王女と王子の狂想曲 443話
【王子】
レイシアのあれが王室に献上されるだと! 姉のお茶会で何があったんだ? えっ、あれは王室に献上なんだよな。姉が独占する訳じゃないよな。浮かれている姉が俺に自慢げに話す。
「アルフレッド、あなたが言っていたように、温かい食事って最高よね。それに温かいお風呂も。なんでもっと早くレイシアを紹介しなかったのよ。あれだけの才能、埋もれさすわけにはいかないわ。あの子、私が貰ったから」
は? 貰ったって? どういうこと?
「私の庇護下に置くことにしたわ。あの才能は危険よ。どこかに取り込まれる前に手を打ってあげないと。あんたがぐずぐずしているから私が先に保護してあげたのよ。感謝しなさい」
何を勝手なことを! 俺だってできるならそうしたいさ。でもなぁ。
「ブツブツ言っても聞きません。言いたいことがあるならはっきり言いなさい。三日後献上のために謁見式と簡易なパーティーを開きます。翌日が使い方のレクチャーとデモンストレーションです。参加する? 忙しかったら来なくてもいいけど」
行くに決まっているじゃないか! 予定を組み直してでも参加する! レイシアのわきでフォローできるのは俺くらいだからな。
俺は急いで執事と予定の組み直しにいそしんだ。
◆◇◆
【王女】
レイシアから洗髪剤が届いた。
私は沸かしたお湯をお風呂に入れて適温にするように使用人に伝え、
「お義母様、ご機嫌はいかがですか? お風呂入れそうですか?」
顔色は良さそう。にこやかな笑顔を返してくれた。
「大丈夫ですよ、キャロライナさん。あなたが勧めてくれた温かいお風呂、私も楽しみにしています。いつも冷静なあなたがあんなにも興奮して話して下さったのですから」
お義母様は私に優しい。私の母があんなことをしたのに。柔らかな笑顔は私の心の棘を刺激する。それでもお義母様の笑顔を見るのが好き。
「では、お待ちしております。支度が出来たら浴室においで下さい」
そう言って部屋の外へ出た。
◆
私の母はお義母様と一緒に父に嫁いだ。第二夫人、いわゆる側室として。お義母様は公爵家の娘、母は伯爵家の出だ。母は社交界での花型で、やたら目立つ存在だった。父は母にべたぼれ。もちろんお義母様とも良好な関係らしかったのですが、伯爵という婚姻にはギリギリの女性。問題なく
母とお義母様の仲は、はじめは悪くなかったと聞いた。
母は社交を中心に、お義母様は外交と内政を中心に王室を回していたみたい。
母が懐妊し男の子が生まれた。翌年、私も生まれた。
側室である母にばかり二人も子供ができた。正室である王妃に期待と不安が訪れた。この国のおかしな伝統があったから。
女好きの十代目の王が貴族女性を次から次へと側室に召し上げた結果、年頃の貴族の跡継ぎに迎える女性がいなくなり、貴族制が崩壊しかかった。危うく内乱一歩前になり王は交代させられ側室たちは解放された。そのため王の側室は一人だけと決められた。
ただし、跡継ぎが出来ないと困る。そのため、王妃であっても三年子を成さなければ離縁されても仕方がないことになっていた。
父は離縁する気などなかったが、周りはそうはいかない。年頃の娘を持つ者達があれやこれや動き出したそうだ。
肩身の狭いまま、それでも外交というカードを駆使し王妃として四年目で無事にご懐妊。無事王子が産まれた。
その時、母は喜んだのか喜ばなかったのか。私には分からない。王太子だった兄は第二王子になった。事実はそれだけ。
七歳までは神の預かり子。それは王であれ、貴族であれ、平民であれ変わらない。兄は運悪く流行病にかかり六歳で亡くなってしまった。
そこから母はおかしくなった。
母は私に手を上げるようになった。
「あの子の代わりにあんたが死ねばよかったのよ」
そんなことを事あるごとに言われた。
「女なんて何の役にも立ちゃしない」
二人きりの時に限って、母は私に暴力を振るいながら呪いの言葉を吐き続けた。
「あの子さえ生きていれば。お前なんか……」
やがて、母はお義母様に毒を盛ろうとした。命じられたメイドが怖がり、未然に発覚した。
このことは関係者内だけの秘密とされ、母は病気治療という名目で実家に帰された。
やがて母は亡くなった。自殺なのか口を封じられたのか。
……私には分からない。
