天然聖剣と冥界の王

こみかるんch

▽episode①▽

第一巻 審判を招く者たち編①

序章 日常の崩壊へ


 俺の名前は野原アキト、突然で悪いが今、俺の目の前に一人の女が居る。居るだけならいいのだが、俺の自宅は十四階建てマンションの、十階である。天気が良いもんで洗濯物を干そうとしたら、ベランダの先に女が浮いて居た。まあ、確かに俺は妄想癖だ。それは認める。だからってさすがにこれは妄想ではない事ぐらいは分かる。

「おはようございますう」

「…………」 

 どうする俺、やはり妄想か?

 どうみても目の前の光景はおかしいよな? 不意に言葉が出る。

「お前……誰だよ」

「はあい?」

 なぜ疑問形なのだ。普通に考えたら疑問を持つのは俺だろ。

「だから、お前……色々とおかしいだろ。浮いてるぞ」

「浮いてますよお?」

 俺は病気か。いや待て、どう考えても病気なのは、この女だろ。

「あ、自己紹介が遅れましたあ~、私はマリ・シュワルツ・アルバートですう」

「…………」

 は? だから何度も言うがここはマンションの十階のベランダだぞ。ベランダの先で浮いている女に自己紹介されて何が嬉しいのだ。幽霊か?

「あ~、今、私の事を幽霊か? って思いましたねえ?」

 じゃあ何だよ。

「こう見えても私って凄いんですよお?」

 見りゃ分かる、色々と凄い事ぐらい。奇想天外過ぎる。俺は洗濯物を干してから学校に行こうとしていただけだ。高校に上がって、俺は田舎から上京して来た、都会ってこんな事が起こるのか。

「じゃ……俺学校あるから」

 洗濯物は明日干そう。俺はベランダの窓を閉めて、外の光景は見なかった事にする。すると女が窓を連打するが如くノックしてきた。これが怪奇現象ってヤツか。

「ちょっとお、待って下さいよお~!」

「……うるさい、だからお前はなんなんだ」

 幽霊ではないらしいな。じゃあ何だこの女は。

「私、聖剣なんですよお、貴方はもれなく抽選で当たりましたあ! パチパチ」

「…………」

 もれなく抽選で聖剣がなんつったこの女。この現代社会で聖剣? 頭に花が咲いてんだろ。

「……で?」

「はあい? だから聖剣の持ち主に選ばれたんですう」

 ゲームのやり過ぎだな。一時間に十五分の休憩が必要らしい。

「じゃ、マジで学校あるから……」

 わめく女を放置して俺は自宅を出た。


 天気が良いな。

 夏の日差しがまぶしい。鳥が青空をスッと横切る。朝から変な妄想しちまったけど、あれはあれで面白い。こんな日は妄想が激しくなる。例えば、今歩いている通学路の角で、食パンをくわえた可愛い同級生とぶつかる。鉄板だろ、こんな妄想。誰だって一度は経験したい事だ。そして静かな通学路の角に突入する。するとさっきの女が急に顔を出して俺と衝突した。

 マジか……。

「これが運命の出会いですねえ」

 これが運命なら死にたくなるな。

「お前……だから、なんで浮いてるんだ」

「人間界では歩くのですかあ?」

「……当たり前だろ、てか人間界って……?」

 女の足がゆっくりと地面に着く。そう言えば、この女の服装、まるで天使みたいだな。白いローブに頭上には黄色い輪っか……って輪っか?やはりこいつは幽霊だ。間違いないだろ。

「またあ、幽霊じゃないですからあ」

 読心術の持ち主か? 心の中が読まれている……気がする。同じ高校に通う先輩達が俺と女の姿を横目に、痛い視線を飛ばしてくる。

「俺以外にも見えてるのか?」

「はあい、バッチリ見えてますよお~」

「……ならせめて服ぐらい高校生とかになれないのか、目立つ」

「? つまりあの道行く女子と同じ容姿になればいいのですねえ?」

 女は両手を合わせて顔を空に向けた。すると一瞬の光と共に俺が通う高校のセーラ服姿に化けやがった……マジか。

「ヒラヒラのスカートですねえ、ご主人様の趣味ですかあ?」

 ご主人様? とことんこの女が理解出来ない。

 そもそも聖剣って何だよ、後、この女……名前を忘れたし。

「ですからあ、私の名前はマリ・シュワルツ・アルバートですよお」

「長い……」

 女が俺の右手を強く握って縦に振る。

「ご主人様って呼び方が嫌なのですねえ、じゃあアキト様でえ~」

「…………」

「もしも~し?」

「俺、いつ名乗った?」

「やだなあ、アキト様はもれなく抽選で私に選ばれたのですよお?」

「……いや、だから、何で俺の名前を知ってんだって訊いてんだが」

「はあい? ですから、そういう運命ですのでえ」

 つまりこうか、俺はどこぞの異界の奴らから選ばれて、この妙な女を当てたと。いやいや……俺の妄想もここまでいくと病気だな。名前だけ聞いたらただのアメリカ人だろ。どんなネーミングセンスだよ。しかし待てよ、このマリなんたらって女……可愛いな。いやバカか俺は。

「あれえ? もしかしてアキト様は『聖剣闘争』を知らないんですう?」

 今度は何を言い出したこの女。

「まあ、それは私と『契約の誓い』をしてから説明しますよお」

 夏だな。頭のネジがぶっ飛んでいる奴が居ても変じゃないか。俺は一度うなじを掻いて、陽炎の見える通学路を進む事にした。


 しかし契約だの聖剣闘争だの、マジで何を言ってるか分からなかったな。いやー我ながら大した妄想だった、可愛いは正義と言うがアレは対象外だな。それよりだ、俺には妄想する以外にも楽しみはある。俺の学年でアイドルと噂が立つ程可愛い女子が居る、しかも俺は幸運にもその女子と同じクラスだ。その女子の名前は赤月ミサキ、俺の憧れ女子ナンバーワンだ。

