第29話

図書館10、

 

 ユウタ・サクマは、南東北の大学に通う学生だった。あるふるいアニメの熱烈なヲタクギークで、そのアニメのキャラを使って小説を書くという、とことん古風オールドファッションドな二次創作を趣味にしていた。紙でしか残っていない旧世代のアニメ雑誌を求めて、渦巻町にやって来て、消えた。

 

 マイ・タシロは、高校の課題に取り組んでいた。彼女は、同じ題材で、AIに書かせた小説と自分が書いた小説を比較して、分析するレポートを作成していた。自宅アパートの隣で工事があり、騒音から逃れるために、たまたま図書館を利用しに行った。そして帰って来なかった。

 

 近ごろでは珍しい〈主婦〉という肩書きのユリコ・マキタは、渦巻町で、子育てのかたわら絵本や小説を書き、SNSで発表することで承認欲求を満たしていた。創作のネタを求めて図書館に通っていたが、ある日を境に家に帰らなかった。

 

 フランスからの旅行者アルチュール・トマは、いまだ残る彼の地の文壇の末席を占めていた。変わり者を自認する彼は、訪日の際に京都などの観光地ではなく、過疎地と化した関東地方を旅して回っていた。そしてどこかで噂を聞きつけ、まったく予定外に渦巻町の図書館を訪れた。彼が帰国した記録はない。

 

 リタイア後、己れの人生を回顧録にしたためていたシンタロウ・イシダは、やがて回顧録を元にした小説の執筆を計画するようになった。そして旧世代の社会風俗を調べるーーあるいは思い出すーーために足しげく図書館に通っていた。彼もまた、姿を消した。

 

 コシロのいう通り、彼ら彼女らはみな、(アマチュアかプロかを問わず)〈小説家〉だった。

「そんな……作家ばかり狙う連続殺人犯なんて、まさに探偵小説ジャッロそのものじゃないですか!」

 笑い飛ばそうとしたぼくの声はひずみ、ヒステリックな響きが混じった。

 探偵小説マニアの空想、あるいは陰謀論者の妄想だと言いたかった。だのにぼくを襲ったのは、さっきまでとはまた違う、現実崩壊感覚だった。まるで自分が物語の中に呑み込まれたような、悪夢めいた感覚。

 ぼくの狼狽をコシロは、軽くいなした。

「確かに、信じがたいさ。だが、少なくともその調書を読むと、それ以外の共通項は出てこない。考えてもみたまえ。今の時代に〈自分で小説を書く〉という行為がいかに特異なことか。そんな特殊な趣味が、〈たまたま〉被害者全員にあったという偶然の方が異常ではないかね? 探偵物のセリフにそくして言うなら、〈ありえないことをぜんぶ排除してしまえば、あとに残ったものが、どんなにありそうもないことであっても、真実にほかならない〉といったところじゃないかね?」

 そんなコカイン中毒患者の妄言を引用されても、信じられるわけはない。

 とはいえ、コシロの話は終わりではなかった。さらに奇っ怪な仮説で、追い討ちをかけてきた。

「このあいだキミに、〈図書館の怪談〉を聞かせただろう。実はあの怪談が、小説家失踪事件に関与しているとボクは考えている」

「……どういうことです?」

「怪談に、〈木男〉と呼ばれる怪人物が出てきたのを覚えているかな? あの話は、ボクも以前から、気にはなっていたんだ。だから今回、あらためて日記帳ダイアリーを調べてみた」

「日記帳?」

「オウジは、中学生のときからずっと日記をつけているのさ。ダイヤルロック付きのゴツい日記帳キティーをね。読ませてくれたことないけど」

 読ませるわけないでしょ、と母君に返しながらコシロは、続けた。

「怪談は、図書館で不定期に何度も繰り返し現れては囁かれている。ボクは昔から、図書館で怪談を聞いた際には、書き留めるようにしていたんだよ。で、読み返してみて、そのタイミングを書き出してみた」

「まさかーー」

「そう、そのまさかさ。両者を突き合わせてみた結果、怪談が現れるタイミングと、失踪事案のタイミングが一致していたことが確かめられたのさ」

「それってーー?」

「そう、ボクはその〈木男〉が、一連の事件の犯人とにらんでいるんだ」

 

 何年にもわたって世にひそみ、特定の条件の獲物を狙い続ける連続殺人者シリアル・キラー。ホワイトチャペル界隈の娼婦だけを切り刻んだ〈切り裂きジャック〉以来、数多の人びとの想像力を掻き立ててきた存在だ。むろん、現実世界に連続殺人者は実在する。エド・ゲイン然り、アンドレイ・チカチーロ然り。しかし、〈小説家だけを襲う連続犯〉となると、にわかに空想味が増す。

 ぼくは、以前に呼んだ探偵小説の、連続殺人者シリアル・キラーのタイプ分けを思い出した。被害者ターゲットの選別の仕方で分類する方法だ。

 一つは〈特定の属性を持つ被害者〉ばかりを狙うパターンで、もう一つは〈接触しやすい被害者〉を襲うパターンだった。コシロの主張では、この犯人は、前者のパターンに属していることになるだろう。だが、相手が小説を書いているなんて、どうやって特定するのだろう?

