プロレス地域おこし、やるんだよ!

小川じゅんじろう

第1話 プロレスで地域おこしなんかできるわけねえだろ!

「でっきまーす!!」


大男が叫んだ。野太い声だった。

白無地のTシャツに黒いズボンを着た、つるっぱげでヒゲを生やした大男。

肩から首にかけての僧帽筋が発達して山のようなラインを作っており、腕は丸太のように太い。

胸筋も背筋も膨らんでいて、シャツの下からその凸凹が薄っすらと浮かんでいる。


プロレス団体『土佐海援隊』の社長、坂崎紫蘭。

彼は田舎、高知県のテレビ番組に出演していた。

地域の話題をお届けするという趣旨の内容で、珍しく大阪から名のしれた芸人も呼んでいる。そこで坂崎は宣言したのだ。


「任せてください! プロレスでこの寂れた高知を復活させてみせますよ!」


「地元の人間が寂れたなんて言っちゃだめでしょ」


「よその人間が言ったらそれこそ暴動もんでしょうが!」


「それはそうやけども」


ゲストの中年太りした芸人・カバオジとのやり取りでも物怖じせず、堂々ハキハキと喋った。慣れている。

司会である局のアナウンサーが彼に尋ねた。


「坂崎さん、具体的なプランはあるんでしょうか」


「もちろんあります! その名も、全財産デスマッチ!!」


「洒落にならんこと言い出した」


紫蘭は用意していたアタッシュケースをカメラに向かって開いた。

そこにあったのは、大量の札束。

ぎっしりと溢れんばかりに押し詰められていた。


テレビ番組ってのはリハーサルがある。事前になにをいうのか脚本もある。

スタッフもいま映っている演者たちもすべて予習済みだ。

それでも、誰もが青ざめていた。


「一億! 東京、アメリカで稼いできた金! 銀行から借りた金! この全てを賭けたデスマッチをやります!」


「ちょちょちょ、待って、待って、待ちなさい!」


カバオジが待ったをかけてアタッシュケースに近づいてきた。

じっと中の札束を覗き込んで、ぎゅっと眉間に皺が寄る。


「あんたおかしいでしょ! こういうの、一番上だけが本物で下は偽物にするんですよ! こんなところで見せたってしゃあないんやから! なのに全部、ここにあるの本物やんか!」


「本物にだけ宿るパワーがあります! カメラの向こうのみんな、見てるか! 金だぞ! 金! アメリカと東京で稼いだんだ! 綺麗な金だぞ~~!」


スマイルを浮かべているが厳つい。厳つすぎる。

禿げた髭面で筋骨隆々の大男が笑顔で大金をちらつかせる。テレビ番組なんて公共のものでなければ、確実に裏社会のワンシーンであった。


若干、顔を引くつかせながらもカバオジが尋ねた。


「あの、社長、そのデスマッチって社長がやるんですか?」


「う~~ん、もちろん俺がやってもいいんですけど、残念ながらね、華がないでしょ。華が。むさ苦しいおっさんがパンツ一丁で闘って誰が喜ぶんです?」


「全世界のプロレスファンに喧嘩を売らんでください。けど、そこまで言うからには社長、華のあるレスラーがいるってんですか? この高知県に」


「んっふっふっふ。いるんですな、これが。それがこいつです。出てこい! ドラゴンマン!」


「ちょっとリングネームがダサすぎるでしょ」


   ◯


プロレス団体っていうのは交流がある。

東京を拠点にする大きな団体もそうだが、地方をメインに活動しているところならなおさらだ。なにせ選手数も少ないのだから、いつまで経っても同じメンツで試合していたら飽きられてしまう。