 毎日学校に通えるのはそいつのおかげと言っても過言ではない。マジ天使。俺とそいつが付き合えば直ぐに嫁にして、子供は三人ぐらい欲しい。デートは先ずはオープンカフェで待ち合わせて、渋谷辺りにでも行くかな。そんな妄想を楽しむのが俺の日課であって、あんな聖剣がなんたらとか言っている女と運命の出会いをしている程ヒマじゃない。

「おはよー」

「ハロー」

 雑談が聞こえるな。

 気が付けば校門をくぐっていたらしい。後ろを振り返るが……よし、あの意味不な女はついて来ていないな。

「おはようーアキト君」

「お、おう。おはよう……赤月……さん」

 なななんてこった、噂のアイドル級の天使が下駄箱で挨拶してきた。これで九回目。

「今日も暑いねー」

 白いシャツの襟を掴んであおぐミサキさん。そこからチラリと見える鎖骨。うおおおお、その鎖骨たまんねえな、おい。マジ天使。君の為なら死ねる。落ち着けよ俺。……無理だ、今すぐ俺の彼女にならねえか? ハァハァ。

「ア、アキト君、鼻血出てるよ、大丈夫?」

 大丈夫な訳ない。

「ああ、いつもの事だから、大丈夫」

「ああもう……やっぱり心配だなあ……はい、ハンカチ」

 マジでか、そのハンカチの匂いを嗅いでもいいか? 落ち着け俺。

「あーサンキュー、明日までに洗って返すから」

 家宝にしたいな。肩までの黒髪から良い香りを散らしてミサキさんは教室へと先に向かって行った。


 教室は賑やかだ。あちらこちらで雑談が聞こえるし、目前に迫った夏休みの話題で盛り上がっている。俺の席は窓際の最後尾、俺の横の席には誰も居ない。友達と軽く挨拶を済ませて席に着く。白いカーテンが風で揺れていた。

「よーし、お前ら席に着け、今日も熱く過ごせよ」

 担任が教室に入って来た。専門は体育、無駄に熱い奴。

「うし、全員席に着いたな。じゃあ喜べお前ら、転校生を紹介するぞ」

 転校生? このタイミングでか。

「入れ! 転校生よ!」

 俺は右手のヒラをアゴに添えて肘を机に突く。

「はあい! アキト様~寂しくなかったですかあ」

 は? 俺の右手のヒラが頬を滑って、肘は机の場外へとズレた。悪夢でも見ているのか。どうやって転校生に化けやがったんだ。

「何だ、お前ら知り合いか、仲良くしろよ!」

 誰が知り合いだ。マジで勘弁してくれ。あの天然聖剣バカ女、俺の平和な学園ライフまでぶち壊しにきやがった。

「アキト様~サクサクと進めたいので、契約の誓いしますねえ」

 ぽかーん。後ろで結っている長い茶髪。その髪を結んでいた赤いリボンを片手でシュルリと外し俺に近づいて来る。唖然としていた俺の両肩に手を添えて天然聖剣女が俺の唇にキスをする。

「は?」

 ぽかーん。ありえねえ……って。ちょっと待てよおおお、俺にとってファーストキスだぞっ!

「お前ら、そんな親密な関係だったのか……うおおお、青春だな! 俺は感動したっ」

 バカか、この単細胞。それが高校教師の言う台詞か。終わった……ミサキさんは俺らを見て、何も見ていなかったかの様に黒板を眺めた。クラスメイトは開いた口が塞がっていない。

「はあ~良かったですう、これで誓いは完了ですう」

 何が良かったんだ、俺は色々と失った気しかしない。

「先生~私この席にしますう」

「アキトの横の席か、いいだろう、むしろいい度胸だ。俺は許すぞ、お前らの関係っ」

 だからそれが高校教師の言う台詞か。夏の空に澄み切った空気、俺の日常は崩壊した。


 こうして突如として現れた聖剣と名乗る女と俺の豹変した日常が始まる。





 第一章 そこにはもう無い現実


 一時限目、数学。担当は胸元のひらいた服を着る魅力的? な三十路教師。まあ、大人の魅力には興味無いね。

 俺は高校の入学式で、女子達のミニスカを見て興奮していた事を思い出していた。

「アキト様~聖剣闘争について話しておきますねえ」

 隣の席から声が聞こえるが幻聴だろ。

「あのですねえ、天国と地獄があるのは分かりますよねえ?」

 こんな時は妄想だ。そうだな、ミサキさんが嫁になったら、俺は平凡なリーマンでも良い。んで自宅に帰ったらミサキさんがこう言う。お風呂にする? ご飯にする? それとも……。うおぉぉ、それともの続きはなんだ! やべえ、鉄板な妄想に萌えた。

「で、私が住んでるのは『冥界』と呼ばれてて、言わば天国と地獄の間にあるんですう。聞いてますう? もしも~し?」

「だあっ! うるさいぞお前っ!」

 席を立った俺の額に白いチョークが直撃した。今時チョーク投げ? マジかよ。

「うるさいのは貴方達よ、バケツに水汲んで廊下に立ってなさい!」

 いつ時代の教師だ……。教室が肩を揺らして笑いをこらえる声で満ちた。そして俺と天然聖剣女は、水をたっぷり注いだバケツを持って廊下に立つ事になった。

 ……何この漫画的流れ。ギャグ漫画でしか見た事ないぞ。

「それでですねえ、冥界の王は権力の証しとして聖剣を持つのですがあ」

 それまだ続いていたのか、しかしブレねえなこの天然聖剣女。

「今の冥界に王は居ないのですよ、私達冥界の者も寿命はあるのです。で、王族が新たな王になる為には優秀な聖剣が必要です。その為、人間界で聖剣同士が戦って誰が一番優秀な聖剣かを決める、これが聖剣闘争なのですう~説明下手ですみません~」

