第46話(最終回)

図書館18、

 

 図書館に行こう。ぼくといっしょに。

 

 エントランス・ホールの大階段グランド・ステアケースを降りきったとき、グランド・ファーザー・クロックが殷々と八点鐘を響かせた。胸が痛んだ。もうこの音を、彼女と一緒に聞くことはないのだろうか。

 図書館は相変わらず、ぼくを受け止めてくれている。アルバイトがない休日は、図書館を訪れ、スウがよく利用していた書見台に座る。我ながら未練がましく、他人からしてみれば気色悪くも思えるだろうが、知ったことではない。ぼくはそこで、本を読む。ぼんやりと考え事をする。小説の構想を練り、メモを書き、思いついた言葉を記す。夕食の献立を考え、アルバイト先で注意されたことを思い出し、調べものをする。

 だけど、ぼくに近しいものたちはみな、この場所から姿を消しつつあった。

 たとえば図書館員さん。彼らは、今はもういない。

 セコウ氏の犯罪が明るみに出ると、渦巻町では〈反図書館〉とでも言うべき運動が、澎湃ほうはいとしてわき起こった。まるで日常を侵蝕した〈穢れ〉を祓おうとするように、図書館を渦巻町から消し去ろうという動きだ。忌まわしい出来事の舞台である図書館が無くなれば、出来事そのものがなかったことになるかのように。

 無論、図書館自体はあくまで私有地であり、そうそう簡単に〈無くす〉ことはできない。すると今度は、図書館の運営に渦巻町を参画させるよう、町から要求がなされた。

 図書館を運営している母体はオリタケ氏の残した財団であるが、財団理事でもあったセコウ氏の件があるので、これを断り切れなかったようだ。渦巻町側の旗頭は〈犯罪防止〉〈治安維持〉であり、その〈民主的な介入〉を拒否することはできなかった。

 〈図書館警察〉が解体されたことで、市警が図書館内へ介入できるようになったのを皮切りに、議会が提案した〈安心安全な〉〈サービスの合理化〉の最初が、図書館員さんの廃止だった。

 曰く〈治外法権でブラックボックス化されがちな図書館内での業務では図書館員の安全は確保されない〉〈町が運営に参画する以上、住民の利用率が低い事業に予算(人件費)をかけることは許せない〉〈リファレンスは端末機器で行うか、どうしても人間が対応しなければならない場合は、リモートで委託した民間業者が対応するようにすべき〉とされた。

 そしていま、図書館と渦巻町との連絡通路には、〈上町アップ・タウン〉の入口に居座っているような厳めしい警備自律機械ドロイドが、睨みをきかせている。ぼくなどからすれば、図書館を利用しにくくさせているようにしか思えなかったが。

 コシロが教えてくれたのだが、渦巻町はオリタケ氏の財団に、図書館の〈買い取り〉をしきりと打診しているらしい。いずれはこの場所を手に入れ、町の為政者や企業や市民にとって〈有用ユースフル〉な、あるいは〈有益ベネフィシャル〉な何かに作り変えたいのだろう。居住区なのか商業施設なのかはわからないけれど。彼らにとって、何らの利益ベネフィットをもたらさないものは、すべて無用の長物、コスパを考えない〈悪〉にすぎない。もちろん、〈図書館〉そのものもまた。

「ボクたちも、そのうち追い出されるかもしれないね。無用の長物ホワイト・エレファントだから」

 コシロはそう自嘲気味に笑った。

 そのときが本当に、スウのいた名残りが、完全に消失するときだろう。

 

 ぼくは今日も、アルバイトに行く。荷物を運び、社員に注意され、事務の女性従業員にあめ玉をもらったりする。

 帰る道すがら、商店街で、私服姿の双子の警官ズにばったりと遭遇した。二人とも警部の推薦で、市警に転籍することになったらしい。警部は〈図書館警察〉の面々が、次の働き口にスムーズに移れるように骨を折ってくれたのだと言う。しかし、肝心の警部本人が市警に来るかは不透明らしい。誰よりも自身が、警官を続けるか否かの去就を決めかねているのだ。

 あの人は、警官に生まれついたような人なのに、と警官ズの片方(たぶん黒ペン)が嘆息する。だな、と(たぶん)赤ペンが同意する。

 着ている物は違うのに(片方はパンキッシュな黒いレザージャケットで、もう片方は上品なパステルカラーのニット)、全体の雰囲気だけはおそろしく似かよっているのがおかしい。二人は、買い物のつまったショッピングバックをぶら下げ、並んで去っていった。

 当たり前だが、事件が終わっても、みんなの生活は続くのだ。

 ふと考える。

 小説には、大まかに〈大団円形式のエンディング〉と、〈終わりなき終わり方〉があると聞いたことがある。だがどんな形式にせよ、小説は終わる。少なくとも、本の最後のページを閉じたときにぼくたちは、小説が終わったことを認識する。極端なはなし、中絶した絶筆作であったとしても、〈エンディングがなかった〉という〈終わり〉は確実に訪れる。

 小説には終わりがあるが、ヒトの〈生〉のピリオドをーー少なくとも自分のピリオドをーー人間がることはない。命尽きるその瞬間まで、生活は続く。 

 

 以前に読んだ小説に、こんな一節があった。《世界の三大嘘っぱち》とは《きっとよくなる。何もかもだいじょうぶ。わたしがそばにいる。》だと。

 けだし真理といえよう。

 嫌というほど抗いえない〈現実〉を見せつけられた者にとっては、ことに。

 まちがえて、しくじって、手も足も出ないで泣いたことのある者にとっては、特に。

 にもかかわらず、その小説には《嘘はわれわれの存在を支える土台》とも描かれていた。《赤ん坊は一歳になる前から嘘泣きを覚え、二歳までにははったりを口にするようになる。》《五歳になるころにはあまりに突飛な嘘はなかなか信じてもらえないと学習する。》

