第6話 なんかこれ、しっくり来る
私はヴィンチェンツォの顔を見ていられず、頭を下げて思いつくかぎり非礼を詫びます。
「ご気分を害しまして大変申し訳なく存じますしかし私めにはできることはまったくと言っていいほど何もなくて」
まずいです、また言い訳になってきています。私は他の言うべきことを探しますが、咄嗟には思い浮かびません。
しかし、ヴィンチェンツォは冷静でした。
「いや、気分は害していない。それだけ必死だったのだろうし、お前の家族や領民を思う気持ちはよく伝わった。そこまで真摯に助けを求められたなら、それに報いるは
さも当然、と言わんばかりに、ヴィンチェンツォは語ります。
私は困惑しました。タドリーニ侯爵家のベネデットは、そんなこと言わなかった。ベネデットはもしや高貴ではない? などと思考がぐるぐる迷走しはじめたところで、私は下手な考えを打ち切ります。
とにかく、ヴィンチェンツォは私の家族と領民たちを助けてくれるのです。色々と理由はあれども、兵を出して戦うことさえ厭わない姿勢は、他の誰も真似できないことでしょう。現金だし贔屓目かもしれませんが、私にとってはヴィンチェンツォのその姿勢はとても好ましくて、背後から後光が差して見えます。
一方で、ヴィンチェンツォはこうも言いました。
「だが、俺は王侯貴族の間では『
私は即答します。
「いえそれはまったくかまいませんし、隙を見せると攻め込まれるご時世ですから、武力はあるに越したことはないと思います。我が家も欲しかったです」
「……そうか、婚約指輪よりも?」
「婚約指輪で領地が守れるなら価値はあったかもしれませんが、特にそういうことはなかったので」
「まあそうだな。タドリーニ侯爵家は守るどころか、お前を婚約破棄して追い出したわけだしな」
ふむ、とヴィンチェンツォの緑の目が私をじっと見て——あれ、ヴィンチェンツォの右目は緑ですが、左目は茶色ですね。オッドアイというやつです、初めて見ました。興味深くてまじまじと見つめていたら、ヴィンチェンツォが実に不機嫌そうに文句を言います。
「物珍しいか」
「あ、申し訳ございません、両目の色が異なる方は見たことがなかったもので」
「正直だな。まあいい、面白がられるのは慣れている」
「はっ、またまた申し訳ございませんご気分を害して」
「害していない。落ち着け、ステイ」
手のひらを向けられて、私は浮ついた心と腰を踏み台に押し付けます。全然落ち着いていませんが、落ち着いているように装うのです。
ヴィンチェンツォははあ、とため息を吐いて、少々いらつき気味に——私に、ではなくここにはいないどこかの誰かに、でしょう——ちょっと離れた本棚へ目をやって話を続けます。
「とにかく、その俺と結婚したい女というのは……よほどの変人か、何か企みのある人間だ。たとえばスカヴィーノ侯爵家のアナトリアなど、俺にしつこく付きまとっている」
あなたと結婚したい女性、いるじゃないですか。私はそう言いたいのを我慢します。
しかし、スカヴィーノ侯爵家、その名はよく知られています。西に大きな領地を持つ家で、いくつも貿易商会を持ち、著名な芸術家たちのパトロンとなっていて王都や領地でしょっちゅう大規模な展覧会を開いていると耳にします。羨ましいかぎりです。
そのスカヴィーノ侯爵家令嬢アナトリアでさえ、ヴィンチェンツォのお眼鏡にはかなっておらず、むしろ嫌がられているわけです。どういうわけか、それを私が尋ねるのは気が引けますが、ヴィンチェンツォから愚痴ってもらえるなら喜んで拝聴する次第です。
「馬鹿な女だ。おかげでやってくる縁談をことごとく断って、二十歳にもなるのに婚約者の一人もいない」
「あの、なぜそのアナトリア様は、ヴィンチェンツォ様にそこまで執着なさっているのですか?」
「さあな、大昔に転びそうになったのを助けただけでずっと粘着されている。俺はあんな強欲な女は嫌いだ、吐き気がする」
なるほど、スカヴィーノ侯爵家令嬢アナトリアは、ヴィンチェンツォの好みではない、と。
