王太子レンダー「名誉な事だろう?」

「くそっ、何故うまくいかない!」

レンダーは帰城すると真っ直ぐに自分に割り当てられた王太子の執務室へ向かった。

案の定、執務室の中には文官が居り、書類を置いていく。


「それはオリゼー……チッ、デリックへ回せ!」


オリゼーはもう王城にはいない。

そう彼女は今日、中庭で宣言していた。

いつもの様に書類仕事を回そうとして、実の弟であり第二王子に手伝わせようと文官に命じるが、文官は一瞬冷たい眼を向けた後、机の上に置いた書類束から手を放す。


「王太子の命令であっても、職務を越えた権限はございませんので、致しかねます」

「口答えするな!罷免されたいのか?」

「であれば、仕事を拒否されたと国王陛下に上申致します」


顔色を変えずに言う文官の言い分に、逆にレンダーは焦りを隠せなかった。


「もういい、置いていけ!」


命じても従わない事には腹は立ったが、自分で持って行けば手間も省ける。

積み上がった書類の一部を抱えると、レンダーは勝手にデリックの執務室の机にそれを置き去りにした。

序に、とばかりに王太子妃としてオリゼーの為に用意された部屋に赴くが、何時も立っている護衛や侍女はおらず、中が無人である事を示している。

それでも僅かな期待を持って部屋を開けるが、綺麗に整えられた部屋の中にオリゼーはいない。

いつも書類や本が載っていた執務机は、外の光が反射するほど、何もない。

不躾に洋服箪笥を開け放てば、幾つかのドレスが中で揺れている。


「何だ?まだ戻る気はあるんじゃないか」


と言いつつも、それにしては置いていったドレスは少ないし、何故か今のオリゼーでは着れない大きさのドレスもある事に気がついた。

靴も何足か残っている。


「まあいい、拗ねているだけだろう。だが、もうお前の居場所は無いぞ」


フフン、とレンダーは鼻を鳴らした。

国内にはまだ、オリゼーの代わりになる優秀な側妃候補は存在する。

他の公爵家の令嬢だ。


「ちょうどいい。側妃に迎えてやると声をかけてやるか」


満足そうに笑みを浮かべて、レンダーは父である国王へと面会を求めた。

たとえ親子だとしても、すぐには謁見できる筈も無く、その間仕方なく執務室へ戻って執務を開始する。


大体何でこんなに王族が苦労しなくてはならない。

お前らが全部やればいいだろう。


書類に詰まるたびに、レンダーの苛々が募っていく。

訪れる文官を見ながら、恨めしげにレンダーは僅かに終えた書類を渡す。

だが、段々腹が立ってきたレンダーは次に訪れた文官に八つ当たりを始めた。


「このような仕事は王太子の仕事じゃない!お前達が全部やればいい!」


「左様でございますか。少々お待ち下さい」


呆れたように冷たい眼差しを残して、文官が連れてきたのは王子の教育係のリーゼンだった。

どうやら説得を丸投げしたらしい。

文官と同じく、呆れたような視線を向けながら、リーゼンが問いかけた。


「殿下。書類仕事を全て貴方の裁可無しで行って欲しいのですか?」

「そうだ。こんな面倒な仕事は王太子の仕事じゃない」

「ほう。以前の教育係が無能だったのか、王子がお忘れなのか分かりませんが、その話は王子教育でも学ぶ筈です」


馬鹿にしたように上から見られ、レンダーはリーゼンを睨み付けた。


「では、考えて見ましょうか。もし、書類を全て下の者が自由に出来るとしたら、どうなるか分かりますか?まずは、不正が横行するでしょうね」

「は?そんなもの捕まえればいいだろう」

「誰がですか?」

「警吏だ」


はぁ、とリーゼンは溜息を吐いた。


「警吏がどうやって、役人の不正に気づくのです。武官と文官の仕事は全く異なりますよ」

「そ、それは、同じ役人なら気づくだろう」


それにもふぅ、とリーゼンは溜息を吐く。


「気づいた所で仕事をしない王族に、それを報告する利点はありますか?気づかれた役人がその者に利益を供与すれば、あっという間に懐柔されるでしょうな」

「……は?……ちゅ、忠誠心は無いのか?!」

「働かない王族に対して忠誠心ですか?貴方は働かずして、その忠誠心にどう報いるというのです?」


レンダーは目を泳がせて、何とか答えを模索した。


「が……外交、そうだ!諸外国との外交があるだろう!」

「国の仕事に携わらずにですか?しかも、内情も知らなければ、関税や流通などについて議論も出来ますまい。難しい仕事や煩雑な仕事を人任せにすると仰いますか?ほら、よく有るでしょう。国の宰相やら大臣が国を売り渡したり、王を排斥する話が。何故起こるか分かりませんか?」