 どうでもいいが眠いな。校舎の一階、木々の葉からこぼれる日差しがまぶしくて俺は眸を細める。窓の隙間から入る心地良い風に前髪が揺れ、俺はゆっくり双眸を閉じた。


 ――……選択の時は訪れる……恐れずに汝の選択を選ぶがよい……


 突風が窓から吹きこぼれ、俺は目を覚ます様に意識が引きずり出された。

「おい、今なんか言ったか?」

 すねているのか? 頬を膨らせているな。今確かに変な声が聞こえた気がするのだが……。

「ですからあ、聖剣闘争の説明ですよお」

「…………あ」

 持っていたバケツが音を立てて白い廊下に落ちた。直ぐに三十路数学教師がこちらへとドアを開けてキラリと眼鏡のレンズを光らせる。

「あんた達~っ今すぐ校庭十週っ! 転校生、あんたもよっ!」

「はあい♪」

 ありえねええええっ!

 俺は上履きのまま校庭を土煙上げて猛ダッシュする。ビバ青春か、死ねばいいのに俺。

「あれ、なんか全然疲れねえな」

「はあい、それは私と契約の誓いをした事で身体能力があらゆる面で向上したからですよお、生身の人間では聖剣闘争を戦い抜けないのですよお。今なら空から落ちてもカスリ傷程度で済むと思いますう。風が気持ちいいですねえ、ガッコウって楽しいですう」

 なにを言っているのだか知らないが、まあいいか。てかおい、バケツ置いて来いよ。

「ぶーん」

「やめっ、このバカ女バケツ置けッ! 水が飛んで来るだろうが!」

「あ、はあい、ぽいっ」

 手放されたバケツ二つが後方を走っていた俺の顔面に激突した。なぜ素直に地面に置かないで放り投げたし、フルボッコにしてえ……。


 長かった一時限目が終わった……。直ぐに賑わう教室、俺は机に突っ伏した。

「おいおいおい、アキト、お前いつの間にあんな可愛い子と付き合ったんだよ」

「ヒロキか……なんなら代わってくれ、つか付き合ってねーしマジで」

 藤山ヒロキ。高校に入ってからの友達の中では一番砕けて話せる奴。そして男子女子問わず、あの天然聖剣バカ女の机の周りに人が集まって騒いでいる。

「なんだよじゃあ俺にもチャンス有り?」

「あるある……勝手に口説けよ」

「ラッキー。あっ、そういやお前、独り暮らしで困ってないか?」

「なんで」

「お前は田舎から上京して来たろ、都会暮らしじゃ一応先輩だからな、心配しただけ」

 まあ、割りと良い奴。女子に目がなくて、あっちこっちの女子に声をかけまくっている、中途半端な奴とも言えるな。見た事は無いが全学年の女子の名前をノートに纏めている奴。

「ね、ねえ、アキト君……」

 突っ伏していた姿勢を直ぐに戻した。ミサキさんではないですか! 戸惑った表情を浮かべているな。

「あのさ、その、なんて言うかさ、マリちゃんと付き合ってるの?」

 マリ? 誰ですかそれは。ああ、あいつの事か。それよりミサキさん、そのニーソのくい込み、やべえ、あらわになっている細くて綺麗な白い太股に黒いニーソのくい込み、ああ……なにからなにまでグッジョブッ!

「マジで付き合ってないし、あいつ一人で盛り上がってるだけだから」 

「本当に?」

「マジで! ちょっと待っててな」

 俺は隣の席に座っている天然聖剣女の首根っこを猫の様に掴み、こちらへと引きずった。

「おい、俺とお前は付き合ってるか?」

「はあい? 付き合うってなんですかあ? 罰ゲームってやつですかあ? にゃあ~」

 それだけ訊ければ十分だ。席に戻って良し。

「な? あんな奴と付き合ってるとかマジで無い、むしろ迷惑してる」

「そ、そうなんだ。後ね、アキト君は告白されるとしたら直球が良いと思う?」

 なっなんて質問だ、思わず生唾を飲み込んだ。そりゃ直球が良いに決まっている。いや待てよ、人によっては間接的な告白も良いのか? いやいや直球だろ。

「直球かな」

「そっか、ありがとうっ、参考になったよ」

 な、なんの参考だっ! 気になる、気になるぞおい。ミサキさんのスカートが窓から吹き込む風によって怪しく揺れる。もっと揺れろッ! 後数センチッ! クソ、窓際の席は最高だぜっ! 落ち着け俺。そんな事を考えているとチャイムが鳴った。

 二時限目、化学、一番適当な授業。担当も特徴の無い眼鏡教師。ヒマだな。俺は窓の外の風景へと視線を投げる。俺の通うこの白桃高校は第一校舎と第二校舎、そして旧校舎の三つに分けられている。第一校舎は三年生までが勉強するスペース、三階建てだ。第二校舎は二階建ての部活動専用のスペース、まあどこにでもある造りだ。他校との違いはグラウンドが少し広い事ぐらいか。

 因みに俺のスマホの内部データは女子の太股を隠し撮りした写真が沢山保存されていると言う見事な代物だ。太股フェチ? いや違う、俺はニーソが好きなだけだ。変態? 御もっとも、俺は変態だ。いや誰でも男なら変態だろ? 色々と憧れがある。アキバに行けば俺以上の変態なんて五万と居るに違いない、間違いない。……しかし勘違いしないでほしい、俺は三次元にしか興味無い。二次元は知らん。

