異世界いのちの電話

森月真冬

勇者とケイタ その1

 その男は、生きる気力を無くしていた。


 深夜である。男はベッドの上で、海老のように背を曲げて汚れたシーツに包まっていた。

 部屋の壁は三分の一ほどが破壊されて、外からはシトシトと雨が降り注ぎ、湿気が嫌な感じに溜まっている。


 ふと、男は顔を上げた。何か……そう。何か。

 見慣れない物が、空中に浮いていたからだ。

 片側に紐のついた、緑色の太い棒。それがプラプラ揺れている。

 棒は片手で持てるくらいで、両側には無数の穴の開いた丸いパーツがついていて、紐はクルクルと螺旋を描く。

 それは最近ではめっきり数が減ったとは言え、現代人ならば一度は目にしたことがあろう、『公衆電話の受話器』であった。


 しかし、男は『受話器』を生まれて初めて目にする。

 彼の名は、ヒューゴ=ブライトン。二十四才。

 魔王を倒すために旅をしている、『勇者』の称号を持つ者である。

 ヒューゴはベットから起き上がると、いぶかし気な顔をして緑色の棒を掴む。

 と、棒から小さく声が聞こえた。


「あ、あの……。もしもし、聞こえますか?」


 ヒューゴは驚いた顔をすると、首を傾げてマジマジと棒を見つめる。


「すいません……あのう。もしもーし」


 また、声が。

 ヒューゴは、受話器を耳にくっつけてみた。

 受話器の使い方はわからなくても、片側から声が聞こえるならば、形状的に自然にこうなる。

 彼は声を出さなかったが、受話器を通して人の気配を感じたらしい。

 また、向こうが話しかけてきた。


「……これ、通じてますか? あの。…………いのちの電話……ですよね。自殺する前に話がしたくて、かけたんですけど」


 どうやら、相手は少年らしい。

 受話器のコードは螺旋を描き、空中の一点で消えていた。

 それを見ながら、ヒューゴは尋ねる。


「聞こえているよ、君。多分、これは魔術師の使う『念話ねんわ』とかいうものだろう? 見るのは始めてだが……しかし、どうも君の声は聞き覚えがないし、このような連絡をもらう覚えもない」


 相手はしばらく沈黙し、やがてガッカリした声を出した。


「ね、ねんわ……? あ、はい。『電話でんわ』ですけど。ええと、それじゃ……間違い電話……なんですね。そっか。何度も何度もかけ続けて、やっと繋がったと思ったのに。すみません、切らせてもらいます」


「あ、いや。ちょっと待ちたまえ! 君はさっき、自殺がどうとか言っていたね? どうしてそんなことを? 私でよければ、少し事情を聞かせてくれないかな。私はヒューゴー・ブライトン。君の名は?」


「僕は……僕は、その。ケイタって呼んでください。自殺の理由は……」

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