婚約破棄ならお早目に

宰相の息子、エルリックの除籍

「エルリック、お前は廃嫡だ。好きな様に生きていくように」

「アーウィン、次はお前の件だ。レティシア嬢のドレスにかかる費用は承認する。一緒に宝飾品も贈るといい。結婚も近いのだからな」

「マーリス、お前は本当に縫いぐるみが好きだなあ。好きなものを選んでいいが、１つだけだぞ？」

宰相であるゴドウィンは、てきぱきと用件を伝え終わると、最後に幼い末娘を嬉しそうに抱っこした。

アーウィンも「はい、父上」と言ったきり、弟のエルリックの件には触れない。

父の話は終わったのだ。

だが、突然告げられた父の言葉に、エルリックは納得がいかなかった。

「あの……父上？」

「ん？何だ？いや、正式にはまだだが、除籍するのだから私をもう父と呼ぶんじゃない」

それが納得いかないのだから、エルリックは引き下がる訳にはいかない。

泣かないように歯を食いしばり、父へと詰め寄る。

「何故ですか！私はそこまでの事をしては…」

「いないと？ん？お前オルブライト公爵令嬢にも暴言を吐いたな？浅ましい女だと。エリンギル伯爵令嬢には、煩い女だとも言ったのだったか？婚約者のエリン嬢を無視して、夜会用のドレスも贈らずに、エスコートもせず。男爵令嬢をエスコートしたそうじゃないか？」

「お兄様、ひどい……」

父の言葉に、妹が責めるような視線を向けてくる。

可愛がっていた妹の冷たい眼差しに、エリックは一歩下がった。

羅列されれば、確かに酷いけれど、その時には確かに理由があったのだ。

王太子の婚約者オリゼー・オルブライト公爵令嬢は、その座にしがみ付くあまりに、王太子の寵愛を受けているアリスを苛める主犯だと、皆思っていた。

今思い返せば、そう言っていたのはレンダー王太子だ。

だが、オリゼーは王城での仕事が忙しく、時々学園を休んでいたので、王太子やアリスに直接何かを言っているのは見かけた事がない。

エルリックはただ、レンダーの言葉に追従しただけである。

暴言ではあるが、本人へ向けて言ったわけではないのだ。

エリンギル伯爵令嬢のイライザにしてもそうだ。

会うたびにマーティンが小言を言われて大変だ、というからそれに同意しただけで。

エリンを無視したのだって。

いや、無視はしていない。

アリスが行きたい夜会に、エスコートできる人間が居なかった時にだけ、エルリックがその役をしていただけだ。

同じ夜会にエリンが来ていたのは知らなかったが、数回程度なのだから目くじら立てる事はないだろう。

アリス・ピロウはか弱くて可愛らしい女性だ。

守ってやらないと、簡単に手折られてしまう花の様な女性なのだから。

優先してあげないと可哀想である。

「でも、僕は女性を守ろうとして…」

「ふむ。好きなようにすればいいではないか。なあ？お前は自由だ。エリン嬢もペルダン侯爵も慰謝料は望まないと言っておられたが、私は幾許か払う予定でいる。お前は好きなように、我が家とは関係のないところで、好きな女を守ればいい」

侯爵家の為に働かない者はいらない、と切り捨てるような言葉にエルリックは、呆然とする。

でも、婚約を解消するほどではないのではないか？

自分が望めば、やり直したいといえば、継続できるのではないか？

エルリックの頭の中でそんな言葉がぐるぐるするが、続けて父が言った。

責めるような視線を向ける妹のマリースをあやすように、父はその頭を撫でている。

「随分優しいなぁ、ペルダン侯爵は。なあ？マリースや。お前をもしそんな目に合わせる輩がいれば、父はそんな生ぬるい事はしないぞ？」

「嫌ですわお父様。それならば、最初からきちんとした殿方と娶わせてくださいませ」

「おお、そうだ。賢いなあマリースや」

用は済んだとばかりに、娘を愛でながら父は晩餐室を出て行く。

父上、と呼ぼうとしてそう呼ぶのを禁じられた事を思い出し、何と声をかければいいのか分からず、エルリックは父と妹の姿を見送った。

残された母も、一切エルリックを見ようとはしていない。

溜息を吐いたアーウィンが、エルリックの肩を叩いた。

「いいからもう、荷物を纏めろ。父上の決定は覆らない。お前も分かっている筈だ」

「でも…俺は悪い事はしていない…」

弱弱しいエルリックの言葉に、アーウィンは呆れたように冷たい声音になった。

「さっき父上が並べた、全ての事の１つだけでも、お前の大きな瑕疵になるのが分からないほど間抜けだとは思いたくなかったよ。瑕疵がなくてもそんな馬鹿では後継は務まらん。さっさと出て行け」

最後の味方だった兄まで敵に回って、縋る様に母親を見るが、視線を振り切るように母は晩餐室を出て行った。

兄が婿入り予定だから、自分はこの侯爵家を継ぐだけで良かったのだ。

金も権力もある家だ。

宰相も何れは自分が務め、レンダー王太子の側近として生きる予定だったのに。

それに、アリスも。

王妃など務まらないし、側妃も難しいだろうから、自分が妻にしようと思っていた。

でもそれは、侯爵を継いでから行うべき事で、それまでは仮の婚約者としてエリンを置いておく予定だったのだ。

それが、昨日の一件で全てが崩れ去ってしまったのだ。

ただの平民になる。

金も権力も、爵位も婚約者も、全てを失くして、男爵令嬢のアリスにさえも手が届かない。

これから、何処へ行けばいいのだろう？

エルリックは突然放り出されて途方に暮れるのだった。