 スマホで写真をスライドさせながら授業を過ごす。教科書を適当に開いて机に置いて隠れながら見る、ああ、俺の脳内は今ニーソと太股で満ち溢れている。幸せだ。

「アキト様~、聖剣闘争はご理解して頂けましたかあ?」

 いい加減にしないとそのミニスカをめくるぞ。しっかし、ちゃんと答えないと騒ぎそうだな。

「要するに冥界の王が死んで、新しい王が持つべき聖剣を決めるって事だろ」

 すると眸をくりんと開き驚いた様な表情を見せた。

「凄いですう~全然聞いてなかった様で、しっかり把握してますねえ、パチパチっ」

「……で、その聖剣闘争とか言うのは具体的になにすりゃいいんだよ」

「戦いますう」

「…………」

 俺、もしかしてとんでもない事に巻き込まれているのか? 戦うって、喧嘩とかか?

「いいえ~、聖剣を持つ者同士で斬り合いますう、勿論下手すれば死にますねえ。ん~と、この人間界に相応しい言葉で言うと『殺し合い』ですう」

「…………」

 えーと確認。俺、高一だよな? 怖いヤクザさん絡みの事件とか、そう言う類の話だよなコレ? 第一青春なうの俺が死ぬとか、マジで言ってんのか。

「大丈夫ですよお、実戦は私も初めてですので~死ぬ時は一緒ですねっ」

 やっぱスカートめくって見るか。俺はなにも聞いていません、平和万歳。

「先生、トイレに行っていいですか」

 俺は片手を頭上でふらつかせて、教師の承諾を得ると席を立ち、逃げる様にトイレへと向かう。あんな奴の相手をいつまでもしていられるか。


 誰も居ない廊下を小走りでトイレへと入り、落ち着く便座トイレに入って腰を下ろす。

「殺し合い? バカか、んなもんヤクザ達に任せとけよ……たくっ」

 はあっとため息をこぼした時、俺はこの狭い便座トイレの空間に違和感を覚えた。

「カタカタカタカタカタ……」

 視線を音の鳴る足元へと下ろす。するとそこには先程まで無かった大きな兎のヌイグルミが置かれていた。ツギハギだらけで綿の詰め込まれたボディ、所々ツギハギ部分から白い綿が飛び出ている。それは口からトイレットペーパーを小刻みに鳴る音と共に吐き出して居た。そんなヌイグルミが黒くて丸い眸をこちらへと向けた。

「うわあああっ! 何だこれっ!」

「カタカタカタカタカタ……初めましてダナ、アキト」

「喋ったしっ! 勘弁してくれ、今度はなんだよっ!」

「カタカタカタカタカタ……んでダナ、アキト、この紙いつまで吐いてりゃいいんダナ」

「もういいからやめろっ! つか、お前はなんだっ! 何で馴れ馴れしく呼び捨てなんだ!」

「細かい事は気にするなダナ」

「次から次へと……マジで勘弁しろよ……今日は厄日か」

「オレ様に名前は無いダナ、まあこの人間界の言葉で言うなら『審判』ダナ」

「人間界って事は、お前もまさか冥界とか言い出すんじゃ……」

「冥界からダナ。めんどいから端折って説明するダナ」

 俺は便座に腰を下ろしたまま、両手を頭に添えた。

「今回の聖剣闘争の適合者はアキト含めて三名ダナ」

「後二人も被害者が居るのかよ……」

「オレ様は聖剣闘争のジャッジを下す審判ダナ、以上ダナ、じゃあナ」

 審判と名乗った兎のヌイグルミは俺の目の前で宙に浮き、瞬きをした瞬間消えた。本当に端折った説明過ぎて、訳が分からん。取りあえず分かった事は、俺の平和が根底から破壊されたって事か。


 本当に嫌味なくらいに良い天気だな。俺はワックスが綺麗に塗られた白い廊下を歩きながら、窓の景色を見ていた。すると前方から人影が二つ、夏の熱気にあてられ陽炎を映す廊下を歩いて来る。

「……見ない顔だな」

 俺がポツリと呟くと日差しが差し込み、俺は眸を細める。影の正体は、この学校の生徒だった。一人は白髪の痩せた男子。そしてもう一人は……うお、色白で可愛いじゃねえか!

「……ターゲット確認しました。どうなさいますか、ハクヤ様」

 黒髪が腰の下まである女子、その女子が俺を見てそう言葉を吐いた。

「ふん……只でさえ久しぶりの登校で疲れてる、後でもいいだろ、かまうな、ユリア」

 白髪の男子が俺の顔を見る事もなく横を通り過ぎる。なんなんだ、なんかイラっとする奴だな。

「おい、お前」

 かまうなって言っておいて話掛けてくんなよ。っと正直思った。ユリアと呼ばれた女子がこちらへと顔を向け、涼しい眸で俺を凝視する。

「なんだよ?」

 返事をしてやると、白髪のハクヤと呼ばれた男子が息を零して天井を見上げた。

「もう既に歯車は動き出している、状況が理解出来ないのなら……」

 鋭い眸で俺へと肩越しに視線を向けてきた。

「楽に死ね」

 はあ? なんだ、なんなんだよコイツ。言うだけ言うとハクヤとか言う奴とユリアとか呼ばれた女子は俺の視界から遠ざかる。気分が悪いな。俺は舌打ちして、のんびりと教室に戻る。欠伸をしながら教室のドアを開けた瞬間、チャイムが校内に鳴り響いた。