 百歩譲って、その〈木男〉なる連続犯が実在しているとして、そいつが引き起こした事案とスウの事案が同一のものだと、どうして言えるのか。あるいは、ぼくは信じたくなかっただけかもしれない。コシロが仄めかしている事態が、不穏きわまりないからだった。

「その、〈連続小説家失踪事件〉に、スウが連なっていると本気で考えているわけですか。だとすると彼女はもうーー」

「ボクは断定していないよ、どんな事態もね」コシロは注意をうながした。「しかしーーキミが不安をおぼえるもっともで気の毒にも思うがーー彼女の安否については、何一つ確かなことが言えないのが現状なんだ。ボクが考えているのは、スウさんの居どころに最短距離で近づくために、ひとまずこの仮定のもとで調査を進めればどうか、ということなのさ」

 ぼくの思考は、千千に乱れた。

 探偵はコシロだ。その彼が、一連の事案にスウを位置づけることを合目的的と判断したならば静観すべきなのかもしれない。とはいえ、想定が正しければ、スウが生きている可能性はかなり低いと思われた。それがボクを煩悶させる。ましてや肝心の〈事件〉の内容が、あまりにも安手のパルプ・フィクションめいていている。

「なぜ犯人は、小説家ばかりを狙うと?」

「そんなことは知らんよ」コシロの答えは、にべもない。「犯人の動機をいくら想像したところで、無駄な努力さ。だから、ボクたちが次に探求すべきは、動機ホワイじゃなくて、手段ハウのほうだと思う」

手段ハウ?」

「さっきの問いの(β)〈どうやって消えたのか?〉さ。そこで昨日、キミに話したことが関わってくる。繰り返すと、曾祖父は自分が設計した建築物に、何らかの〈仕掛け〉をほどこすクセがあったんだ」

「仕掛け……」

「いわゆる、隠し部屋や秘密の通路なんかの仕掛けギミックさ」

「たしか、〈古い探偵小説みたいなからくり仕掛けはない〉と言ってませんでしたっけ?」

「〈あくまで公式には〉と但し書きを付けただろう? 曾祖父は、クライアントに秘密で勝手に〈仕掛け〉を作るんだ。だから、キミに見せた設計図には描かれていないし、ボクも母上も、本当にその在り処を知らない。実際、〈ない〉かもしれないんだ。つまり今のところ、そうした仕掛けが、この図書館にもある〈可能性が高い〉というだけにすぎない」

 まるで、雲をつかむような話だった。あるかないかも判然としない〈仕掛け〉が、失踪事件の〈方法ハウダニット〉だとでも言うのだろうか。

「でも、この広い館内から、どうやってその〈からくり仕掛け〉を見つけるんです?」

 たとえスウが、その〈仕掛け〉を利用したとしても、〈仕掛け〉そのもの見つけることが出来なければ、行き先にたどり着くのは難しいだろう。というか、スウはなぜその〈仕掛け〉を知っていたのか気になるところではあるが。あるいはコシロのいう通り、〈仕掛け〉を利用している連続犯〈木男〉に無理やり連れ込まれたのだろうか?

「確かに、この図書館は広い。書架を端から叩いて回るわけにはいかないしね。だから〈仕掛け〉にたどり着くためには、曾祖父の残したヒントをたどらなくては難しいだろう」

「ヒントなんて存在するんですか?」

 クイズでもあるまいに。意外な言葉にびっくりしていると、コシロが説明した。

「キミと母上を〈占い師フォーチュン・テラー〉のところにやったのは、スウさんについて訊ねるためだけじゃないのだよ。母上から聞いたろうが、〈占い師フォーチュン・テラー〉は、オリタケ氏の養子ジュウザブロウ・セコウの愛人だったわけだがーーセコウ氏と曾祖父は、歳は離れているが妙にウマがあったらしくてね。大変、仲が良かった。その縁で、セコウ氏の愛人だった双子姉妹とも、曾祖父は顔見知りだった。で、戯れに、施主のオリタケ氏にすら隠している〈仕掛け〉のヒントを、姉妹に教えたらしいんだ」

