第16話 「私」
「――ここは」
「医務室だよ」
状況が分からず、辺りを見まわす。そこには、困惑しているスフィアさんと、倒れた母親。
それと、お医者さんのルネさんがいた。
「ちょっと屋敷がおかしい事に気づいたからね……お嬢様達を探してた、という所で遭遇したわけだ。さて、応急処置をしよう」
そこには、倒れた母親がいる。
ルネさんが手をかざし、治癒魔法をかける。
「……良かった」
しかし。その瞬間。
件のルネさんは床に倒れこみ始めた。
「……ぐっ、駄目だこりゃ」
「!? ……どう、したんですか?」
「ごめん、魔力の限界」
「――!」
……なるほど、3人を伴った転移。そして治癒魔法。
魔力が枯渇するのも無理はない。
「お母さんは!?」
「とりあえずすぐ死ぬことはないだろうが……もう追加で転移魔法は使えないだろう」
「――そんな」
「ついでにバッドニュースだ。……どうやら、この屋敷の外には、出られないらしい」
「――え?」
呼吸を荒くしながら、ルネさんは言う。
「最初は、転移魔法で外に逃がそうとしたんだけどね……無理だった。だからとりあえず屋敷内に避難させたわけだが……」
そう言えば、と窓に手をかけ、開こうとする。
ガチャリ、ガチャリ。開かない。
その辺にあった用具箱を手に取り、窓に向けて投げる。
「!? アルちゃん!?」
がしゃん。
しかし、何かに押し返されたように、波紋が広がり、窓ガラスは割れなかった。
「――魔法がかけられた跡がある」
「たぶんこの屋敷を囲んで、結界がかけられているんだと思う」
「……そんな」
外に出られないような、閉じ込めるためだけの結界。
獲物を逃がさないようにし、そして殺すためだけの結界。
それがここにはある。
「……ここには、ルネさんだけですか。ほかに、屋敷にいる人は?」
「普段は離れで寝ているはずだ……何人か、こちらにいたが部屋でじっとしているように言っておいた」
ごほごほ、とせき込む。力が入らなくなり、うでが、だらんとなる。
「そういう事をするために、いろいろと転移しながら動き回って、無理したからもう駄目かな、これは」
「ダメって、どういう……!」
スフィアさんが声高に叫ぶ。
「奴はこの屋敷から逃がすつもりはない……このまま、殺されるのかもね。かふっ」
またせき込んだと思うと、口から血を吐き出した。
――なるほど、限界を超えて魔法を使った人間特有の症状だ。
「治癒魔法を!」
「自分なんかに使ってる余計な魔力はないよ、そんな事よりやるべきこと、考えることがあるだろう――ごほっ」
ルネさんは、ちからを振り絞って言う。
「あの男、アルファス・トーレをどうやって倒すかだろう」
「……あの、」
黒衣の男の姿を思い出す。
すると、スフィアさんは膝を立てて倒れこんだ。
「……何あれっ! 怖いよっ! 気持ち悪いよっ! なんであんなものが、私たちを……っ!? いやっ、嫌!」
そう、叫ぶ。
呼吸を荒くし、目を見開き、全身を恐怖に震わせながら。
「……落ち着いてください」
俺はスフィアさんを手で止める。
「うっ、うう……はぁ、はぁ――ごめん」
……あんな感情的なスフィアさん、初めて見た。
この危機的状況。そしてあいつの纏う恐怖感、嫌悪感。
正気でいられないのも無理はない。
「……それで、なんですかあれは」
「アルファス・トーレ。S級冒険者であり最大級の警戒対象者。ダンジョン潜りを主にこなしている。剣聖。寡黙。常時人を戦慄させるような殺気を出し、評判は最悪。対人戦では卑劣な戦術を使うことで有名で……」
「そんなことを聞いてるんじゃなくて――」
そして、と一息入れて言う。
「最近大量殺人を行っているらしいよ。今までパーティを組んだことある人、普通の人、貴族、のべつ幕無しにね。魔物を倒すのに飽きたのかね?」
「殺人……あたしも聞いたことが。……なんで、あたしたちを?」
「……さあ、ね」
……静寂が流れる。
「ひっ、ひっ、いや、私、こんなところで死にたくないよ……」
そういって、スフィアさんはすすり泣き始めた。
俺はつかつかと歩き出し、スフィアさんの前に立つ。
「……スフィアさん」
彼女は、泣き続けたままだ。
「……俺に、成長魔法をかけてくれませんか?」
「……え?」
泣き続けたまま、顔を上げる。
「戦います。俺が」
「なんでっ……アルちゃんが、戦う必要が!」
「スフィアさん、あれと戦えますか」
「……」
「お医者さんも……無理でしょう?」
「まあ無理だねえ」
「じゃあ、俺が戦うしかないじゃないか」
すると、ルネさんがちょいちょい、と手招きする。
そちらの方を向くとどこかを指さしている。
そちらの方を向くと、そこには鏡があった。
そこには、少女の姿が映っている。
私の姿だ。
アルティ・ルヴァンの姿だ。
決して、アルファス・トーレの姿はそこにはない。
あんなものは、俺ではない。
俺は、私だ。
「無理だよ、ちょっと体を大きくしたからって……!」
「それでも誰かが立ち向かうなり、時間を稼ぐなり、しなきゃならないでしょうが」
「あたしが、あたしがやれば……」
そうやって、立ち上がろうとするも、体がふるえて足腰が立たず、何もできなくなる。
「いや……嫌」
「作戦はあります」
「……無理だって、アルちゃんにそんなの」
そういって、首を振る。
「作戦はあります。アイツを倒して、結界を破壊出来たら屋敷にいる人を逃がしてください」
「ダメだよ、そんなの……」
「任せてみたらどうだい?」
ルネさんが口を出す。
「彼女にはプランがある。勇気もある。戦う力も君が与えられる。それでいいじゃないか」
「でも、あたしが……」
「無理なもんを無理にやらなくていいんだよ。君は冒険者ではない。いざというときに戦う勇気は出ない。だが、彼女、アルティちゃんは違うみたいだよ」
じっとスフィアさんの目を見つめる。
「……アルちゃん」
「生きて、帰ってこれるの?」
「何とかします」
「……」
何も言わない。何も言わず、涙が地面に落ちる。
「”私”を、信じてください。お姉ちゃん」
「――っ!」
ぽろぽろと、滝のような涙がほほを伝う。
しばらく泣き続けた後、彼女はすそで顔をぬぐう。
そして、立ち上がると、突然前髪をすくい私のおでこに触った。
「ねえ」
「……何ですか?」
「情けないあたしを許してくれる?」
違う。
これは、私が何とかしなければならない事態だ。
責任を取らなきゃいけないのは私だ。
だって、あいつは、「俺」なのだから。
「私が、やります」
「……そっか」
スフィアさんは、私のおでこに口づけした。
体の奥底から、力が沸いてくる。
腕が、足が、骨が、きしきしと音を鳴らしながら、痛みをともないながら、体を引っ張り、背を伸ばし、成長させていく――
「……アルちゃん、死なないで!」
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