「お、おいおい、アキトッ、今、東条とすれ違わなかったか?」

 ヒロキが慌てた様子で俺の元へと駆けつけ、ドア越しに廊下へと顔を出した。東条? 誰だそれ。それにヒロキの奴だけではない。他の生徒達も廊下へと出て騒いでいた。

「東条って? 誰だよ」

「お前、この学校の七不思議の一つだよ!」

「は?」

「東条ハクヤ、あいつ入学と同時に学校から姿消して、夜な夜な学校に忍び込んでは屋上でヤバそうな凶器を振り回してたり幽霊みたいな女連れてるつー話だよ!」 

「ハクヤ、か。なるほど、それなら確かにすれ違ったな、ユリアって女子と一緒だった」

「ユリア?」

 その名前をきいて、ヒロキは首を傾げた。まあ多分ヒロキのいう幽霊みたいな女だろ。

「そっちこそ誰だよ、んな名前の女子は居ないぞ。俺が言うんだから間違いない!」

 確かに、学校内の女子の名前を全把握しているヒロキが知らないのは珍しい。まあ断言する辺りコイツも変態だな。

「ああ、でもあいつ『楽に死ね』とか、意味不な事言ってたな」

 それを聞いてヒロキは三歩後退し、両手を合わせて俺に黙とうした。

「短い付き合いだったなアキト……マリちゃんの事は任せて、うん、楽に死ね★」

「お前……」

「ニヒ。そ・れ・よ・か・さ、俺に提案がある!」

「今度はなんだ」

「俺がお前の為にいつも一人の赤月の事誘うから、お前は俺の為にマリちゃんを誘え!」

 何を言い出すんだこのバカは。

「今日から公開の『二つの赤い糸』って映画っ! 四人で観に行こうぜ、な?」

 く、くだらねえ……。けれど良い提案だ、あのミサキさんと映画……。このバカヒロキの事だ、席は混ぜてチケットを配る筈だ、て事は、俺の横に……。ああ、ミサキさん、おっと、よだれが。俺はすかさず親指を立てた。

「グッジョブッ!」

 もう夏休みは目前、短縮授業故に俺達は午前中の内に授業から解放された。騒がしくなる教室は雑談で溢れた。中にはさっきのハクヤとかいう不登校野郎の話題もある。だが、そんな事はどうでもいい。ヒロキは斜め前方の席から俺に目を煌かせて合図を送ってきた。

「ほえ? アキト様~、ガッコウはもう終わりですかあ?」

「ああ、コレから映画観に行くけど、どうせ着いて来るんだろ?」

「エイガ? ですかあ? 着いて行きますよお!」

 その返答を訊いて安心した。これで夢であったミサキさんとの映画の悲願が叶うのだ! ああ……暗い部屋、隣、とどのつまり僅か数センチ先にミサキさんのやわい手……。そしてラブロマンスな映画内容に触発され……「今日は……帰りたくないの」発言。うおしゃあっ! この勝負はもらったぜっ! ったく、ラブロマンスは最高だぜ!

「こっちはびっくりする程簡単にOKが出たぜ♪ アキト君は?」

 身体をよじらせてこちらの席へと近づいて来るヒロキの眸は最高に輝いていた。

「勿論、OK!」

 ヒロキと涙ながらに握手する姿に周りの生徒達は若干引いた。貴様ら愚民の知った事ではない! コレは俺とヒロキの対価商談の証し、いやもとい、友情の証しだ!

「お前でキスが許されるなら俺も許され……ヌフフ」

「お前なんかの誘いで来てくれるなら……フフフ」

「どうしたの二人して?」

 よだれが床にボッタボタと滝の様に垂れている最中、真後ろからミサキさんが肩下げ鞄を持って声を掛けて来た。あぶねえ。あくまでもポーカーフェイスだ。落ち着け俺。

「いや、なんでも、な? ヒロキちゃん」

「そ、そうそう、なんでもない、ね? アキトちゃま」

「あ、ああ、そう、ならいいんだけど……そういえば皆で噂してたんだけど、マリちゃんは外人って本当?」

 ええ、アフリカに生息する奇怪な生物です。

「ガイジンってどんな意味ですかあ?」

 この反応に若干戸惑って口元で片手の指を遊ばせながらミサキさんが話す。

「あ、えーと、つまりこの国の人じゃないのかなーって噂だよ」

「なるほどお、それならガイジンって言葉がしっくりきますねえ」

「やっぱそうなんだ! こんな時期に転校なんておかしいなーって思ったんだ」

「えーとお」

「あ、私は赤月ミサキね。好きな様に呼んでね」

「じゃあ~ミサキ様ですねえ!」

「いやー……さまって……」

 唐突にヒロキが二人の間に割り込んだ。

「じ、じゃあ俺は?」

「どちら様ですかあ?」

「ぶっ」

 俺は思わず吹き出した。絶望の面持ちと共に掃除用具のしまわれているロッカーに意味の分からないソロ壁ドンをするヒロキ。いやそもそもそれ壁じゃねえし、ロッカーだし。

「えーと……今のは失礼って言葉に当てはまるのでしょうかあ?」

「いや、いいんじゃね?」

「うん、いいと思うよ。ヒロキ君は女子なら誰でもいい軽薄な男子だから」

「なるほどお、軽薄な男はああやって一人で寂しく生きるのですねえ」

「ぶっ」

 俺は再度吹き出した。

「でもアキト様のお知り合いなのですよねえ?」

「まあな」

「でしたら、ヒロト様ですねえ、把握しましたよお~」

「ヒロキだあああああっ! 俺はヒロキだあああっ!」

 こいつら……バカだろ。

「って、なんか私達注目されてるよ……早く行こうよ」

 そりゃそうか。学年でアイドル級の天使と突然現れた謎の物体、もとい転校生が揃ってんだ。注目も注がれるだろうな。男子からは嫉妬の視線が感じられるが、そんな事はどうでもいい。悪いが学年のアイドル級女子は既に射程圏内だぜっ!

