第19話
らせん【
*
地下で、このたいへんな騒ぎがもちあがっていたちょうど同じころ、地上でも、奇妙なできごとがおこっていました。また少し大人のお話になりますから、みなさんはコトバをおべんきょうして、ちょうせんしてくださいね。
*
折から急速に発達した低気圧の影響で、吹き荒ぶ強風に太い雨粒が混じりだしていた。帝都を
地下水脈から発電所内に侵入した正体不明の怪生物の一群は、すでに地階から上層の建屋に到達し、敷地内にまで溢れ出していた。獰猛極まりない怪生物は、遭遇した地上警備員に片端から襲いかかった。
拳銃程度の火器ではびくともしないそいつらは、警備員を貪るかたわら、サーチライトや通信用設備、発電所からのびる送電線そのものなども、破壊して回った。喰いちぎられた箇所から火花が散り、火災が発生した。発電所の敷地内は、非常用電源に切り替わった。辺りは気味の悪い黄色い明かりに満たされることとなった。
*
地上の混乱を見計らったかのように、発電所の上空に怪しい黒い影が近づいていたが、それを発見する余裕のある警備員はいなかった。
その怪物体は、黒く塗られた直径凡そ三
その人影が、しなやかな軽業をみせた。二度三度、振り子のように勢いをつけると、タイミングをはかって、鉄塔にヒラリと乗り移ったのである。人影がロープを手離すと、軽くなった
この時刻、すでに地下発電所の稼働率は低レベルに落ちていたが、大鉄塔のそこここからは、まだ白い蒸気がモクモクと立ち上っていた。
人間の胴ほどもある太さの鉄骨が、組み合わさり積み上げられている鉄塔は、おそろしく巨大な構造体で、天に向かって屹立する
長引く戦時の統制下というのに、帝都全域を賄う、かくも豊富なエネルギーをどこから、どのようにして取りだしているのか。心ある市民はその摩訶不思議な仕組みに、内心ではウソ寒いものを覚えつつも、お得意の見て見ぬふりを発揮して、恩恵のみを享受しているのだった。
鉄骨のところどころでは、航空灯が鬼火のように赤青緑に瞬いているが、この一事をもってしても、国の灯火管制をまるきり無視したうえ、なぜか爆撃機の標的にならない異常さがわかる。
あるいは、こうも問える。戦争はリテル少年が教わったようにとっくに終わっているのではないか? はたまた、浮浪児童の主張するとおりまだ続いているのか? それともーー初めから存在していないのだろうか? いずれにしても民びとは、巨大な欺瞞のただなかに置かれているのではないか……。
さて、鉄塔に降り立った影は、体つきのなめらかな曲線から女性であることがしれたが、たおやかさよりも肉感的でメリハリのついた肢体だった。身内に、野性の強靭さを秘めているようだった。ピタリと全身を覆っている黒革のつなぎが、その印象を後押しする。小振りな背嚢までが、身体と一体化しているようである。
だが女の呼気に、色はない。寒空の下、本来は熱を孕み、白くわだかまってもおかしくないのに。ひょっとしたら女は、呼吸をしていないのではないか。
女は鉄筋の上を、東側に向かって素早く移動した。ゴム底の靴は、女の足音を消し去っていたが、どのみちこの風音の中では、それを聞き分けることとて難しい。時おり烈風が唸りを上げて襲いかかり、女の身体を虚空へと吹き飛ばそうとする。その度ごとに女は、膝を折ってしゃがみ、強烈な風圧にじっと耐えた。
慎重に足を進めることしばし、女は、目当ての地点までたどり着いた。
三号鉄塔の東側からは、隣接する二号鉄塔が望めた。だがしかし女の視線は、二号鉄塔と三号鉄塔の間の、何もない虚ろな空間に、じっと注がれている。そこは〈お化け鉄塔〉の名前の由来、消えては現れる、幻の〈四号鉄塔〉が出現するはずの場所であった。
市民には知られていないが、鉄塔の出現には、実は周期性がある。〈ばんだあ・すなっち〉の一員である女〈
いま地上は、彼らの可愛い〈
女は、ジリジリとその瞬間を待った。
また待った。
待つあいだ眼下では、状勢が刻々と変転していた。
発電所側は、態勢を立て直しつつあった。警備員ではなく市長直属の〈
女の胸に、わずかな焦燥が生まれる。このままでは、〈
そのときーー。
来た!
