第7話 優しすぎるのです
私の頭を撫でていたヴィンチェンツォは、よし、と言って私の頬を両手でむにむにしました。
「ユリア、俺は今夜のうちに軍を率いて旧ペトリ辺境伯領へ出立する。アナトリアに関することは妹のペネロペが詳しい、絶縁状を叩きつけると知れば、喜んで協力するだろう。事情を知らせておくから、夕食のあとにでも一緒に作戦会議を開くといい」
妹ですって。ヴィンチェンツォ、妹がいたようです。
私の頭を撫でたり、むにむにしたり、異性とのスキンシップを厭わない理由に少し納得がいきました。ヴィンチェンツォは兄弟、それも妹と仲良くしているのでしょう。どことなく、淑女らしからぬ甘やかされ方でも憎めないのは、ヴィンチェンツォが手慣れているからですね。
私は背筋を伸ばし、顔を引き締めます。
「分かりました。ペネロペ様ですね」
「ああ、あいつは俺と違ってちゃんとした公爵令嬢だから、社交界の戦いでは頼りになるぞ」
「では、私はヴィンチェンツォ様とペネロペ様のお二方に、二方面の戦いを助けていただけるのですね。なんだか、どうお礼をすればいいのか」
私は真面目に言ったのに、ヴィンチェンツォはいきなり笑いはじめました。
「ははは! お前は義理堅いな、図々しいのか謙虚なのかさっぱりだ!」
どうやら、私の受け答えは、ヴィンチェンツォの笑いのツボにはまったようです。
釈然としませんが、私は褒められていると受け止めておくことにしました。
そうして私はヴィンチェンツォに別れを告げ、書斎の外でずっと待っていたらしい老執事のクォーツさんと合流して、今後について相談することになったのです。
しかし、別段私が何かをすることはなく、すでにレーリチ公爵が色々と指示を出してくれていたようです。
「旦那様のご指示により、ペトリ家の契約しているアパートメントの部屋は引き払います。今日からはレーリチ公爵邸でお過ごしください。公子の婚約者に一人暮らしをさせるのはやはり危のうございますし、またレーリチ公爵家の行動に何かと反対する貴族も多うございます。ユリア様にはご不便をおかけいたしますが、できるかぎりご希望に沿うよう手を尽くしますゆえ、何卒ご了承いただけますよう」
なんと、至れり尽くせりと言うべきか、引越しまで。
確かにペトリ辺境伯家がなくなった今、手元には二、三ヶ月分、いえもっと少ない生活費しかなく、家賃の高いアパートメントをどうしようかと私は不安でしょうがありませんでした。それがこうも解決してしまうなんて、ご不便もご不満も何もありません。契約を終了して部屋を引き払うことも、引越しの手続きも全部やってくれる、ということでしたので、私は感謝感激あめあられです。
「ありがとうございます、なんとお礼を言っていいか!」
ぺこぺこ頭を下げどおしの私へ、クォーツさんは笑顔で、まあまあ大丈夫大丈夫、と素晴らしいお気遣いの紳士ぶりです。とりあえず、すでに私へレーリチ公爵邸で過ごす部屋が与えられているとのことで、クォーツさんに連れていってもらいます。
「私どもに礼などかまいません、旦那様がやれとおっしゃられたことをこなしたまでなのです。それに、旦那様もヴィンチェンツォ様も、あれでとてもお人好しなのですよ。困っている人間を見れば見捨てられない性分なので、どうしても……」
「どうしても……?」
クォーツさんが途切れさせた言葉に、何が続くか。
私にとっては、いえ、きっと誰が聞いても意外すぎることを、クォーツさんはしみじみと語ります。
「この世の中で、自らの手でそれを
クォーツさんの言っている意味を、私はほんの少しだけ理解できました。
優しいから、武器を手に取らなくてはならない。
武器がなくては、誰かを守ることもできないし、お金と権威だけでは解決できないことをなんとかできるかもしれない。
優しいから、彼らは武器を取るのです。
私の家族も、領民たちも、戦いたくて武器を取ったりなんてしません。誰かのために戦えるほど優しいから、己の力を使って命懸けで戦うのです。
それはまあ、確かに『野蛮人』かもしれません。交渉やお金で解決できるのに、と言われても否定はできません。
しかし、世の中はそれほど甘くはありません。
私が婚約破棄されたとき、話し合いで解決はできたでしょうか? 私が困ることを分かっていても、タドリーニ侯爵家からは同情の言葉も、お金さえももらえませんでした。
東のペトリ辺境伯領がウェンダロスに攻め込まれることが分かっているなら、国土を守るため軍備を増強すべきだと思うひともいれば、任せているのに勝てない連中は捨てておけと言うひとだっているでしょう。王都、西や南の貴族たちは、決してペトリ辺境伯領へ経済的支援をしませんでした。
ウェンダロスとの争いを交渉やお金で解決できればやってくれるひともいたかもしれませんが、結局は干戈を交え戦うしかありません。
レーリチ公爵家、ヴィンチェンツォは——誰かのためなら、血の中にだって手を差し伸べてくれるのでしょう。
なんだか、泣きそうになりました。
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