「王が弱いからだ!」


「ある意味では正解です。決定権や権利を与えすぎたからですよ。例えばこの書類、西のドミナント領の橋の建設。費用は問題ありませんし、必要な調査も済んでいますね。でもこれをこの領主の敵対派閥の人間が裁可を任されたらどうなりますか?」

「……認めない、という事か」

「そういう事も有り得るという事です。貴族社会は縦横に繋がりがあり、派閥や利権でいかに自分の家の利益を増やすかという所に重点を置かれます。王家もそうでしょう。だから婚姻で国内の政治と勢力の均衡を保つのですよ。よくよく熟考されるべきそれを、短慮で破壊するのは愚か者としか言い様がございません」


氷の様に冷たい眼差しに、ヒヤリと背中が冷える。

レンダーの婚約解消を既に聞きつけているのだろう。

ついでに書類仕事の重要性を子供に言い聞かせるように説かれてしまった。

レンダーには何をどうやって言い返せばいいのかも分からない。

権威ある者としての責務を、責務だけ放り出して権威だけ欲しいと願っているようなものだから当然だ。


「つまり、王族として国を運営するにあたり、公平性をもってそれを行う事。その点オルブライト公爵令嬢は優秀でございましたよ。公爵家の利より、王家の利で執務をしておられた」

「あの女の名は出すな!」

「……失礼致しました。それでは書類仕事をしたくない等と仰らずに、きちんと進めて下さいますよう。仕事が滞れば何れ、王太子と言うお立場にも響いて参りますゆえ」


言葉では謝罪しつつも、痛烈な嫌味であり警告を発して、リーゼンはさっさと執務室を後にした。


遅々として進まない仕事を片付けつつ、父からの呼び出しをレンダーは待っていた。

呼びに来た王の従者の言葉を聞くや否や、レンダーは部屋を飛び出す。

謁見の間ではなく、国王の執務室に呼ばれ、急いで駆けつけたのである。

謁見の際には呼んでおくようにと先触れで伝えた、ローザンヌ公爵の他にオルブライト公爵もその場にいた。


「何用だ?レンダー。婚約解消なら、今書類を準備しておる」

「その事ですが、私一人では執務の手が足りません」


堂々と言うレンダーの言い分に、国王ハルシオンは眉を顰めた。


「まさか、執務の補佐のみ、オルブライト公爵令嬢に申し付けるなどとは言うまいな?」


その手があったか!とは思ったが、先に潰されてしまって、レンダーは元々伝えに来た事を意気揚々と伝えた。


「ローザンヌ公爵家の娘を、側妃に娶りたいと思います」


満足げに言い放ったレンダーに周囲の人間が、害虫でも見るような嫌悪の視線を向ける。

ローザンヌ公爵に至っては、額に青筋が浮かんでいた。

条件だけは確かに整っている。

後ろ盾になりうる家格、教育の行き届いた令嬢。

だからこそ、有り得ないのだとレンダーは気づけなかった。


「我が娘シャルロッテは確かに、王子妃教育を終えておりますが、それはオーレンス王国の第一王子の正妃となる予定だからです。オーレンス国の王宮からきた教育係であり、娘が履修したのはこの国の教育ではありません」

「そこは何とかなるだろう」


楽観的というには忌々しい笑顔で、レンダーが言うのに対し、ピキピキと額の血管が切れるのではないかとオルブライト公爵がヒヤヒヤするくらい、ローザンヌ公爵は怒り狂っている。


「誰が、わざわざ、側妃にしたいと思いますか。大国の正妃の座よりも、貴方に嫁いだ方が幸せだと思えるならまだ良いでしょう。自分の仕事も満足に出来ない王太子が?正妃を男爵令嬢にした上で、我が娘を手伝いに寄越せとは随分公爵家を下に見られておるようですな」


