揺れものに包まれる男たち

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

男磨き

 私はいつも遅刻する。

 5分前に行動していても、必ずトラブルを起こしてしまうからだ。そんな些細なつまづきが着実に自信をなくしていた。

 自転車を漕いでいるときに、目の前で猫が通り過ぎる。慌ててブレーキを踏んで、片足を地面につけると、接し方が悪くて挫いた。右の肘が痛むけど、また漕ぎ直す。

 自宅に到着し、自転車を収納する。玄関を開けてパソコンの前にたどり着いた。スリープ状態を解除し、筋原さんのリンクを踏んだ。

 Zoomの画面が開かれる。参加者の面々はすでにカメラをオンにしていた。彼らは一度も遅刻をしたことがない。


「あれ、宮本さん。今日は仕事を早く終えられたのですか?」


 参加者が、私のログインに気がつく。カメラで自身の顔を見る。私の髪が帽子に潰され、平べったくなっていた。

 これでは筋原さんに示しがつかないから、必死に整える。そのまま答えた。


「ええ、新人の方も仕事を覚えるようになってきました。おかげで残業していません」

「もう三ヶ月ですか。最初の頃はとても苦労されていたと話してましたね」

「ええ、私よりも年配のかたなのですが、こだわりが強くてなかなか溶け込んでくれませんでした」

「やはり工場となれば連携は大事ですよね」

「そうですね。そこを怠れば、人災を招くので」

「私には工場はできないなー。細かい作業が無理だし」


 工場は肉体労働だし、納期を達成するまでがとてもつかれる。不意を付けば大怪我も負うけど、作ることは嫌ではなかった。仕事を否定されたとき、私は曖昧な返事しか返すことが出来ない。

 曖昧に頷く。そのタイミングで、筋原さんがZoomに参加してきた。


「皆さんお揃いですね。筋原です。皆さん、元気ですかー?」


 髪の毛を身近く揃え、横は刈り上げている。目元は細く、シワから経験が伺えた。

 高級そうなスーツに身を包み、今日も彼は参加する。

 ただ、いつもと違うところが一つあった。頬に、白色の吐瀉物のような汚れがついている。


「筋原さん。頬に……」


 私の指摘で、彼は直ちに拭く。


「子どもがイヤイヤ期に突入しまして……、まったく妻は何をしているのでしょうか」

「筋原さんでも女性に困ることがあるんですね」


 彼はティッシュを丸めていた。画面外に捨てると、後方で音がした。赤ちゃんの泣けば許されると思っている甘えた泣き声。

 彼は幸せそうに微笑んでいる。ありがたい迷惑だというが、人生のゴールラインに到達しているようだった。私も早くそのような幸せに到達したい。


「やっぱり子供を産むと女は変わりますよ。皆さんも気をつけてくださいね」

「筋原さんがいうと説得力が違います。あなたは色んな女性を抱いたことがあるのでしょう」

「皆さんもすぐそうなりますよ。わたしの話を2ヶ月も聞いているのですから。みなさんは実践しました?」


 周りは、口々と筋原さんに報告する。中には、女性と付き合えた人もいる。拍手をする筋原さん。


「皆さん聞きましたか。彼は女性をモノにできました。ただ、これで終わりじゃありませんよ。筋原ピラミッドで言えば初歩です。そこはわかりますよね」

「筋原さんどうしたらいいですか」

「もっと男を磨くことです。そのために必要な講義は、十分に受けられます。いいですか? では、始めますね」


 わたしと筋原さんの出会いは悪かった。彼の発言が、時代錯誤だと非難されている場面にネットで立ち会う。

 私も最初はよくわからず同調し、彼を嫌う。ただ、粗を探すうちに同意する部分も増えた。

 たしかに、多様性を重視するうちに子供の数が少なくなっていて、国力は弱まっている。わたしは差別しないけど、性別を偽る目立ちたがりも増えていた。

 まさに、言葉にしない疑問を明文化してくれたのだ。

 それに、彼は、震災にあった人々に支援するような善人でもある。

 講義に申し込むと、彼は私のことを弱者じゃないと教えてくれた。

 私でも結婚できるし、社会的に必要な立場になれる。

 講義は毎週火曜に50分ある。

 今回も重大な話だった。わたしはメモを取っていると、筋原さんが呼び止める。


「宮本さん。講義が終わったら残ってくれますか」

「わかりました」


 講義が終わり、皆が退出した。私と筋原さんだけが残っている。彼から私に近況を再度尋ねる。


「宮本さん、出会系アプリはうまく行っていないでしょう。報告会のあとから集中していませんでしたから」


 チームメンバーの一人が女性と付き合った。それを聞いてから気持ちが優れていない。出し抜かれたような狡さを傲慢に感じていた。それを年下に見抜かれてしまっている。恥ずかしくて、頬をかいた。


「そんなに顔に出てました?」

「ええ、どんな感じになっていますか?」


 私は、自身のプロフィール画像と文章を添削してもらう。その後、女性と話すアドバイスをもう一度もらった。


「そうですね。前に行ったように、他撮りの写真にしましょう。これは、最初の写真よりマシですが、どこか自撮りのように感じます」

「これでもだめですか」

「気難しそうに思われますね。文章についてもそうです。傷つきたくないあまり、発展性がありません」


 私は小学生時代を想起した。先生が、私の遅刻癖を教室で説教する。あのときの視線が私を卑屈にした。


「ほら、顔を暗くしない。これはアドバイスです」

「どうしてもヘコんでしまって……、だってこのままでは筋原さんが企業と提携したワックスや香水を使わずに腐らせてしまって、本当に私の為に尽くしてくれるのに……、申し訳がないんです」