そこから、私達は家族で食事をすることがなくなった。
父とお母様。私。弟。
私と弟は、執事とメイドが見守る中、冷めた食事を独りぼっちで食べた。
母が毒を盛ろうとした影響だ。
父とも弟とも距離ができた。
それでもお義母様は私に優しい。
「あなたのお母さん、私は大好きだったのよ。恨むことなんてなにもないわ」
そういって私を可愛がってくれる。
私はお義母様のように生きたい。女性であっても外交や内政を任せられる仕事の出来る女性に。
女性であっても役に立てるように。
私だけでない、女性が仕事をしてもおかしくない世界を作る。
そう心に決めたんだ。
――――母のようにだけはなりたくない。
そんなお義母様が原因不明の病気になって数年たつ。私が学園に入学する直前だからもう五年ほどか。最近は調子が良さそうだがいつまた寝込むか。
お風呂で休まって欲しい。昔のように綺麗になって欲しい。
その思いで、私はお義母様に温かいお風呂と石鹸、洗髪剤を勧めた。
◇
お風呂から上がったお母様は、興奮しながら私に言った。
「素晴らしかったわ。温かいお風呂は最高ね。それに、私あんなに汚れをため込んでいたのね。あなたの髪を見て驚いていたんだけど、私の髪もこんなに綺麗になったのよ。おまけに頭が軽くて。汗もいっぱいかいたわ。まるで私の体にまとわりついた毒素が全て洗い流されたようよ。体が軽いの。ありがとう、キャロライナ」
私は嬉しそうなお義母様をみて幸せになれた。
◇◇◇
【王子】
いよいよあのかまどの説明が始まる。まさかレイシアが献上するとは思ってもみなかった。あれが目の前にある。一億リーフとか言っていたやつだぞ。何があったんだ?
料理長がデモンストレーションをするらしい。レイシアではないのか?
「先程、お風呂場でお見せした湯沸かし器と構造的には同じようなものとお考え下さい。どちらも熱を発生させる道具です。こちらを使うのは主に料理長になりますから、この先は料理長が使う所を見て頂いた方が良いかと思います。先ほど使い方をしっかりと説明させて頂き、理解できたと自信をもって言える所までになりました」
レイシアはそう言うと、料理長に任せるために数歩下がった。
「ではこれから先は私が説明させて頂きます。まずはこちらの燃料箱をこのようにセットいたします」
料理長は緊張しながらも、的確にレバーの使い方などを説明している。レイシアは満足そうに頷いているな。
「では調理を始めます。先に皆様にお伝えしたいのは、これが通常のかまどであれば薪を運び、焚き付けをし、火が安定するまで10分~15分はかかるということです。それがこのかまどではレバーを動かすだけですぐに使えるのです。では、肉を焼いていきます。私が選んで販売業者と私しか触っていない肉です。毒を入れる隙はここには発生しないのです」
そう言うと温めたフライパンに脂の塊を入れ、しっかりと脂を溶かしたところに上質な肉の塊を入れた。
ジュゥ――――、という音が響き渡る。片面が焼け裏返ししばらく焼いたところに、バターとソースが放り込まれた。
ジュワアァァァァ――。フライパンからはぶくぶくと泡が立ち、甘い香りが部屋い杯に広がる。美味い。絶体美味いやつだ!
俺の腹がグウゥとなった。
周りを見ると、皆、こらえられないような顔をしている。俺はレイシアで慣れているが、こんな匂い嗅いだことがないだろう。いつも上品に冷めた皿しか出てこないからな。
フライパンをかまどから降ろすと、新しいフライパンをかまどに乗せた。その中に肉の入ったフライパンから、肉とソースを新しいフライパンに移した。
料理長がレバーを動かし、出来上がりを告げた。
「ここまでで毒が入る機会はありませんでした。もしあるとすれば持ち込まれる前ですが、一流の商人はそのようなリスクは負ってまで毒を入れる機会を与えることはありません。私が毒見を致しましょう」
そう言ってフライパンに入ったままの肉をナイフで切って一切れ食べた。
「そうは言いましても、高位な方々に時間をおかずに出す訳にはいきませんね」
そう言うとふたを閉め、砂時計を返した。おい、大丈夫なのは分かった。俺だけにでもいい、そいつを食わせろ。
「では、この砂が落ちるまでこのかまどについてレイシア様より説明を頂きます」
レイシアの話はいいんだ。俺に食わせろ!