「な……っ?名誉な事だろう!」


国王は何かを言おうとして、盛大に溜息を吐いた。

オルブライト公爵は、乾いた笑いを浮かべている。

ローザンヌ公爵は、王子の言い分を鼻で笑ってから、オルブライト公爵に言った。


「オルブライト殿、やはり貴方の愛娘は才媛であったな。国王陛下。王太子殿下は書類仕事でお疲れのご様子。今のお話は聞かなかった事に致します。王太子殿下、殿下の側妃には事務仕事が得意な平民を見繕う方が早いかもしれませんな。平民にとってはとてつもなく名誉なお申し出でしょうから」


ローザンヌ公爵はオルブライト公爵を労い、国王に頭を下げて、最後にレンダーに盛大な嫌味を投げつけてその場を後にした。

言われたレンダーはぽかん、として、平民、名誉、などと呟いている。

嫌味も通じないのか?と疑問に思ったオルブライト公爵は呆れたように付け加えた。


「どうせ側妃に宛がうのなら、正妃予定の男爵家よりも家格の低い準男爵家の令嬢でも良いかもしれませんな……」


死んだ目でオルブライト公爵が言うと、国王陛下は止めてくれ、というように手を振った。

この馬鹿息子は本気にしかねないのである。


「もう良いだろう。お前は下れ、オルブライト公はこの書面の確認を頼む」


レンダーとオルブライト公爵は同時に部屋を後にして、廊下を進んでいく。

途中まで同じ道程で、人が集まるホールに差し掛かった時、突然レンダーが思いついたように振り返った。


「オルブライト公。もし後悔しているのなら、オリゼーを側妃に娶ってやってもいいのだぞ?」


明るい声で恩着せがましく言うが、あくまでも解消は娘のオリゼーから言い出した事である。

先程手酷く公爵に側妃の件を断られたからか?とオルブライト公爵は眉を顰めたが、王子には嫌味が通じていない可能性もある。

ローザンヌ公爵は言葉にはしていないが、レンダー王太子に失望したのは明らかで、元々後ろ盾ではなかったが、このままなら第三王子の擁立に回るだろう。

オルブライト公爵にしても同じ考えだ。

温度差に戸惑いつつも、オリゼーの意思ははっきりしているので、首を横に振る。


「いえ、娘の望みは解消にありますので、お心遣いは必要ありません」

「だがなあ、オリゼーは戻って来たいのではないか?部屋に私物が残っていたぞ?」


ふふふ、と嬉しそうに愉悦に塗れる王子の言葉に、人々は怪訝な目を向ける。

態と貶めたくて言っているのか、本心なのかオルブライト公爵は計りかねたが、呆れた顔は表に出さず重々しく口を開いた。


「失礼ながら、それは、殿下の贈り物ではないかと」

「は?」


大勢の前で話を振った事を、レンダーは後悔し始めていた。

明らかに笑いを堪えて震える者が視界に入ったからだ。

密やかな忍び笑いも耳に飛び込んでくる。

オルブライト公爵は意味の分からないという様に見えたレンダーに朗々と説明を始めた。


「王族から賜ったものを更に下賜する訳にも売るわけにも参りません。ですが、身の近くに置きたくない物でありますゆえ、残していったのだと思われます。殿下の方で処分…ああ、使えるものがあれば男爵令嬢にお譲り頂いても構わないのでは?」


オルブライト公爵には怒る事も詰る事もされず、平然と再利用について言及されて、残されていたあのドレスが不要な物だったのだと突きつけられる。

今更ながら、中庭でオリゼーに嫌いだと言われた事が蘇り、羞恥と怒りに顔を赤く染めるとレンダーはその場を逃げるように後にした。


馬鹿にしやがって!

こっちが先に嫌っていたんだ!

卒業する時には婚約破棄してやろうと思ってたのは俺だ!


だがしかし、現状ではお互い解消、お互い嫌い合っているという認識で全てが進んでいる。

そして、貧乏くじを引いているのはレンダーだけなのだ。


母上は、オリゼーが俺を愛しているから仕事を頑張っているのだと言っていた。

大切にしてやれというから、贈り物もしてやったのに!