 ちらりと彼を見る。腕を組んでなにかを考えている。その後口を開いた。


「真面目さで売ってみますか。私がスーツを揃えますよ。私が着ているお店です」


 私は彼と同じようなスーツ姿を想像した。まるで同じ立場に経ったような誇らしさを感じられる。ぜひ、スーツを手に入れたいと強く思う。


「いいんですか?」

「ええ、きっと似合うと思います」


 頬が緩むのを抑えられない。私は彼を崇拝している。彼に認められたいし褒められたい。


「特注になるので、お値段がかかるのですが……」


 想像よりも値段が高かった。

 いまの貯金では購入できない。

 会社に前借りを請求することに決めた。



「突然のことだから驚いちゃったよ」


 同僚が私の行動を話題に出している。

 講義後、私は上司に前借りの相談をした。二度目ないと承諾されない。

 その行動を同僚に目撃され、いま周知されている。


「宮本ちゃんってガールズバーにハマってんの?」

「いやー、ほんとどうしよ。金ないです」

「短期バイトしたら」

「株します」

「やめとけ。君は株やFxに向かない」

「久保田さんは株やってます?」

「それなりにやってる。まぁ儲かっている」

「うまくやりくりしているんですね」


 すると、彼は前方の男性に目を向ける。


「アイツもやってるらしい。株」


彼の名前は伊川。2ヶ月前に入ってきた歳上の新人で、仕事を覚えられない。いま、話している久保田さんが教育係だった。

 簡単なことも記憶できず、現在も製品を壊してしまっている。

 上の物が現場に到着するまで、私たちは待機していた。


「絶対破産するでしょ」

「たぶんウソだとおもうんだよ」


 伊川は仕事の説明を理解していないのに、頷く悪い癖がある。それで何度も現場が混乱した。


「年上だから余計なこと言えないし、自分で少しは考えてほしい」

「まあ年は気になりますよね」

「人が足りないからってあんなのを派遣してから」


 リーダーが現場の継続を判断する。私たちは普段の業務に戻っていく。

 筋原さんを失望させてはいけない。まずは、スーツ代を揃えるために外へ撮影する。私は仕事終わりに出かけることにした。



 家の近くは飲み屋が多く、人通りが多い。若いカップルや部活帰りの学生が通っている。

 私はスマホを片手に良い場所を探していた。すると、横に倒れている男性を発見する。

 普段なら素通りするが、見覚えのある男性だったため、足を止めた。その後、伊川であることを思い出す。

 私はかがんで、彼を救護する。


「こんなところだと怪我します。伊川さん行きますよ」

「あれ、宮本くん……」


 とりあえず公園に連れ出した。自販機で水を購入し、飲んでもらう。

 彼は呼吸を整え水を飲む。

 わたしは携帯を弄りながら、出会い系で女性とやり取りした。


「悪いね。少し落ち着いた」

「やけ酒ですか。仕事に支障がでますよ」

「今日の失敗を酒で流してました。ここまで飲んでしまうとは思いませんでした」

「ああ。怒られてましたね」


 彼は、仕事終わりに酒へ逃げる。その量は失敗した数に比例するらしい。

 今回は、取り返しのつかない破損だった。


「上司は現場に入ったことないから、感情任せに怒るんだよな。あれイライラしますよね」

「宮本さんも怒られるんですか」

「怒られてましたよ。いまでも理不尽に言われることがあります」


 彼の中で私は仕事のできる人間に写っているようだ。だが、私はただ男らしくない人間なだけ。


「いやでも、わたしは宮本さんに感謝しています」

「え、どうしてですか」

「宮本さんは覚えていないでしょうけれど、俺は陰口を庇ってもらったことを忘れていません。他の現場では、同調する人たちばかりで嫌気が差してました。貴方だけは他の人達より違うと感じたのです。それだけでどれだけ救われたことか、計り知れないです」

「そんなことしてないですよ。私はただそんな気分じゃなかったから、乗っからなかっただけだと思います。第一、私はまだ凄くないです。褒めるところはないですよ」

「あなたは男らしいですよ。まさに自分を貫く職人って感じです。だって、この若さで優秀じゃないですか。将来有望なのも伝わってきます。羨ましいな」


 私はなにを苛立っているのだ。

 なぜか、彼の発言が全部言い訳に聞こえる。


「宮元さんはモテるんだろうな」


 その発言に肩を震わせた。筋原さんだったら、そんな誤解しない。


「どこがそう見えますか」


 公園は飲み屋から離れていて、人も少ない。もう一つの近場に座れる場所があるから、そこに酒飲みが集中している。

 すっと立ち上がった。

 伊川は私が動いたことに気が付かずに、目を瞑って、顔を上下している。


「俺も宮本さんみたいになりたいです。尊敬してますよ。年上に言われても、嫌でしょうけど。ちょっと女々しいですかね?」


 頭部を殴った。伊川は情けない声を上げて、ベンチから降りる。イモムシのように丸まっているから、私は左足で彼を蹴り続けた。

 5回ぐらい攻撃する。彼は動かなくなったので、帰ることにした。

 私は公園から出ようとして、彼のもとに戻る。ポケットを弄り、財布を取った。



 仕事終わり、私は服を着替えた。今日は人との約束を取り付けている。スーツ姿の私を久保田さんは評価した。


「似合ってるじゃん」

「ありがとう」


 私はロッカーの扉を閉める。

 指先の黒ずみが、鍵穴についてしまった。

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