 ハッハ、ひれ伏せ愚民共。そして羨め、精々愚民は愚民らしく塾にでも行ってろ。

「ア、アキト君……また鼻血が出てるよ……」

 ハッ! 落ち着け俺。勝負はこっから、お楽しみはこっからなんだぜ。

「はあ、まあ良いや、行こうぜ。東条が登校してる時点でここは危険地帯なんだからさ」

「東条ハクヤねえ……まあ確かに異様な感じだったな」

 俺は今朝、下駄箱で貸してもらったミサキさんのハンカチで鼻血を拭った。

「異様っていうより奇怪なんだよ、歩く七不思議だぜ? やだやだ怖いね」

「凶器を持ってるとか、確かにちょっと怖いよね」

「ただの不良だろ? ああいう奴は目を合わさなきゃいいんだ」

「それより早く行こ? 私一応門限とかあるし……」

 

 そうこうしている内に俺達はバスに乗って駅前へと移動した。流石、夏休み直前。俺達の目的地である「ウンタンシネマ」に行く為の駅前は学生で賑わっていた。

「あー、良いなあ巫女奉善学院の制服……」

「ああ、あの巫女装束の高校か、このくそ暑い中、大変だろ」

 するとミサキさんが俺の前に飛び出て、中腰で俺に人指し指を立てる。

「分かってないなあ、アキト君は。あれこそ、ザ・お姫様だよ?」

「いや……巫女だろ……」

 ぶはっ、俺とした事がミサキさんにツッコミを入れるとか!

「まあそれは良いんだけど、流石に駅前は混んでるね、目が回っちゃうなあ」

 眩しい太陽を仰いでミサキさんの肩までの髪が夏風に揺れる。あの天然聖剣は両手で拳を作り、なぜか構えていた。

「なにしてんだお前」

「あのお、これって皆人間ですか? めいか……ゴフ?」

 何を言い出しているのでしょうかこの天然野郎。は即座に口を塞いで俺は不思議そうにこちらを見るミサキさんに苦笑いを見せた。

「いいか、冥界だの聖剣なんて言葉を放ったら殴るぞ」

「フガフガっ」

「めいか、メーカーね、ああ、あの巫女制服も人の手によるジャパニーズメーカーだ」

「あの制服は目立つよねえ、白と赤、あーいいなあ、私も一度は着てみたいな」

 ミサキさんの巫女姿? ……はい、大吉です、お祓い? あーもうそりゃ、今朝から変な天然聖剣が俺に憑いたらしいので、ミサキさんの巫女姿で是非ともお祓いを。

「ヒロト様の姿が見えないですよお?」

 本当にブレないなこいつ。ヒロキだっつーの。

「いやーわりぃわりぃ、バスを降りようとしたら金が足りなくてさ、土下座してきたわ」

「お前、それ映画観る金もねえってオチじゃ」

「いや、ギリッ! バス代を払ってたら観れなかったっ! 帰りはここから家近いし、徒歩で帰るけどな!」

 ドヤ顔されてもな。しかし暑い、人混みも暑苦しさに拍車をかけている。

「あ、カキ氷を食べる? モールの中に売ってるってお母さんから聞いたの」

 ヒロキは財布の中身を確認している。カキ氷という単語に天然聖剣女は理解していない。

「ったく……全員分俺が奢ってやるから行くぞ」

「さっすが俺の心のホモ、ちがっ、友っ! よしゃあ、初物だッ!」

 俺の考えが甘かった。モール内なら駅前よりは人が居ないと踏んだのだが、カキ氷買う為に行列に並ぶ事になり、挙げ句の果てにモール内のフードコートは駅前より混雑していた。

 しかもなんだこの遭遇するカップル率。喧嘩を売っているのか。

「カキゴオリって食べ物ですかあ?」

 バカな質問にミサキさんは丁寧に答えた。

「あれ、外国には無いの?」

「私は知りませんねえ~わくわくですう」

「はあん……可愛い過ぎるぜマリちゃん」

「日本では当たり前の食べ物だからね、後スイカとか」

 スイカという単語に目を輝かせ、踊る。やめろ、連れだと思われたら変態だ。

「スイカってなんですかあ~? 面白いですねえ、エイガにスイカにカキゴオリ♪」

「あはは、私はスイカ苦手なんだけどね」

 どうでもいい会話が続き、ようやく俺達の番が回ってきた。

「らっしゃーい。何味がいいかな?」

「あー……俺は焼き芋味で。お前達は?」

「私は木苺味で、ありがとうアキト君」

「あっ、俺は生姜味でいい」

「はわ~……じゃじゃ、私はこのモッツァレラ味ですう」

 会計を済ませてそれぞれのカキ氷を持って外へと出る。移動しながら食べる事にした。照り返す日差し、その中で食うカキ氷は格別だ。更に俺のスマホに保存されているニーソと太股コレクションを眺めて食べる。

「なに見てるの?」

「ぶふぅーッ」

 やっべ、ミサキさんと一緒なの忘れて、ついつい妄想コレクションに走ってしまった。

「いやあ、あっ、あんな所にも巫女奉善学院の生徒!」

「えっ、どこどこ?」

 暫しのお別れだ俺のコレクション達よ。映画を観るのだし、どうせスリープモードだ。

「居ないよ?」

「あるえ? 俺の見間違いかな」

 笑って誤魔化す、が、途端、突き刺さる様な視線を感じた。背筋がゾッとする感覚、俺は人々の行き交う反対側の歩道へとゆっくり眸を向ける。マジかよ……東条ハクヤとかいう白髪野郎と幽霊女が俺達を眺めている。前髪でその双眸は見えず、不気味に口元を緩めて笑っている様に見えた。


