えすえふ ~すこしだけ幻想譚~

はまだ語録

第1話 序章『ある昼下がり』

 君は決して前のままではいられない

 そうさ 彼女は君をおかしくしてしまうのさ


 ――リッキー・マーティン 

   〈 リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ 〉



   +++


 ……さて、クイズである。

 あんたが俺の今の状態を当てることが出来たらあんたの勝ちだ。

 別に勝ち負けに意味はないんだがね。


一、俺は学生服姿だ。高校二年生、中肉中背の色男を創造してくれ。誤字に非ず。


二、今は昼下がりの教室である。日差しが気持ち良い。窓から見える紅葉が美しい。


三、五時間目は古文の時間だ。担当は今田忠信教師。三十六歳。独身、小太り、頭頂部の薄いナイスミドルであるが、何やら呪文を黒板に書き綴っている。


四、教室は静かだ。呪文を唱える今田教諭のボソボソとした声くらいしか聞こえない。


五、うちの学校は部活動が盛んな普通の学校である。秋大会を控え、練習の熱が入る時期だ。ちなみに俺は放送部なのだが。文化祭も近い。現在、刺繍を作成中である。


六、余談ではあるが、刺繍と数学は通じるものがある。網目を計算し尽くさなければ、ちゃんとした形にはならないのだ。イメージとしては糸とひもを使用したパズルである。意外と面白い。


七、俺が現在作成しているのはちょっとした竜をモチーフにしたものであり、うろこの形が非常に難しい。ちなみに完成度は八割。ただ、この作業はバランスが非常に難しく、下手をしたら作品が間に合わない可能性さえもある。それは放送部部長としての名折れであり、意地でも完成させねばならない――。


「脱線しすぎ。頭は大丈夫? 一体、何が言いたいのよ」

「おっと、人の独白に毒吐くのは我らが女神石島華だった!」


 華は冷笑を浮かべ、「頭は大丈夫?」ともう一度繰り返した。

 その視線が痛い。快感……ではない。そういう性癖はない。残念ながら。


「ちなみに解答は何だと思う?」


 俺はせっかくだから訊ねてみた。

 華の答えは非常に短かった。


「眠い」

「大・正・解! 正解者の華さんに豪華景品が送られます!」

「声が大きいのっ。あんたは何でそんなに莫迦なのっ」


 このクイズで難しい点は唯一つだけ。

 最初の問いが何だったか忘れてしまうという、それだけの話だ。

 だって、昼下がりに退屈な授業――眠くないはずがないだろう?

 それにしても華の言葉は簡潔で分かり易い。

 ん? ああ、俺が分かり難いだけか?


「あ、答えが分かったって事は華も眠いんだろっ?」

「うっさい、死ね」

「……ごめんなさい。静かに寝ます」

「そうなさい。永遠にね」


 その毒々しい言葉に愛想笑いを返しながら、コテンとうつぶせになる。

 横目で石島華の方を見ながら寝る。

 華はもう真っ直ぐに前を向いている。

 その凛とした横顔は――何というか、すごく良かった。

 冗談っぽくしか言わないが、本当に隣の席になった幸運は感謝しているのだ。

 長い睫に高い鼻、艶やかな髪に優しげな声音。その美貌は比類なき。ああ、女神――というほどではない。

 清潔感溢れる外見は個人的にはかなり美人さんだと思うけど、例えば、近くにある東崎食堂の店員さんなんて近隣に聞こえるくらいの美人さんだし、クラスメイトでも白原瞳の方が好ましいという奴のほうが多いだろう。

 大体、中の上くらいの人気だろうか。

 しかし、俺にとって彼女は本当に好ましかった。


 かなり好きだった。

 ちょっと真面目に向き合えないくらいに。


 だから、冗談で笑わせたいのだが、上手くいかないことも多い。そう、今のように。

 そもそも、何でか俺にだけはやたらと冷たい態度を取るのだ。これって特別扱いだろうか?

 あんまり嬉しくない特別扱いだね。

 しかし、これだけ騒いでも誰も振り向きもしないし、今田教師も注意しない。ここで華に告白したとしても誰も気付かれないのではないか? ということを妄想するが、そんな度胸はもちろん逆立ちしたって出てこない。妄想万歳。


 ふと、思い出した。

 華がイライラしている理由について。

 原因や理由は知らないが、近々、華の両親が離婚するらしい。

 去年の文化祭の際に、幼い妹の手を引く彼女の姿を何となく思い出す。

 姉に隠れるちょっと内気な感じの妹さん――名前は千寿々ちゃんだったか?

 そして、それを面倒見良くフォローする強気な姉。仲の良さそうな姉妹だった。

 でも、妹さんはお母さん方へ、華はお父さん方へ引き取られるように聞いている。


 あの、平和で仲の良さそうな姉妹がバラバラ……。

 そりゃ疲弊もするだろう。

 少し疲れが見える横顔を見ながらどうにかしたいな、と思う。

 でも、どうしようもない。

 しょせん俺は普通の高校生である。

 出来ないことなんてたくさんある。

 それが現実だった。


 窓側の席だけが明るい教室。

 雑多な掲示物にゴミ箱から突き出た何かのポスター。

 初秋の今はただ――何もかもが幸せな気がする。

 特別だと思えた。

 この幸せを彼女にも感じ取って欲しいのだが……どうしたら良いか分からない。

 うつの人間に頑張れといってはダメなように、不幸を感じている人間に幸せになれとは言えない。

 どうしようもなく襲い掛かってくるものに対抗する術なんて知らないのだから。


 ゆっくりと本格的に睡魔が襲ってきた。

 何となく自己嫌悪。

 しかし、眠い。目を閉じる。瞼の裏の明るさ。

 チョークが黒板を叩く音。

 教室の乾いた人の臭い。

 柔らかな日差しの熱。

 鈍くなる思考。

 ゆっくりと落ちていく。

 ゆっくりとゆっくりと。

 …………。

 ……。

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