「改めまして。レイシア・ターナーです」
「レイシア。俺が試食する」
俺がそう言うと、レイシアは唇に指をあてた。
「そういう訳にはいきませんわ、アルフレッド様。毒見の時間は大切ですもの。皆様。私はシャルドネゼミでアルフレッド様と学ばせて頂いております」
会場が騒めいた。俺と学友だと宣言したことと、シャルドネゼミだということに。
「いろいろと実験を手伝って頂いている中、温かい料理を試食して頂くこともありました。もちろんシャルドネ先生の許可と監視のもとです。今、このフライパンの中は、約80度、温かな空気に包まれております。砂時計の砂が落ち切っても、温かい料理を振舞うことができるのですよ。皆さまにとっては初めての温かい料理。しばらくお待ちいただいたのちに召しあがってもらう算段になっております。よいですね、アルフレッド様」
なんだと……料理が温かいまま? そんなことができるのか! レイシアの説明を聞きながらも俺の心は浮ついていた。
時間が来てふたを開けると、蒸気と共に甘い香りがフライパンから飛び出してきた。
「このかまどには、液体を沸騰させることなく温かいまま維持できる『保温』という微弱な温度設定まで出来るようにしております。肉だけでなく、スープもゆでた野菜も、毒見の後でさえ温かいままで召し上がることが出来るようになります。これはアルフレッド様のつぶやきからヒントを得て実現させたものです」
え? レイシアが俺のために? 俺の呟いていたことを現実にしてくれたのか!
料理長がフライパンの中で肉を切り分けた。俺は先頭に立ちフォークに刺された肉を頬張った。
旨い! 熱々ではないがとろける脂と肉汁、そこにソースが絡み合った何とも言えない深い味わい。
姉が目を大きく開いて驚いている。俺と姉が食べた姿を見て、来ていた来賓たちが列を作って食べ始めた。
どうだ? これがレイシアの料理だ。熱い料理の美味さは食べてみて初めて分かるだろう。
俺は自慢気に辺りを見渡した。
◇◇◇
【王女】
弟が真っ先に料理に飛びついた。私も後に続いて一口大のステーキを頂いた。
おいしい! 温かいお肉ってこんなにジューシーなものなの? いつもの脂の固まったお肉とは大違いじゃない!
温かいスープ? スープも温めて飲むの? かまど一つじゃ足りないじゃない!
レイシア。私が全部買い占めるから。石鹸のようにね。
私達が美味しそうに食べたのを見て、来賓たちも食べ始めた。
「うまい」
「おいしい」
「この機械、俺にも売れ!」
「わたくしも欲しいですわ!」
レイシアの周りに人だかりができた。私は手を叩き声を鎮めた。
「皆様。興奮する気持ちは分かりますが、レイシア・ターナーは私の庇護下に入っております。もちろん正式に書類も出しております。引き抜きや取り込み、無理な注文などしないように」
静まった声が再び騒がしくなる。レイシアを救い出させると、もう一度話した。
「さあ、レイシアの説明は終わっていませんよ。質問はその後に受け付けます」
レイシアが説明を始めると、先ほどよりも真剣に皆様は聞き入っていた。
ほら見なさいアルフレッド。私が庇護下に置いておかなかったらどんなことになったか分かるわよね。子爵なんて後ろ盾がなければ都合よく使われるものなのよ。特に女性なんてね、軽く扱われるんだから。
質問に丁寧に答えるレイシアは本当に賢い。私が学園にいる間に見つけ出せて本当に良かった。
「では、そのかまどは売れないというのか!」
「申し訳ございません。まだ試作品でございます。量産化までには工場の確保、職人の選定と教育、部品の確保等々やらなければいけないことは山積みです」
「ではいつ販売するのだ!」
「そうですねえ。まずは私の商会を立ち上げながらの仕事になりますので、早くても量産化には3~4年はかかるかと。それまでは私が少しずつ手作りで作りますので、月に一台作れるかどうか」
「では二台目は私が買おう!」
「いや、儂が買ういくらだ!」