「うわ~混んでる、ヒロキ君、上映時間は?」

 取りあえず今はミサキさんとの映画を楽しむべし。ドーム状のホール、シャンデリアの様に並ぶモニターからは映画の予告が流れる。薄暗いこの感じがたまらないな。人が並ぶ売店ではお決まりのポップコーンやタコス、ホットドッグ等が売られている。

「やべ、上映時間少し過ぎてるし、どうするよ?」

 少し位ならいいだろ。

「いいんじゃね、少し位は見逃しても」

「ダメっ! やっぱり映画はちゃんと最初から観ないと……だってこれ……」

「ん?」

「ううんっ、なんでもない! (初めてアキト君と観る映画だからとか、言えない)」

「うーん、じゃあ……ってうお」

 考えている最中、突然手を引っ張られた。ミサキさん、そんなに必死にならなくても後少しで……って

「お前かよっ!」

 東条ハクヤ。俺は半ば強引に手を引っ張られる。

「離せっつーのっ! おい、そこの幽霊女ッ、こいつなんとかしろよっ!」

「ターゲット分析……対象をフリーズソードの契約者と確認」

「は? なにを意味不な事……おい、離せって!」

「ハクヤ様、アレを連れて行かなければなりません」

 幽霊女の言葉によって白髪野郎の足が止まり、俺の手を離した。

「おい、お前もついて来い」

 白髪野郎の視線は天然聖剣女に向けられた。

「おいおい、歩く七不思議、どういうつもりだよ、俺の連れだぞ」

「引っ込んでろ、それとも……」

 待て、落ち着け、考えろ俺。確か俺の身体能力はあの天然聖剣女との契約だか誓いだかで人並み外れている筈だ。空から落ちてもカスリ傷程度で済む程、なのになんで俺が振り解こうとしたこいつの手を解けなかった? 答えは――

「悪い、二人共、ちと待っててくれ。だからこいつらには手を出すなよ白髪」

「ふん……ついて来い」

「アキト君……? マリちゃん……?」

「大丈夫ですよお」

 一歩踏み出した天然聖剣女の手を掴むミサキさんの顔は真顔だ。その手をゆっくりと解き歩き出す。その顔から今までの拍子抜けた面持ちは無い。

「なんだって歩く七不思議の野郎、マリちゃんまで……」

「アキト君……」


 随分歩かされた気がする。

 段々と人の気配の無い工場跡地まで連れて来られた。錆びの臭いが酷いな。ドラム缶やら廃材、鉄パイプ、色々と錆び付いている。くそ、オイルの臭いまでする。

「おい、どこまで――」

「ここでいい、さあ、始めるぞ」

 なんだ、この空気。肌をチクチクと刺しやがる。まさか、マジだってのか……こいつも。

「聖剣闘争をな」

 バカか、剣なんてどこにも無い。鉄パイプで殴り合うつもりかよ。

「呼ばれて飛び出たジャジャダナ」

「うわ、お前、便所のッ! えーと、トイレットペーパー垂れ流してたヌイグルミ!」

 空中に浮くツキハギだらけの兎のヌイグルミ。

「来い、ユリア」

「はい」

 目の前に信じ難い光景が展開される。ユリアと呼ばれる女子の身体が足元から火に飲み込まれ、その身を火へと変貌させて白髪野郎の両手に巻き付いていく。無人で破棄された工場跡。ユリアは暑苦しい火を纏った白髪野郎の両手から真っ赤な色を刃に宿すチャクラム形の凶器へと変貌した、いやこれが……聖剣なのか? マジ?

「ありえねえ……なんだそれッ! 死ぬだろッ、そんなのぶん投げられたら!」

「言わなかったか? 現状を理解出来ないのなら」

 火炎を纏うチャクラム一つが俺の頬の真横を高速で突き抜けていく。

「楽に死ね、っと」

「わ、私も聖剣化しますう!」

「は?」

 天然聖剣女の身体が光の粒子と化して俺の両手に巻き付いた。なるほど、こちらもあれだけすげえ武器あるならなんとかこの場を凌げる。

「はい!」

「…………」

 天然聖剣女はアルミ製のジョウロへと変化した。

「お前の頭のお花畑にお水を下さいってかあッ! ふざけんな!」

 白髪野郎の空いていた右手に火炎が渦を巻き、新たなチャクラムが形成される。

「……」

 やばい、今度は本気で俺を狙っている。

「も、もう一回変化しますっ!」

 再度、白い粒子が両手に纏われる。そして立派な……消しゴムに化けた。

「そうですねえええ! こんなの消してしまいたい記憶ってバカかお前ッ!」

 危険を悟り、右へと大きくジャンプし、錆びた鉄柵を掴んだ。

「ももももう一回ッ!」

 確かに身体能力が向上している、しかも遥かに。一度のジャンプでまさか三階の鉄柵まで飛べるとは思いもしなかった。天然聖剣女は再度俺の両手に粒子を散らして今度こそ立派な……木の棒に化けた。

「どんな勇者でも初めはひのきの棒だぞ★って言ってる場合かバカッッ!」

 殺気が感じられた。白髪野郎は平然とした面持ちでこちらへ二つのチャクラムを投げ込んで来る。いい加減やばい。

「おい、白髪ッ! そんな派手に――やばッ」

 鉄柵に両足を着け、そのまま天井に並ぶパイプへと飛ぶ。

「くそ、好き放題だな……って、げっ」

 二つのチャクラムが俺の前後をスッと飛び抜けて足場のパイプを切断した。完全に切断されたパイプは不安定、真下には既に二つのチャクラムを形成している白髪野郎が居る。まさに人生オワタ状態じゃねえか。