ブウウウウウウウウウウンンンン……、という羽唸りにも似た異音とともに、陽炎めいて空間が揺らいだ。そこに在るはずのない鉄塔が、濃霧の中からたち顕れるように滲み出てきた。中空に、幻灯機が投写したようにも見える。ぼんやりとした像が、現れてはまた薄れ、薄れてはまた輪郭を取り戻し、次第に焦点を結んでいく。
女は、背嚢から鉤のついたロープを取り出して振り回すと、投げ縄の要領で放った。ロープが、幻像めいた四号鉄塔の鉄骨に引っ掛かった。強く引いても、びくともしない。しっかりと固定されている。それを確かめるなり、女が、無造作ともとれる動作で、鉄骨から中空に足を踏み出した。
こともなげに。
そしてーー。
女の身体が虚空で、ふいにかき消えた。
彼女は向かう。この巨大な欺瞞の中心へ。
〈ばんだあ・すなっち〉の一員にして悪名高き女賊〈
*
リテル君は、あまりにできごとが目まぐるしく、次々とやってくるので、頭が混乱してきました。
扉がやぶられ、すき間からニューッ、と毛むくじゃらのからだが部屋に入ってきたときには、もうダメかと思いました。しかし、不思議なことに怪物は、リテル君に何をするでもないようすでした。
それにしても、それは何と奇っ怪な生き物なのでしょう!
リテル君のしっている動物のなかで、いちばん怪物にちかいのは、サルでした。ちがうのは、からだじゅうの毛が、茶色ではなく、まっ白なのです。いえ、リテル君はしりませんでしたが、白いしゅるいのサルもいるので、そのちがいはもっと別のところにありました。
前足は長くのび、後ろ足は短めです。じっとしているときは、後ろの二本足で立っていますが、動くときは前足を地面についています。
もっとも奇っ怪なのは、顔でした。というより、顔はみえずに、みょうなお面をかぶっているのです。ちょうどスコップの先のような、下が三角にとがっている形のお面で、目も口も開いていなく、ただ線で、うずまきだけがかかれています。
怪生物は、まるでなにか耳をすましているように首をかしげて立っていましたが、やがておそれていた瞬間がとうとうやってきました。頭をまっすぐにすると、その長い腕を、リテル君のほうにのばしてきたのです。
こんどこそもうダメだ、お父さんお母さん、天国でお会いしましょう、とリテル君は目をぎゅっとつぶりました。
ところがーー。
その怪生物の腕は、リテル君ではなく、首輪とつながっているくさりをつかんだのです。
そしてあっという間に、怪力をはっきして、首輪をちぎってしまいました。なんというごうりきでしょう!
怪生物は、ちぎったくさりをほうり出すと、やにわに、向きをかえ部屋から出ていってしまいました。
しばらくボウゼンとしていたリテル君ですが、ハッと、これはチャンスだと気づきました。
怪物が何をしたいのかはわかりませんが、ここから逃げ出すぜっこうの機会です。
そこでリテル君は、ソロソロと扉から外へと出ていきました。首輪にくっついたくさりが少し重いですが、しかたありません。
部屋の外は、まっすぐにのびた、病院みたいな通路でした。通路には、同じような鉄の扉がいくつもならんでいます。
すると、その扉のひとつから、ひょっこりと、しっている顔がのぞきました。タッシェです。
「タッシェ!」
リテル君はうれしくなって、つい大きな声でさけびました。タッシェも目をかがやかせて、外に出てきました。
「坊っちゃん、ご無事でしたか!」
「うん、大丈夫とおもう。でもここは、いったいどこかしら?」
「わかりません。たぶん発電所の地下だと思いますが」
「それなら、大人のひとを見つければいいかな。だってぼくたちは、悪者から発電所をまもるためにやってきたんでしょ?」
「それなんですがね……」
いいかけてタッシェは、口をあんぐりあけてしまいました。そしておおあわてで、リテル君の後ろを指さすのです。
ふりかえると、リテル君にもそのわけがわかりました。通路の壁のくずれたところから、ザパァと、水がふきだしてきたのです!
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