この目で
学生作家志望
あの日と同じよう
このまま何年、このまま何年、このまま何年……………
こんなこと続けるんだ。
母は亡くなったし、残すは父のみ。でも、なんでだよ。父はどうしてこんなに長生きをしているんだ。
母が亡くなったあの日は俺にとって肩の力をようやく抜くことの出来た日だった。母は75歳と早めに亡くなったが、寿命が原因ではなく病気の悪化によるものであった。
思い出そうとしなくともあの時の苦しみがよみがえってくる。何度も、何度も。
毎日、母のお世話。毎日、毎日。
俺だってまだまだ働きたい。まだまだ自由に生きていたい。でも、それが叶わなくなったんだ、全部母のせい。
健康でいられなかった母のせい。自立できない母のせい。
あの日々は心が荒んでいて汚かったと思う。でも、あの毎日が辛かったのはどうかわかってほしい。仕事から疲れ切って帰ったら今度は母の世話だぞ?正直、いつ倒れてもおかしくないと覚悟を決めているくらい限界だった。
「早く、死んでくれ。」ある日の夜、そう願ってしまった。
そして、母は亡くなった。いつもの通りの日が来ると思っていたけど……違った。その日は朝から仕事ではなくて、葬儀屋を探してあっちこっちを回った。
やっとの思いで見つけた葬儀屋によって、母は棺桶の中に入れられて、やがて骨だけとなった。
まだ熱のこもっている骨を銀色の長細い箸で拾っていると、掴んだ一本一本の骨が俺に何かを訴えてきているように見えた。
これは自分のせいか?俺が悪いのか?早く死ねって願わなければもっと母は生きていた?そんなの、俺の喜び、幸せにはならないでしょ?
骨を見つめる俺の目はきっと優しいものではないだろう。恐らく錆びた鉄のように真っ黒な汚い目でその骨を、母を見てしまったことだろう。
あれからかなりの時間が経ったが、俺はいまだにあの日々、時間がもったいなかったと思っている。後悔なんて何一つ生まれなかった。
「誰…だね?」
母は病であっさりと倒れた。しかし、父は違う……強かった。毎日健康に気を遣っていたからだと思う、病気なんて決してならなかったんだ。
父の体はとても強かった。
でも、それに気付いてしまった。それに気付いてしまったのはいつものグローブを手にはめた時。
母の世話が終わってからは長く実家に帰っていなかったが、久しぶりに父に会いたくて実家に帰った。
玄関に入ると、賑やかな母がいないからか物静かな実家へと変化を遂げていた。でも、それもいつものキャッチボールを始めようとすればすぐに戻ると思っていたんだ。
そうだ、俺は父とキャッチボールをしたくてここに来たんだ。それを、なんでわからないんだよ……
「誰ってなんだよ…?俺だよ、父さん。」
「なんで、この家にいる…?」
「は?何言ってんだ、、おかしいよ、お父さん。キャッチボールだろ?いつもやってたじゃんか!」
「何言ってるんだ。」
俺がもっと、もっと。
父は、俺が居ない間にボケが進行し、認知症になっていたのだ。
俺がもっと、もっと、早くこの家に…そもそも、なんで俺はこの家からもう一度出たんだ。俺がもっと一緒に、毎日一緒に居てあげれば…!
きっと、こんなことも…なかったのに。
俺はその日、キャッチボールは諦めて近くにある病院へと父を連れて行った。
でかい病院だからすごく混むと思っていたけど、案外すぐに父の名前がアナウンスされた。
診察室に入るのはこれで何度目かな。先生は何回も変わった。俺も、変わったな…
母を初めて病院に連れて来た時は、頑張って世話するって決めてたはずだったのにな。なんで、「死ね」なんて願ったんだろう。
「ボケがかなり進行しています。残念ながら、認知症ですね。息子さん………ですよね?これから大変だと思いますが、お父さんのお世話をよろしくお願いします。」
「お世話………」
「ほっとけば、深夜徘徊などをして行方不明になってしまうケースが多いですからね。見守れる人が近くにいなければかなり危険ですので。」
また、始まる。また、また。
キャッチボールもしてくれない父……
「あの、こんなことを言うのも変かもしれませんが、そこまで重く受け止めないであげてください。お父さんは、まだまだ元気です、まだまだ一緒に居たいと願っていると思います。」
「一緒に居たい、ですか?」
母の時も、おんなじこと言われたっけ……
あの日は、なんて言ったんだっけ……
◆
「この問題わかんないよー!教えてよーお母さん!」
「5+6?じゃあ一緒にとこっか。ほら、ちゃんと指を使ってね。ここを…こうしたら5でしょ?」
「あ、もしかして…!」
「そう!できたね!」
「うんっ、これでお父さんとキャッチボール出来る、ありがとう!行ってくるね!」
「怪我しないでね。」
「やるぞ、小太郎!今日はちゃんといいボール投げれるかなぁ?」
「僕、絶対投げてみせるもん、お父さん!」
「えいっ!」
「おおっと、、これはすごい、速いボールだ!お父さんもとれなかったなぁ…!」
「でしょっ!」
「よーし、次は、お父さんだ!」
◆
「そうですよね!俺…頑張ります!思い出してもらえるように…俺、いっぱいお世話します!」
「はい、是非そうしてあげてください!」
診察室のドアが自動式であと少し閉まりそうなところで父がぎりぎりに出てきた。もう歩くのもすごく遅くなっちゃったな…
でも、それも全部俺がサポートしてあげれば、きっとまた…!
俺は少年のような目で、この目で静かに座る父の横顔を見つめた。
お母さん……あんなこと願ってごめん。今度こそ、ちゃんと頑張るから…親孝行してみせるから、どこかで見ててね。
この目で 学生作家志望 @kokoa555
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