寺生まれのその男、異世界にて並ぶ者無し
百合咲 武楽
第1話 その男、異世界転移す
女は夜の帰り道を急いでいた。
仕事で遅くなり、疲労が大分溜まっていた。
今日は、早く家に帰って休みたかった。
そんな思惑が考えの大半を占め、女は普段の帰宅路からそれ、普段使わない街灯の少ない裏路地に入った。この方が近道なのだ。
しばらく進むと、違和感があった。
前方の路地の脇にいつの間にか男が立っていた。
ショートヘアの男は、うな垂れていていて顔は見えない。白いロングコートを着ていている。
季節はすでに初夏となっており、日が暮れていても少し暑いぐらいだ。
妙だ。いつの間にに現れたのだろう? そもそも、何故こんな時間にそんなところにただ立っているのか? 関わりたくないが、早く帰りたい。早く帰るにはその白いロングコートの男の前を通るしかない。
女は焦っていた。すぐに前を通り過ぎれば大丈夫だ、と思い込むことにした。
小走りにて一気に駆け抜けようとした。
右腕に妙な感触があり、走行が止まる。腕を掴まれたと理解できた。
うっくりと振り返る。
ロングコート男の顔がすぐ近くにあった。両目は無く、黒い穴が空いている。
鼻と唇が削げ落ち、骨の様なものが露出している。腐っているかのようだ。
少し息を貯めこんだが、すぐに女の悲鳴が上がった。
腕を振り回したが、掴まれた腕がほどけない。
とっさに空いていた左腕で、近くに積まれていた空のビールケースを掴んで思いっきり殴りつけた。
ロングコート男の腕が離れた。
女は慌ててその場からの離脱を図る。帰り道とは逆の元来た道を走りだした。
かすかに後ろを振り返ると、コングコート男の化物が追いかけてきた。
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ・・・・・・。
女は頭の中で連呼していたつもりだったが、小声で口から洩れていた。
最早、痴漢などというレベルではない。捕まったらどうなってしまうのか。
その瞬間、女はロングコートの化物に後ろから組み付かれた。
ロングコートの化物の移動速度は女の逃げ足を凌駕していたのだ。
女の顔は絶望に歪む。
助けて助けて助けて・・・・・・!!
「見境なく女に飛びつくなど、漢(おとこ)として恥ずべき所業だな。」
声がした。知らぬ男の声。
女が見上げると、裏路地の入口付近に人影があった。
人影が近づいてくる。かすかな街灯の光に照らされて、男の姿が見えてきた。
大柄の体躯、筋骨が隆々としている。長髪をすべて一本に纏めて後ろに縛っていた。
「死んでしまったら、もう漢も何もないという事か?」
男は左腕を素早く突き出し、女の顔のすぐ横にあったロングコート男の頭部を鷲掴みにした。
「フンッ!」
女には一瞬、光が走ったように見えた。
男の左手はそのままロングコート男の頭部を握り潰していた。
自分の体を拘束していた力が抜けていくのがわかる。
頭部を握り潰されたロングコート男の体は白い粒子と化して消えていった。
「それならば、見知らぬ女にちょっかいを掛けぬ事だ。大人しく死んでいるがいいさ」
女には何が何だがわからなかった。わからなかったが、自分が助かった、助けられたという事は何となく理解できた。
「あ、あの・・・、ありがとうございます。」
「気にするな。偶々通りかかった、ただの寺生まれだ。」
「え? テラ・・・・??」
何を言っているのかさっぱり理解しかねたが、もう一度感謝の言葉を述べた。
男は女に早く帰るよう促し、女は言われるがまま帰宅の途についた。
女には一体自分の身に何が起こったのかはわからなかったが、男も特に説明をするわけでもなかった。
さて。
男にとっては一先ずの状況が片付いたので、それで良しとしていた。
しかし、である。
この付近で失踪事件が頻繁に発生していた。
ただの事件ではない、と直感した。
今回ここに来たのは、失踪事件が亡霊や化物が関係しているのではないかと調査しに来たのだ。
この男は心霊、妖怪、化物の退散を指名として生きている「寺生まれ」であった。
今、倒したのはただの死にぞこないの男の悪霊であった。
失踪事件に関係しているのか? それにしては単発的な挙動で力が弱すぎる。
付近よりこれ以外の霊的、化物的な力の流動が感じられない。
これは時間がかかりそうだな。
そんな事を考えながら、表通り出た。
妙な気配。周囲に視線を飛ばす。周囲に人の気配は無い。
表通りの車道に仔猫がいた。
何故あんな所に? 仔猫は動く気配がない。今は自動車の通りが全然ないが、このままではいずれ通りかかった自動車に轢かれてしまうだろう。
「まずいな」
男は車道に自動車が来ていないことをしっかり確認すると、仔猫の元に移動し、その小さい体を抱き上げた。
「何ィッ?!」
その瞬間、男の姿は強いライトで照らされた。
男のすぐ前に巨大なトラックが迫っていたのだ。
馬鹿なッ! ついさっきの瞬間までクルマの気配は一切なかったはずだ!
避け・・、間に合わんか!
男は仔猫を懐にしまうと、両手を突き出した。
ヘッドライトの強い逆行の中、運転席が視界に入った。
誰も乗っていないだと・・・?!