そんな事を考えつつも、執務室へ向かっていると、第二王子のデリックからの先触れが来た。

暫くして、書類を抱えたデリックが入室して、机の書類の上にそれを載せる。


「兄上、勝手に仕事を置いて行かれても困ります。仕事を回すなら回すで結構ですが、手順は守って頂かないと」

「急ぎなのだから仕方ないだろう!」


昔から杓子定規で煩い弟に、怒鳴りつける。

デリックは、はあ、と溜息を吐いた。


「自業自得でしょう。優秀な婚約者を逃したのですから。まあでも、オリゼー嬢にとっては幸運でしたね。仕事もろくに出来ないのに、浮気だけはする夫なんて目も当てられませんから」

「浮気ではない。本気だ!故にオリゼーは身を引いたのだ」


婚約者が居るのに本気で他の人間を愛するのも浮気なのだが、レンダーには分からないらしい。

偉そうにフン、と鼻を鳴らしているが、レンダーの前には婚約者が身を引いた分の仕事が積み重なっている。

デリックは半笑いでそれを見遣った。


「ええ。その分本気のお相手が仕事をしてくれればいいですね」

「……お相手、か。確かお前の相手も優秀だったな?」


妙な所に頭が回るのが、この手の凡骨の凄い所である。

半笑いのままデリックは固まった。


「私の婚約者を側妃に、とか言いませんよね?彼女は王子妃教育は受けましたが、王太子妃教育は受けておりません」

「まあいいだろう。少しでも使えるのなら構わん」

「いえ、私の婚約者です。お断りします」


毅然として言うが、最早暴走気味の狂人の頭の中には楽をする方法しか目に付かないようで。

デリックを押しのけて、レンダーは部屋を飛び出した。

スティーダ侯爵が働いているだろう場所へ案内をさせて、止めようとするデリックの制止を振り切りながら歩いていく。


「スティーダ侯爵!そなたの娘を私の側妃に迎える。デリックとの婚約は白紙とするがいい!」

「兄上!横暴が過ぎますよ!ロージーは私の婚約者です!白紙は認められません」

「お前の承認などいらない。名誉な申し出を受けるがいい」


突然押しかけられたスティーダ侯爵は手を止め、レンダーとデリック交互に視線を向けてから溜息を吐いた。

「即答致しかねますな。私は娘を大事に思っておりますので、娘の意思を尊重したいと思います。帰宅して娘に確認し、明日の朝、ご返答致します」

「ふむ。それでいい。邪魔をしたな」


自分の意見が通ったからか、レンダーは鼻息荒くその場を後にした。


翌日、スティーダ侯爵は登城しなかったが、国王宛に届いた書簡には第二王子デリックとの婚約解消について記されていた。

その報せはレンダーとデリックにすぐさま伝えられ、デリックはフルフルと拳を震わせている。


「父上。私に三日間の謹慎を賜る事をお願い致します」

「それは何ゆえ……」


国王が言いかけたところで、デリックは渾身の一撃をレンダーの顔面に炸裂させたのである。

ボゴォ、と肉を打つ音が聞こえ、拳についた血を振り払って、デリックは国王であり父であるハルシオンに一礼した。

「理由は兄への暴力です。謹んで謹慎を賜ります」

「お、おまへ……!」


殴られたレンダーは鼻もひしゃげ、血塗れになった顔を押さえてデリックを罵ろうとするが、痛みで言葉をそれ以上発する事は出来なかった。

父は頭を抱えたがデリックを止めなかったし、デリックは振り返りもしないでその場を後にする。


だがまあいい。

側妃は手に入れた。

仕事はオリゼーほど出来ないだろうから自分もやるしかないが、と怪我の治療を受けながらレンダーはほくそ笑む。


昨日も仕事にならなかった分、学園を休んで仕事を進める。

デリックに任せた仕事も全てレンダーに回ってきたが、仕方ない。

側妃になるロージーの手伝いがあれば、3日も学園を休めば片付くだろう。


そして夕刻近くになって、その報せは届いたのである。

ロージー・スティーダ侯爵令嬢はザイール帝国へ留学し、帝国の縁者の養女になる、と。


「何故だ……名誉な事だろう……?」


レンダーのその言葉に答える人間は、いない。

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