の瞳と同じ青いドレスを着て、私は陛下とステップを踏む。


 一度緊張のせいか、ドレスの裾を踏み、転びかけた私だけど、陛下は慌てることなくひょいと腰に手をかけて、私を抱き上げてくれる。


 そのままクルリと回転し、床の上に私を戻してくれる陛下。こんなステップ習ったことはない。でも私達を見守る人たちの視線は微笑ましげだった。


「もう陛下! ……でもありがとうございます」


 私の囁きに陛下はいたずらが成功したように笑う。最近は陛下もいろいろな表情を見せてくれる。陛下はそれから少し思案げにこう聞いた。


「ダンスはまだ苦手か?」

「いいえ。でも陛下とばかり練習していましたから……他の方と踊れるか心配です」


 王妃ともなれば社交も求められるだろう。そのことを思い出し少し不安になる私。一方陛下は私の言葉を聞いて少し顔をしかめた。


「どうされました? 陛下?」

「そなたは私の婚約者で、一月後には私の妻だ。私以外と踊る必要などない」


 そう囁いた陛下は私の腰を抱く腕にギュッと力を込めた。

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