「今度こそ行きますッ! た、多分……」

「ちきしょうッ! まさに青春ビバなクソ人生だなああああッッ!」

「ふん……」

 俺は両腕を振り上げ、落下する体勢から身体を一回転させ、白髪野郎に向かってその両腕を振り下ろした。寒い……俺は死んだのか? 今日が厄日って言ってもまさか死ぬとは思いもしなかった。

「ト様ッ! ……アキト様ッ!」

「へ?」

 俺の左右の手に握られるそれは日本刀に似ている。しかしなにかが違う。柄の部分にトリガーらしき物が付いている妙な日本刀が二つ。大きな音を立てて切断されていたパイプが床に落下し終える。

「なるほど、それがフリーズソードか」

「フリーズ……ソード……?」

 白髪野郎はこのフリーズソードをチャクラムの刃で防御している。金属の擦れる音が鳴り止まず、俺は聖剣を横に振り抜いて、白髪野郎の右頬を左へと蹴り抜く。

「フム、やっと具現化したダナ」

「やりましたッ! アキト様、これが本来の私、フリーズソードですッ!」

 よく分かんねえけれど生きている。あの白髪野郎相手に生きているのか。けれど生を喜んでいる場合ではないか、オイルに白髪野郎の火が飛び火して工場内部はサウナ状態。だけれどなんだ? 俺の周囲に流れる冷気、そして柄の部分にあるトリガー。

 俺は思い切ってそのトリガーを力強く握った。一瞬だった。周囲の冷気が拡散して地面、いや工場全体を一気に凍結させた。二つの日本刀の刀身は真っ白になり冷気その物を拡散させている。

「ム、待てダナ」

 俺と少し距離を置いてドラム缶の上に片手を添える白髪野郎はヌイグルミの審判へ向けて顔を上げる。

「誰カガ、見てるダナ。試合は中断ダナ」

「ふざけるな、やっと斬れる相手が出来たんだ、中断なんか出来るかッ!」

 白髪野郎の両手が火炎を纏い、チャクラムは真っ赤に刃を染める。

「紅蓮に焼かれて死ね、死ね、死ねッ、死ねッッ!」

 凍結していた工場内、その氷が次第に溶ける。俺の背後に垂れていたオイルが燃える。

「こいつ……頭のネジ飛んでんのかよ」

「ユリアが喜んでくれないじゃないかッ! 冥界の聖剣は血を啜る悪魔だろうがあッ!」

 まるで化け物だ。オイルに引火した火が白髪野郎を焼いている様に見えた。だが、そんなの関係ねえらしい。

「ユリア、お前も望むだろ、こいつの死をッッ! シねぇぇええッッッ!」

 聖剣がこの闘争を望むのだろうか、俺は考えもしなかった、と言うかこんな状況にならなければ聖剣の存在自体を否定しているだろうな。でもさ……俺の知っている聖剣は……あの天然聖剣は……そう。

「聖剣は誰かの死なんて望んでねえええッッ! ア・ク・セ・ル・全・壊ッ!」

 トリガーを思い切り握ると、竜巻が起きたかの様に俺を中心に冷気の風が工場内部を吹き抜けた。

「聖剣が悪魔なのか、どうなのかは知らねえよ。なにせ俺は今日、こいつと出会ったばかりだから、だけど底抜けに明るくて、バカらしくて、天然なこいつを」

 白髪野郎は両膝を凍りついた床へと落とし、火炎を纏っていた聖剣は完全に凍った。

「俺はまだ悪魔とは呼べそうにねえわ」

「アキト様……」

「ふ、ふはは、とんだ世間知らずで綺麗事思考の主だな、はん? フリーズソードッ! そんなヌルイ感情は直ぐに無くなる……これだけは覚えておけ」

 少し間を空けて白髪野郎が続けた言葉。

「お前にとってもう、そこにはもう無い現実、だ。フクク、アッハハハッ」

「…………壊れてやがる」

「フム、ハクヤは自我をコントロール出来てないダナ。オレ様が別の場所へと転送するダナ。アキトは今後に備えて休んでおけダナ、さらばダ」

 そういうと審判を語るヌイグルミと白髪野郎は消えた。誰かが見ている、か。

「アキト君ッ! マリちゃんッ!」

 知られた、よな。二つのフリーズソードが光の粒子を散らして消え、天然聖剣は元の姿に戻り、工場入り口に立つミサキさんの元に走った。

「ふえーんっ、ミサキ様あッ!」

「アキト……説明してくれるんだろうな?」

 説明、か。「そこにはもう無い現実」を信じられるのか、いや、それ以前にこんなバカな戦い、聖剣闘争には巻き込め――

「巻き込めないとか無しだぞ、アキト」

「――……」

「それに」

 説教か? まあ説教されても仕方無いか、こんな人の道を外れている戦いをしちまったんだし。

「お前のせいで映画計画が台無しだぞ★」

 そうか、そうだな。もし、本当の友達ではなきゃ、終わってんだよな。

 そこにはもう無い現実? バカか俺は。

「もう大丈夫だから泣かないでマリちゃん、そうだ美味しいカフェを知ってるから行こ」

「うえーん……スイカあ?」

「はは、流石にそれは買えないけどコーヒーとケーキならアキト君が奢るってさ」


 ここにしっかり。


 現実があるじゃねえか。 


 一巻完 二巻へ続く。

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