「抜け駆けか、それなら俺も」
わーわーと騒ぎ始めましたわね。
「お静かに! 先ほども言いましたように、レイシアは私の庇護下にあります。これが何を意味しているのか分からないのでしょうか。レイシアの商品は全て私の管理下にあります。誰に販売するかは私の判断も混ざるのです」
会場が静まった。これでいいのよ。
「かまどだけではありません。石鹸も洗髪剤も。さあごらんなさい、温かいお風呂と洗髪剤の効力を!」
先ほどお風呂で磨き上げられたメイドが登場した。くすんだ赤毛がルビーのような鮮やかな光沢のある色になり、サラサラと揺らいだ。
「「「おお――」」」
思わず漏れる声。皆が息を飲んでメイドを見ていた。
「これがレイシアの石鹸と洗髪剤の効力です。先日私のお茶会にいらした公爵夫人やご令嬢たちが心待ちにしているのです。レイシアの作るものは一つではないのです。しかし、量産して作るために指導できるのはレイシアしかいません。皆様、レイシアにおかしな精神的・肉体的負担をかけませんように。皆様の奥様の恨みを買うことでしょう。レイシアが売りたくない相手には、私でも売ることは出来ないのですから」
軽くおどしをかけてみた。女性が美にかける金を、情熱を、分からない旦那など貴族にはいない。
「では、この効力をレイシアから」
私がレイシアに説明を求めようとしたら、「私が言いましょう」と割って入る声が聞こえた。
お義母? なぜここに?
「あなたがレイシアさんね。私、アルフレッドとキャロライナの母、この国の王妃ミサンガよ」
レイシアがあわてて跪いた。
「いいのよレイシアさん。ここにはあなたへ感謝をいいに来たのだから。あなたが教えてくれた温かいお風呂。素晴らしいものでした。そして石鹸と洗髪剤。温まって軽くなった体は、健康な頃に戻ったようでしたわ。特に頭が軽くなって、首や肩がらくになったの。汚れってあんなに重いものだったのね。皆様、ご無沙汰しておりました。この国のため働いている皆様にはいつも感謝しております。そして、レイシアさん。あなたにもね。レイシアさんの商会は王室御用達といたします。いつでも王宮にお入りなさい」
お母様が私の母と言ったの? それにレイシアを自由に王宮の出入りができる御用商人にしてくれた。私へ協力してくれた。
私がお母様を見つめていたら、弟がレイシアに声をかけていた。
「かまどは一台だけなのか」
「そうですよ。いいじゃないですか」
「いい訳あるか。姉が独占するに決まっている」
「何を言っているのかしら、アルフレッド」
「あ、姉さん」
「私はお母様に温かい料理を提供してもらうのが一番の目的なの。バラバラに食事をしているのですから。私はその後に借りるわ」
「俺は?」
「あきらめなさい」
「いやだ、俺が最初に温かい料理を見つけたんだ。何とかならないかレイシア」
「そうは言っても。アルフレッド様に支払い能力はないですよね。いくらで買ってもらえるのですか?」
「くうっ」
弟がレイシアに断られている時に、父がお義母様に近寄った。
「レイシア。儂からも礼を言おう。それからアルフレッド。どうだ、一台しかないのであれば、四人で食卓を囲むか」
「「え?」」
弟も私も驚きの声を上げた。
「もともと、バラバラな食事にしたのは、私達の誰かが毒でやられても、全員に被害が及ばないようにするためだ。毒の危険がなくなったと料理長が言うのなら、分かれて食事をする必要もあるまい」
お義母様が笑顔で頷いている。家族の団らん。私が、夢に見てもかなわないとあきらめたもの。
口元が緩む。だめよ、今は公式の場。笑顔なんて軽々しく、え? 泣いているの? 私。とどまらない感情の波が私の体を動かす。
レイシア、あなたは私の幸運の女神か何かかしら。
私は泣き顔を隠すように、思い切りレイシアに抱きついていた。
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