「どうしてそう言い切れるかというとね、あたしがお祖父様から直接、そう聞いたからなのさ。正確には、そう〈仄めかされた〉だけだけど」

 母君が、コシロの弁を補足した。ぼくは母君のほうを向いて尋ねた。

「そのう……お祖父様のセイジ・ナカムラ氏は、どうして施主の養子のそのまた愛人、なんて遠い人間にそんな〈ヒント〉を教えたのでしょう。孫であるお母さまに教えるならともかく」

「さあて、ね」

 母君は、皮肉そうに唇を歪めた。

「お祖父様はそういう人なのよ。そうとしか言えない。誤解しないで。彼は家族を大事にしていたし、あたしのことは可愛がってくれていたと思う。でもやっぱり、教えてくれるはずなんてない。そういう人だから。ただお祖父様は、こうも言っていた。『どうしても知りたくなったら、〈占い師フォーチュン・テラー〉を訪ねて、こう訊きなさい。【招かれた精霊の去る日に、新しい精霊が何故去ったか?】と』」

 つまり、特定の質問をされると、ヒントを答えなければならない、という取り決めをしていたらしいのだ。それがあの奇っ怪なひと幕の正体だった。だが、〈稚気〉という言葉で片付けるには、理解し難い〈遊び〉だ。

「結局、その質問はどういう意味なんですか? 招かれた精霊がウンタラカンタラってーー」

「別に、質問自体に意味はないんじゃないかしら。実際、旧い小説から引用した文章を、そのまま繰り返しているだけだし」

 母君が肩をすくめる。

「なのに、一定の質問をされると、決まった答えを返してくれるんですか? そんな……ロール・プレイング・ゲームの村人ノン・プレイヤー・キャラクターじゃあるまいし……」

「どう違う? われわれだって、何者かによって動かれているキャラクタにすぎないかもしれないよ。この世界が、誰かの作り出した〈物語〉の中じゃないと、言い切れるかね?」

 ついさっき、ぼくが口にしたのと近い意見を述べて、コシロは話を続ける。

 だが、そんな探偵の声が、ふいに間遠になった気がした。音声を、急にミュートしたみたいに。あの日の図書館のように、耳のなかで怒濤が咆えはじめる。こめかみが、ズキズキと脈打つ。コシロの指摘が急激に、恐ろしいほど生々しく身に迫ってきた。それは、戦慄するほど絶対的な確信だった。

 ぼくは、自分に注がれている〈視線〉をたどる。コシロ宅の天井に目をやり、その遥か向こうの、のっぴきならない〈現実〉にぼくを追い込んだ、神サマだか作者だか読者だかを、恨みがましく見上げた。

 ほら、今、アナタと目が合った。

 おせっかいな造物主デミウルゴスや、物見高い御見物衆ごけんぶつしゅうは、ぼくの煩悶などに、髪の毛一本分ほどの重みも感じてはいるまい。そして上から目線で、登場人物が〈自分の考えた最適解の行動〉をとらないと嘲笑を浴びせるのだ。

 こっちの気も知らないで。

 コシロの声が戻ってきた。

「……彼女たちが出したキーワードは三つだ。第一に〈決して見つかることのない書物〉。第二に〈決して読まれることのない書物〉。そして、第三に〈決して開かれることのない書物〉」

 重要な点に気づいてぼくは、話をさえぎった。

「ちょっと待ってください。最初の二つはまあ、呑み込むとしても、三つめは、ヒントにカウントしていいんですか? だって、どこの馬の骨ともわからない女性が言った科白ですよ」

「もちろん、デタラメである可能性はあるよ。ただし、彼女の正体については、ボクなりの仮説がある。何の確証もないからしゃべるつもりはないけどね」

 依頼人として問いつめたい気持ちを、グッとこらえる。名探偵の〈勿体ぶり〉は、探偵小説の紋切り型クリシェだ。

「で、その謎なぞが、どうヒントになるんですか?」

 とはいえ、どうしても疑わしげな口調になってしまう。

「キミならどう考える?」

 逆に質問されてしまった。

「そうですね……」

 ぼくはしばし黙考する。

 三つのキーワードに共通する言葉はもちろん〈書物〉だ。そして、セイジ・ナカムラ氏の〈仕掛け〉が図書館に作られている以上、その在り処は、〈館内のどこかの特定の書物のある場所〉だろうと思う。旧い映画などで、書斎の本を一箇所動かすと隠し扉が開くというシーンがあるが、そういう類いの〈仕掛け〉ではないだろうか。

 ではその本は、図書館のどこにあるのか?

