彼は取り留めのない、飾り気のない言葉を私に向かって発していた。




 それは、私にはNOとしか答えられないような質問ばかり。

 考えるだけで心が疲れてしまうような重いもの、すぐには答えられないもの。


 向こう側が透けているような、静かな声だった。




「自分が誰かにとって必要な人間だと、心から思ったことはある?」



「生きていて幸せだと感じた出来事を、残らず思い出すことができる?」



「自分の存在を強く、強く意識したことはある?」





 月の輪郭になぞらえるように、彼は唇を動かした。





 なぜ私に構うのだろう。

 こんな美しい満月の夜を過ごすのに、もっと相応しい人がいるだろうに。

 まぁそんなこと考えたって意味もない、か。

 只そこにいた人に暇だから話しかけた、それだけのことなのかもしれない。




 しばらくの沈黙を破り、彼は言った。


「知らず知らずのうちに月光ソナタが流れ出すような、そんな月の夜だね」



「はい」



 すらすらと、言葉が口をついて出た。



 月明かりが、彼の横顔をより濃く映し出す。

 靄がかかったような空気の中、その薄い唇を見た。




 彼をもっと知りたい、と思った。

 その伏せられた睫毛の下の、本当の彼を。


 何かに駆られたように、想いが体を突き抜けるのを感じた。


 今までふらふらと生きてきた私にとって、こんなことは初めてだ。

 これが、恋という感情なのだろうか。


 私にはまだ分からないが、多分そうなのだろう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る