 ちょっとした嘘ーーいいわけ、ごまかし、あるいは気づかいーーなしに、ぼくたちは円滑なコミュニケーションをとることすらままならないらしい。良い嘘と悪い嘘があるという意味ではない。意識という一瞬一瞬の不連続な事象をつないでぼくたちは、自我という一貫しているようにみえる何かを仮構する。ほかでもない、自分を守るために。説明のつかない、しっちゃかめっちゃな〈ありのまま〉の世界に対する生理的な防御反応だ。生きのびるための、言わば必要悪が〈物語ストーリー〉だ。物語は、それ自体には何の価値も根拠もないのかもしれない。でもそれは、冷笑的な相対主義で否定できるものじゃない。もっとあられもなく切実で、抜き差しならぬものなのだ。

 ぼくはコシロの言葉を反芻する。

 ぼくにも物語が必要なのかもしれない。

 あるいは、よく出来た嘘が。

 

 土曜日のその日の帰り道、商店街を通り抜け〈うずまきパーク〉を散歩した。珍しく荷物が少なくて、アルバイトが早上がりだったからだ。

 日暮れ間近でも、パークは賑わっていた。遊歩道の左右のスペースにシートを敷いて、住人が思い思いの品物を並べていた。

 歩きながら、しばらく眺めているうちに、フリーマーケットだと気づく。

 レディースのコートが吊るされているハンガーラックがあり、食器やカトラリーの置いてあるシートがあった。幼児用のオモチャや、トートバッグや、サボテンの鉢植えを売る人もいる。

 ある一画で、七〇年輩の女性とその孫娘とおぼしき二人が、肩を並べて営んでいた。

 よく似た顔立ちの、仲の良さそうな二人で、ステンレスボトルからコーヒーをマグカップに注ぎ、おしゃべりをしながら美味しそうにすすっていた。

 二人の前には、白木の天板のローテーブルが二つ、置かれていた。

 大学生くらいの孫娘は、手作りのビーズ細工のアクセサリーを販売していた。チョコレート色のランチョンマットを広げて、その上に色とりどりのネックレスやイヤリングが並べてある。その隣で祖母のほうが、インテリア雑貨ーーというより〈おばちゃんの家の置物〉と呼んだ方が通りがよさそうな品々を置いていた。丸いガラスの中の結晶が天気によって変化するストームグラス。赤い座布団に乗った小さなお地蔵さん。招き猫。寄木細工の小箱などなど。

 その中でふと、ある物がぼくの目を惹いた。なぜだかは、わからない。自然に吸い寄せられるとは、こういうことだろう。それは小ぶりガラス瓶だった。

 とくに洒落たものではない。全体に緑がかった不透明なガラスで出来ていて、そのボテっとした四角い本体に、広口の首が乗っている。口は金属の王冠で塞がれていた。

 ぼくはほとんど無意識に、その瓶を手に取っていた。おばあちゃんは、客が来たこと自体に驚いたように、マグカップを慌てて置いた。

「ーーこれ、何の瓶ですか?」

 しばらく眺めてからぼくは、訊ねた。本気で用途が知りたかったというよりも、場つなぎに口から出たのだ。

「さて、何の瓶だったかしら……」

 おばちゃんが首をひねる。

「ねえ、おばちゃん。これ、値札が着いてないよ?」

 確かにそうだった。他の品物には手書きの値札が貼りつけてあるのに、この小瓶だけは何もない。よく見るとガラスのあちこちには気泡が入っていて、ちょっとだけアンティークな雰囲気だ。

「こんなのウチにあったかねぇ……」

 おばちゃんが困り顔で、孫娘を見やる。

「あったんじゃない? ホラ、あの飾り棚のごちゃごちゃした中に。わかんないけどーー」

 孫娘の記憶も、かなり曖昧な様子だ。

「これ、おいくらですか?」

 知らぬ間に訊いていた。インテリアに凝る趣味はない。部屋は寝られればいいと思っている。なのにどうしても、この小瓶を手に入れたい、そう思ったのだ。

「そうねぇ……三百円くらい?」

 またもおばちゃんは、孫娘を見た。

「いいんじゃない、それくらいで」

 孫娘が、適当に値付けする。

 ぼくは、ポケットの財布を取り出した。

 

 三百円であがなったそれをぼくは、アパートの部屋の窓際に置いた。だからといって、朝晩、熱心に眺めていたわけではなかった。正直言えば、三日もすると、買ったことすら忘れかけていた。

 変化は、間違い探しのように、密やかに忍び寄った。

 そのころからぼくの頭に、一つの嘘が、物語がとり憑き始めた。

 図書館の書見台に座っているとき、あるいは商店街でコロッケを買っているとき、アルバイトで荷物を運んでいるとき、ふっと、頭に浮かぶイメージがあった。ぼくは、思いついた場景や言葉をノートに書き留めていった。

 それらはあくまで断片で、何かしらまとまっているわけではなかった。なのに、予感だけがあった。それらを貫く〈筋〉が見えてきそうな、そんな予感だ。いずれぼくは、それを書き出すことになるだろう。

 物語は、こんな冒頭になる予定だ。

 

《母は玲瓏で強大な力の持ち主だった。母からわたしは〈力〉を、妹は〈美〉を受け継いだ。

 このちょっとした、しかし決定的な産み分けは、必然として、わたしたち姉妹に役割分担をもたらした。すなわち、妹は神殿の前に立ち、巡礼や民草や諸侯らに語りかける表の貌を受け持ち、わたしは神殿の奥津城にひそみ、神力をふるう裏の貌を受け持った……》

 

 (了)

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