初恋のための鎮魂歌

森野きの子

第1話

 繁華街にあるソープの一室に、異様な空気がたちこめていた。

 九州最大の繁華街――、といえば聞こえもいいが、実際はさほど大きくもない。戦後は成熟した大人の街であったが、今では見る影もない。水商売はもちろん性風俗が軒を連ね、かとおもえば、すぐそばには商店街と老若男女問わず人気の総合型の商業施設もある。川を挟めば、ラブホテル街と飲食店が立ち並ぶ。とにかくなんでもある繁華街ではあるが、規模は狭い。――そんな場所の一角で、生命の危機に満ちた緊張が漲っていた。

 七三リーゼントに縦縞のスーツ姿の男。全裸で後ろに回した腕を荒縄で縛り上げられた男。スキンヘッドのマッチョな小男。そして、ホスト然とした男が五人。リーゼントの男と小男以外は、土気色した顔で小刻みに震えている。

「お前、コイツのケツ掘ってやれ」

 七三リーゼントの男が小男に云うと、全裸で後ろ手を縄で縛られた茶髪の男が身を捩りながら猿轡越しに呻いた。

「で、ちんぽ勃ったら切り落とせ。いいや?」

 と、小さな俎と包丁、そして並んでいる男たちに目配せる。傍には卓上コンロとテフロン加工のフライパンがある。

「したらいかんってことしたら、指切りじゃ済まんって覚えとかな。な?」

 と五人のホストに云うと、上擦った声で「はい」の合唱が聞こえた。

「あ、あ、あの、そ、そ、それからどうしたら……」

 年嵩の男がおずおずと尋ねる。ホストクラブ『ROSY ROSY』の雇われ店長で、一昔前はNo.1ホストとして人気を博していた。

「そこにフライパンあるやろうが。焼きゃ血は止まろうもん。何のために風呂屋用意しとうとや。掃除はお前らでやれ。わかったや?」

「は、はい!」

「自家製フランクフルト。残さず食えよ」

 リーゼントの男は、全裸の男の頬を軽く叩きながらいい聞かせると、部屋を出ていった。



 ※※※



 十年前、当時大学生だったお姉ちゃんが失踪した。

 中洲でキャバ嬢をして、そこで知り合ったホストに入れあげた挙句、その男が店の売上金を持ち逃げして、そのまま二人で愛の逃避行をしたらしい。

 それから一月後にお姉ちゃんは広島で見つかり、両親の代わりに私がお姉ちゃんを迎えに行った時、お姉ちゃんは、ボロい木造アパートの二階で、背中に刺青のある男に抱かれていた。

 その時、私は十七歳だった。

 アパートのドアはオモチャみたいにちゃちで、触りもしていないのに少しだけ開いていた。

 真夏の夕暮れ。日が傾きかけているのに、まだじっとりと暑かった。時々、ひぐらしの声が響いていた。

 玄関を入るとすぐに一人立つのがやっとの三和土があり、五畳くらいの台所になっていた。そのすぐ奥の、木枠にガラスをはめ込んだ引き戸の向こうに二人はいた。一組の布団の上で、一糸まとわぬ姿であられもなく絡み合う男と女。

 私はすでに二人が何をしているのかわかっていたし、お姉ちゃんは獣のような声を上げながら、男の身体にしがみついていた。

 私は背中で艶やかに舞う濡れた鳳凰を眺めながら、静かに興奮していた。

 艶やかな男の肌と筋肉の動きに合わせ、身をくゆらせ羽ばたく鳳凰がとても綺麗で、なにもかもかなぐり捨てて快楽に溺れている姉の苦しげな表情に、嫉妬と羨望を覚えた。

 私に気づいた姉は、少しだけ目を見開いたが、蕩けるような、それでいて見せつけるような意地の悪い笑みを浮かべて、それから私の存在を無視した。

 すごく長い時間のように思えたけれど、実際はわからない。男が動きをやめて私の方を振り向いた。

「いつまで眺めとくつもりや? お前、誰や?」

 お姉ちゃんが身体を起こして、私の代わりに答えた。

「私の妹です」

 男は舌打ちをして、お姉ちゃんから離れると、さっさと着替え始めてしまった。精巧な鳳凰は、光沢のあるカラーシャツに隠れてしまった。私はそれが残念で仕方がなかった。

「お姉ちゃん、帰ろう」

 甘えた声が出たのは、私の女の部分からだったんだろう。そしてよほど鼻についたのだろう姉はスリップドレスを身につけ、私の方へはしゃぐようにやってくると、後ろに周り、私の両手首を掴んだ。

「現役JK混ぜこみ姉妹丼なんてどうです?」

 姉は楽しげに弾んだ声だった。さすがに言っている意味ははっきりとは分からなくても、なんとなく理解して焦った。

「遠慮しとく。俺、若い女あんま好きやないし」

「そうなんですか? 初物かもですよ? ね?」

 と姉は私に訊くけど、私は怖くて答えられないでいた。

「あんま歳食っとるのもなしやけど、初物も好きやない。ある程度男の味を知っとう熟れた肉の方がよか。あと、俺みたいな男に簡単に妹を差し出すような人間も好かん」

 男は身だしなみを整えると、私に来いと言って腕を引っ張った。

「姉ちゃんは諦めろ」

「い、嫌です」

 私はどうにか踵に重心をかけて踏みとどまった。

「あ?」

 低くて鋭い声に本能で身が竦む。

「嫌です。一緒に帰してください」

 男は鼻で笑うと、お姉ちゃんをみた。

「売っぱらおうとした妹に救われたな」

 お姉ちゃんは、力なくその場に座り込んで震える声で呟いた。

「……たぁくんは……」

「たぁくんって何や?」

 男はクッと笑う。

「たぁくんはどこ!?」

 突然お姉ちゃんが叫んだ。なにかが噴き出したみたいに泣いている。

「知らん。誰やそれ」

 男は哀れな狂人を思い切り見下し、冷笑し、戸惑っている私にそっと囁いた。

「悪いことすると、必ず自分に返ってくるけん、お嬢ちゃんは悪いことしたらいかんぞ?」

 薄っぺらい教えだった。その言い方たるや鼻唄を歌うみたいに、軽い調子だった。

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