「破ァーーーーーーーーーーーーッ!!」
男とトラックの間に爆発的な発光が起こり、男とトラックはその光に包まれた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
目を覚ますと白い部屋にいた。いや、白い空間と呼ぶべきか。
男は身を起こすと、懐がむず痒い。鳴きながら仔猫が顔を出した。
お前も無事だったか。
立ち上がり、辺りを見渡す。
少し離れたところに何かが見えた。他はただの白い空間、何も確認できないのでその何かに行ってみることにした。
玉座の様な椅子に腰を掛けた、金髪の女がいた。
玉座の後ろには2つの扉の様なものが見える。
「ようこそ、いらっしゃいました」
一見すると外国人のようだが、日本語が喋れるようだ。
英語ですら喋れないので、男は安堵した。
「すまないがここはどこだ? 俺はどうしてここにいる?」
初対面の人間に、いきなり立て続けに質問してしまった事を少し後悔した。
「ここは白い空間が広がっているように見えますが、どこかに向かって歩いても必ずこの場所にたどり着くのです。故に『白き回廊』と言われております。」
金髪女は言葉を続ける。
「私は人の運命を司る女神。リョウフォンと申します。」
リョウフォンと名乗った金髪女の衣装の布面積は少なかった。
これにより男は、男を誑かす色魔の類かと推察していたが、少し違うようだ。
「女神。なるほど、異教の神。・・・さしずめ、如来、菩薩様と言ったところか」
「え? ニョ、ライ・・・??」
「俺は丁源と申します。ただの寺生まれです。コイツはさっき拾った猫。」
なるほど、神なら日本語などた易く理解できるか、と納得した寺生まれの丁源だったが、女神は寺生まれの言葉のすべての意味を理解できたわけではなさそうだ。
まあ、と得心に至ったようではなさそうな女神であったが、話を再開した。
「ここには不慮の死を賜った人間がやってまいります。生の消費が足りていないのです。ここでスキルを授かり、新たな世界への扉を開いていただきます。」
と、後ろにある2つの扉を指した。
生の消費、という言葉の意味が寺生まれにはわからなかったが、そこは一旦置いておいた。
「という事は、俺は死んだのか? トラックに轢かれて。」
「いえ、あなたの場合はどうも特殊なケースのようで・・・。何か強い力によって、こちらの回廊に吹き飛ばされてきたようなのです。」
「ほう。」と一言。寺生まれはひと息吐く。
あのトラック。あまりにも急に現れた。運転席には誰もいなかったな。罠だったのか? いずれにせよ失踪事件と関係がありそうだが・・・。
「取り合えず話は分かった、如来様。それで俺はどうすればいい? 俺は死んでいないなら元の世界に戻してほしい。決着をつけたいヤツがいるんだが。」
何にせよ、あのトラックを放置することは出来ない、と寺生まれは判断した。
ニョライとの呼ばれ方に女神は引っ掛かっているようだったが、気を取り直す。
「それでしたら、まず生ある者はこの向かって右の扉を通って現世に楽に帰ることが出来ます。そして左の扉は死を賜り、生の消費が足りぬ死にし者が通ることが出来ません。」
どちらの扉も白い表装だ。
「ここへ来られる方は概ね、死を賜っており左の扉を通られます。そして新たなる世界へと行かれるのですが、困難と試練の世界となっております。」
「と、いうと?」
「左の世界において試練に打ち勝つことが出来れば、自ずと望む現世への道は開かれます。必ず開くことは出来るのですが、今まで開いた者がいないのです。ですので、厳しい困難が待ち受けているとご理解ください。」
なるほどと納得するも、寺生まれは自分は右の扉で帰る事が出来るので、特に問題はなさそうだ、と察した。
「いずれの扉も生ある者、死にし者が扉の前に立たないと扉が開きません。それと一度、開かれた扉は通れるのは一人だけとなっております。」
扉の力を蓄える時間が必要、との事でもう一度開けるには時間がかかるようだ。
「如来様、長々とご丁寧な説明、ありがとうございました。それでは俺は現世とやらに帰ります。」
頭を下げ、右に扉の前に行こうとする。
「お待ちください。ですから扉を通れるのは一人だけです。猫と一緒に通ることは・・・。」
「何ィ?」
一瞬の沈黙が二人の間に生まれた。
「そうか。」と一言の後、
「如来様、この猫を右の扉で現世へと頼む。」
と、懐から仔猫を取り出し、女神に渡した。
「貴方はどうなさるのですか?猫が通ってしまったら、 右の扉はしばらく開くことが出来なのですよ?」
左の扉を指し、
「俺は待たされるのは性に合わんのです。この左の扉で行きます。」
「話を聞いていたのですか? 死にし者でなければ扉は開かないのですよ?」
寺生まれは人差し指を垂直に立て、女神の方に手を突き出した。
「漢として寺に生まれて、この身一つ。」
突き立てた人差し指の先端が、にわかに光りだした。
小さい光の弾が生まれている。
その光の弾をはじき出す動作で、左の扉の方に向けた。
「破ッ!」
轟音とともに扉が吹き飛んだ。
「どうやら死者でなくとも扉は開くようですな。」
女神は目を丸くし、開いた口がふさがらない。
「では如来様、ちょっくら行ってきます。」
寺生まれは開け放たれた扉に近づいていく。女神は我に返った。
「ちょ、ちょっと待って。スキルをひとつ持っていかないと・・・!!」
「他人から貰う力なぞに興味はありませんなぁ」
という言葉とともに、寺生まれ丁源の姿は開け放たれた扉の向こう、闇の中へと消えていった。
なんだ、なんなんだあの人間は? こんなケースは初めてだわ・・・!
ところで壊れた扉はどうやって直すのだろう、と考えながらあることに気付く。右の扉で猫を返してら閉まった扉を破壊すれば・・・・。
女神リョウフォンは思った。
めちゃくちゃだけど寺生まれってなんだか、スゴイ・・・。
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