結婚は貴族の義務で、政略結婚はごく当たり前ですが、だからといって気に入らない相手とは結婚したくないからしない。心にも懐にも余裕ある大貴族だからこそできる考えです。私からすれば、ヴィンチェンツォもスカヴィーノ侯爵家令嬢アナトリアもそれは似たようなものですが、この流れでそれを言うと怒られると分かっていますから私は口にしません。私は学習しました、えらい。誰も褒めてくれないので、心の中でセルフで褒めます。
ところが、私が失言に気を付けていると、愚痴で調子を良くしたヴィンチェンツォがこんなことを言ってしまいました。
「そういえば、タドリーニ侯爵がお前との婚約を破棄したなら、けしかけてアナトリアとくっつけてやればどうだろう。そうすれば俺は晴れて自由、お前を捨てたタドリーニ侯爵にあの性悪女の後始末をするくらいの甲斐性があることを祈って」
ヴィンチェンツォの滑らかなお口は、ようやく止まりました。
ちょっとしょんぼりしている私へ目を向けて、気まずそうにしています。
わがままかもしれませんが、その、いくら理不尽なことを言われていても——元婚約者の悪口を言われるというのは、あまり気分のいいことではありません。それに、ヴィンチェンツォが他人の悪口で気分を良くしている姿を見るのは、心苦しいです。
——ひょっとして、ヴィンチェンツォもそういうものなのかしら。やっぱり、私とは婚約だけしてポイっと、もし結婚したって別居して放置みたいなことになるのかしら。
そんなふうに将来を想像すると、私は泣けてきました。おかしいですね、家族と領民の命が助かるならそれでいいのに、私がちょっと理不尽な思いをしたくらいで泣くなんて。
でも、でも、と私が自分の心を落ち着けようと、説得しようとしていると、ヴィンチェンツォは咳払いをしました。
「こほん。いや、そういう意味じゃない。俺はアナトリアが嫌いなだけでだな、お前と婚約するのは何も悪くない。泣くな、ちゃんと婚約してやるから」
「はい……」
ヴィンチェンツォ、何とも不器用な慰め方です。
それだけでは気が済まないのか、私へと前のめりになって、慰めどころか励まそうとしていました。
「結婚だって前向きに考えておく。俺が結婚すればアナトリアも少しは諦めるだろうし、何よりお前は家族のため、誰かのためにと単身このレーリチ公爵家へ乗り込んでくるほどの女だ。自分の身も顧みず、懸命に誰かのために尽力する。それは美徳だ、誇れ」
私は、こくんと頷きました。褒めてくださったお礼を言いたいところですが、口下手な私は墓穴を掘ってしまいかねないし、万一にも涙声を聞かれたくなくて、頷くことしかできません。
そっとヴィンチェンツォは私の頭に手を置きました。
私の黒髪に近いダークブラウンの髪は、カレンド王国では特に珍しくもなく、辺境である東の地域に多い髪色です。それゆえに、先進地域である王都や西の貴族たちからは田舎者と見做されて、躍起になって金色や赤色に染める貴族令嬢もいます。
王都の貴族は、田舎者の髪に触ることを嫌がるはずです。土に塗れた髪、蛮族に近い髪色、そんなふうに口さがなく言われることだってありますし、ましてや金髪の公子様であるヴィンチェンツォが触れるなんて、びっくりして私は動けません。
ヴィンチェンツォは何度か押し付けるように撫で撫でとして、私の頭をぽんと叩きます。あれ、これってひょっとして、犬か何かだと思われてませんか?
そんな疑問はよそに、ヴィンチェンツォはいいことを思いついた、とばかりに私から手を離します。
「よし、お前に一つ、仕事を頼もう。結婚のためにはまず、アナトリアに絶縁状を叩きつけてこい。俺の婚約者という肩書きでだ」
ほえ。
絶縁状。
私の頭ではそこまで深く考えられませんが、ヴィンチェンツォが望むのならやりますとも。
なので。
「がんばりますので頭を撫でていただけますか?」
「うむ」
ヴィンチェンツォはもう一度、私の頭のてっぺんに手を置き、もしゃもしゃと撫でます。
ヴィンチェンツォが撫でやすいよう頭を差し出した私は、だんだんやる気が湧いてきました。
なんかこれ、しっくり来る。
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