 それを指し示しているのが、先の三つの条件ではないか。すなわち、〈決して見つかることのない〉〈決して読まれることのない〉〈決して開かれることのない〉である。

 しかし、あらためて考えるとこの三つの条件は、よく似ているようでやはり、少し異なっていると感じる。

 第二の〈決して読まれることのない〉と第三の〈決して開かれることのない〉は、現物を前にしての状況ではないか。例えばその本が、暗号や未知の言語で書かれていたら〈決して読まれることのない〉という条件に当てはまりそうだ。対して、〈決して開かれることのない〉はちょっと想像しづらい。〈開かれることのない〉とはどんな状況だろう。物理的に開くことができないのか、心理的に開けないのか。いずれにしても、これらの言葉から〈本そのものの位置〉を連想することは、ぼくにはできない。

 一方、第一の〈決して見つかることのない〉という条件は、〈書物そのものが隠されている事態〉を暗示しているように読める。となると、この条件からも本の位置を探すことは難しそうだ。

 ぼくの推測を聞いていたコシロは、なかなかいい線をいっているじゃないか、と愉快そうに論評する。

「古代の哲学者だかが〈正しい問いをすることは、答えの一部をすでに得たと同じことだ〉と言っていたがね。この場合もそれに当てはまると思う」

 どうもコシロの中では、何らかの結論がすでに出ているように見える。さっきのと会わせ技で、ぼくのイライラはつのった。憮然となって、たまらず、「勿体ぶらずにコシロさんの意見を教えてくださいよ」と急かしてしまう。だがこの聞き方は、まるきり間抜けな助手役ワトソンくんだ。どうにも居心地が悪い。

 コシロが、まさに名探偵さながら、オッホン、と咳払いして話し始めた。

「ボクも、途中までキミと同じことを考えたのだよ。確かに最初の〈決して見つかることのない書物〉以外は、現物を前にした状態に思える。そう仮定すると、まず取り組むべきは、図書館において〈決して見つかることのない書物〉とは何ぞや、という問題だと思ったんだ。さて、以前も言ったがこの図書館には、〈公共区域〉と〈非公共区域〉があるが、問題の本があるのは〈公共区域〉だと考えてよいだろう。そうでないと、第三者がヒントを基に探し出せないのだから。で、あらためて〈公共区域〉、言い換えれば一般的な造りの図書館としてこの場所を捉えるとだね、本が置いてある場所は、〈開架スペース〉と〈閉架スペース〉のどちらかになる。言い換えれば、〈開架にある書物〉か〈書庫にある書物〉のどちらかに、ヒントが指し示す本がある、と。ただねえ。隠し扉につながるような〈仕掛け〉を〈開架スペース〉に作るか微妙なところだと正直、思う。誰かが偶然に〈仕掛け〉を稼働させてしまわないとも限らないからね。だから、ボクは〈仕掛け〉は〈閉架スペース〉にあると思うんだよ」

「でも、書庫にある書物だって、館外に持ち出せないだけで、貸し出し自体は可能なんですよね」

 実際ぼくは、自律機械ドロイドが、書庫の書籍を整理したり、貸し出すために持ち出したりする場面に、出くわしている。

「良いところに気づいた。その通りだよ。〈書庫にある書物〉だからといって、自律機械ドロイドが触れない、つまり〈貸し出されない書物〉というわけじゃない。だが、逆にこう考えたらどうだろう? 〈配架用自律機械ドロイドが近づいていない書物〉が、この図書館にあるのではないか? それこそが、〈姉妹〉のヒントで得られる第一点プライマスめではないのか?」

 そこでコシロは、図書館の自律機械ドロイドを管理しているシステムに入って、自律機械ドロイドの動きを調べた。具体的には、システムに残っていた自律機械ドロイドの位置情報のログを、図書館の設計図と照らし合わせてみた。

「ま、自律機械ドロイドの位置情報なんていう、何の意味もないログが保存されている時点で、あからさまな話なんだけどね。どうやらボクは、曾祖父の手のひらの中で踊っているだけだったようだ」

 そう言ってコシロが差し出したのは、プリントアウトされた図書館のビルのフロアマップだった。各フロア二枚ずつあり、一枚はほぼ全面に渡って緑色に色づけされている。こちらは掃除用の自律機械ドロイドが移動した領域だった。もう一枚は、赤で表現されており、こちらは配架用の自律機械ドロイドの稼働領域になる。

 コシロが指し示したその場所ポイントは、一目瞭然の不自然さだった。二十五階のある一角だ。

 そこは、掃除用ドロイドは通る、つまり緑色に染まっているのに、配架用ドロイドが近づいていないため、全面的に赤い図の中でぽっかりと白く抜け落ちているのだ。

「では、ここに〈仕掛け〉が……?」

 コシロはうなずくと、グビリと日本茶を飲みほしたのだった。

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