そのために他所の選手に出場してもらったり、対抗戦だなんていうものもやる。


ならば、坂崎紫瀾がぶち上げた『一億デスマッチ』もそういうものかというと、全然そうではなかった。


季節は三月上旬。朝もやが晴れた午前九時頃、高知の中心街には凍えるような風が吹いていた。

南国高知と呼ばれているが、あくまで地理的な話であって気候はさほどでもない。稀に氷点下になることもあった。

その街を、一人の男が歩いていた。


藍色のジャージを着た背の高い男だ。

二メートル近くの長身である。

一見すると細身であるのだが、鉄骨を思わせる頑強さが全身にあった。

浅黒い肌をしており、坊主頭を金髪に染めてと、荒々しい見た目だったが、なにより際立っていたのはその目であった。

恐ろしく鋭かった。


例えるなら大鷲、あるいは豹といったところだろう。

生存と殺害が表裏一体となる肉食獣の眼光だった。

常人であればその目を向けられただけで竦んでしまう。

そんな目をして生きられる現代人は、戦士だけだった。


名前を藤堂三郎といった。


「おっ、高知城」


三郎は顔を上げて、ボソリとつぶやいた。

彼の眼前には堀に囲まれた城があった。といっても、その天守は遠い高台にあり、すぐ近くにあるのは大きな門である。名前は大手門。

高知城はいまでは高知公園となっており、天守閣などは有料や時間制限はあるが、公園そのものは二十四時間開放されている。

彼も悠々と門を通り抜けていった。


少し歩くと、桜が並ぶ高台に到着する。

まだ花は咲いていないので、酒飲みばかりの高知県でも花見客はいなかった。風がいくら吹いても花の香も漂ってこない。

こんなところにいるのは、遊びに来た親子連れや暇な学生。

それと――、絵描き。


イーゼルにキャンバスをかけて、熱心に風景を描いていた。

色褪せた緑色のジャージで全身を隠しているが、ふっくらとした印象がある。

藤堂はその絵描きの背中に声をかけた。


「おはよう、ドラゴンマン」


「――ほんとダサいからやめてほしい」


絵描きが振り返った。

美麗な男だった。

顔立ちは端正なもので、ハーフなのか宝石のような青い瞳をしていた。

鼻筋もスラッとしており、短く揃えた明るい栗毛の先端がくるっと巻いている様は可愛らしささえあった。


ドラゴンマン――。

弱小プロレス団体『土佐海援隊』の花形、看板レスラー。

テレビ放送で社長が言っていたとおりに華がある男だった。


「嫌ならなんて呼べばいい?」


「本名の坂本竜馬で」


「それが本名ってのもめんどくさそうだな」


三郎はじっと彼の手元を見た。

絵筆を握る指は太く、ゴツゴツとしている。鍛えているのだろうが、それ以上のものは感じられなかった。

優男。そんな雰囲気しかなかった。


「一億を賭けて喧嘩する相手にゃ見えないな、悪いけど」


「僕もそう思ってますよ。無茶苦茶なことをぶち上げたもんです。そうしなきゃあ実力者がこないといっても、ね」


「お、俺が実力者だってわかるんだ」


三郎は得意げに笑った。無邪気な笑みであるが、その双眸にギラついた光が宿っている。

彼、龍馬はもちろんと言った。


「あなたには『熱』がありますから。それが大きい人って、だいたい強いんですよ」


「戦闘力とか気を感じ取るの? 正気で言ってんのか?」


「じゃ、弱いんですか?」


「――――」


三郎の顔から笑みが消えた。

ヒュッと風を切って彼は左の拳を打った。ボクシングのジャブだ。

打撃系であれば最速の技。プロ選手だろうとカウンターも回避も取れない。


だが、龍馬には届かなかった。

三郎の腕が伸び切る寸前、彼の鼻にぺたりと絵筆が張り付いたのだ。


龍馬はつまらなさそうに言った。


「試合は午後六時ですよ」


「…………そう、だったな」


三郎はゆっくりと拳を戻して、鼻についた絵の具を拭った。


「龍馬、お前さん、どんな格闘技をやってる」


「秘密です。社長から、ミステリアスが客を惹きつけるって言われてるんで」


「ああ、テレビで言ってたな。でもよ、俺の格闘技は知ってんだろ。それって不公平じゃないか?」


三郎はその場でステップを踏み、虚空に拳を振った。

藤堂三郎、彼はボクサーである。その体格からは想像できない俊敏なシャドーだ。風を切り、草むらの上を滑るように動いている。


強い。

才能を大切に磨き、修練を積んでいる。

みっしりと。


ふうっと一息ついて、藤堂はもう一度尋ねた。


「龍馬くんよ、教えてくれよ。どんな格闘技をやってた?」


「秘密です」


「……まっ、一億かかってんだ。言うわけないよな」


「それに、ルールはあなたの望み通り、ボクシングです。それ以上にまだなにか要求するってんですか?」


いいやと三郎は首を振った。


「確かに、それ以上に要求するとカッコ悪いな。どんだけ自信がないんだって話になる。いいさ、午後六時、待ってるよ」


「ええ。それじゃあまた」


まるで友人同士のように別れを告げ、三郎はその場を去っていった。


歩く。歩く。足早に、歩く。

腕をさすりながら歩く。

ぶるぶる肩を震わせて、高知公園から外に出ていく。


たまらなかった。

恐怖か。

歓喜か。

どうあれ、たまらないという思いが溢れていた。


ドラゴンマン。

本名、坂本龍馬。

彼はきっと、とてつもなく、強い。

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