真リアルバウトハイスクールEX

雑賀礼史

男のおいもが危機一髪


【今回のハイライト】

「ハァ~おめでた? 男が!? 人類の未来、始まってんな!」



           1


「――釘原くぎはら太桂嗣たけしの行方を捜してもらいたい」


 この日、二度目のビックリだ。

 昼前、ボクの所属するBネット探偵社から連絡が入った。

 人捜しの依頼あり。

 しかも依頼人は高校生探偵である折尾おりお莉緒りお――つまりこのボクを指名してきた。

 放課後、待ち合わせ場所として指定された池袋のカフェ〈ドラゴンベリー〉にやってきたボクは、店に入るなり〈時止めフリーズ〉を食らったように固まってしまった。

 先に来てテーブルに着いていた依頼人が、あまりに意外な人物だったからだ。

「なんで……あんたが昼間っから出歩いている?」

「人を吸血鬼扱いしないでもらいたいな」

 そう答えたのは、地味なスーツに身を包んだ、小柄だががっしりした体格の三十男だ。

 ボクはこの男を知っている。

 とある界隈では〈カゲロウ〉あるいは〈ウラジロー〉の呼び名で知られる人物。誰でも魔法使いになれるアイテム〈フリント〉の闇ブローカーだ。

 お天道様の下をほっつき歩くのが似つかわしくない種類の人間には違いあるまい。

 勧められるままに円形テーブルを挟んだ対面の席に座る。

「ボクを呼び出して何の用だ? カゲロウさん……いや、景浦かげうら慈郎じろう

南雲なぐも真紅郎しんくろうから聞いたか」

 その通り。だが、自分の素性が割れていると知っても景浦は驚いていないようだ。

「用件ならすでに伝えたはずだが」

「マジで人捜しなのか?」

「そうだ」

「どうしてわざわざボクに!?」

「高校生とはいえ君も探偵プロの端くれだろう、もっとビジネスライクに話を進められないのか?」

 確かに、今回の件は事務所を通した正式な依頼だ。依頼内容も聞かずに依頼人の事情を詮索するのは探偵のルールに反する。

 そして――景浦の口から出てきたのが件の台詞だ。

「釘原はあんたの手下じゃァないのか?」

「私は一人だ」

 意外だな。神出鬼没の怪人カゲロウには単独行動が相応しいかもしれないが。

「もっと組織立って活動しているかと」

「真紅郎君には四天王を従えるようアドバイスされたが」

「手始めにエロい美人秘書に雇えばいいのに」

「そういうステレオタイプな黒幕感を求められても困る」

 まあこっちだって雰囲気出されても困るが。

「手掛かりはこれだけだ」

 景浦がスーツケースから取り出したクリアファイルをテーブルに置く。

 挟まれていたのはA4サイズのプリント一枚だった。

 丸めて捨てられていたものらしく皺だらけだが、内容は読める。

「人名と住所の一覧か……何の名簿だ?」

「釘原に恨みを持つ者たちだ。リストの表の後ろに二桁の数字があるだろう」

「二〇とか一五とか書いてあるな」

「それは彼らが復讐代行業者に支払った額面だ。単位は一万円というところだろう」

 何その面白サービス。

「ざっと計算しても総額で二〇〇万以上にもなるぞ? ボロい商売だ」

 どんだけ恨みを買ってるんだあのチンピラは。

「釘原の行方なら、その復讐代行業者とやらに聞いた方が早いんじゃァないか? 東京湾の底まで捜しに行くなんてご免だけどね」

「このリストは釘原自身が持っていたものだ」

「……どういうこと?」

「釘原はどうやらそのリストの人物に会いに行ったらしい。その後の行方が分からない」

 ボクが一層きな臭い顔になるのを景浦は見逃さなかった。

「リストの人物を当たって、釘原の行方を聞き出してもらいたい」

 やっぱりそうくるわけね。

「見たところ載ってる名前は男ばかりだな」

「何か問題が?」

「美少女がいないとやる気が出ない」

「なら安心したまえ。リストの中には美少女の父親の名前もある」

 さてはその美少女が釘原の被害者ってパターンのやつか? 逆に気が重くなるわ。

「不安なら真紅郎君に付き添いを頼めばいい」

 読めてきたぞ。さてはそれが狙いか。

「〈虹男にじおとこ〉を巻き込んだら解決するものもしなくなるぞ。これは探偵の仕事だ」

 あいつの行くところ必ずバイオレンスの嵐が吹き荒れるんだからな。

「ではこの件、引き受けてもらえるということで……いいのかな?」

 こちらの心理を見透かしたような景浦の言葉に、ボクは首肯するほかなかった。


           ★


「――で? 美少女はどうなったんだ?」

 まだ前フリの段階だってのに真紅郎は食い気味に訊いてきた。

「会ったよ本人に。結局、リストの最後に名前のあった人の娘だったが」

「じゃあそれまでの過程は端折ってクライマックスだけ教えてくれ」

 真紅郎が両手でハサミを作ってテープを切るジェスチャーをする。

「ほら、映画でよくあるだろ? いろいろエピソードがあったのを省略するために、短いイメージカットを連続で繋いで時間を圧縮して見せるやつ。モンタージュだっけ? アレでお願い」

「そんな器用な真似ができるか!」

「でもどうせ全員にカギ挿して頭パッカーンしたんだろ?」

「パッカーンて」

 確かに人間相手に〈魔法の鍵〉を使うとそうなるけれども。

「人聞きの悪いことを言うんじゃァない! やたら相手が協力的だったから使う必要がなかったし」

「使う気満々だったんじゃねーかよ」

「釘原を恨んで復讐に大金を払うような人間だぞ? 下手に心の扉を開いたらこっちが危ない」

 謎を追っている時はそのリスクを軽視しがちだけど、実際、人の頭の中を覗くのはヤバい行為だ。

 今回の件でいえば景浦慈郎の依頼だから受けただけで、釘原の行方なんてたいして興味がなかったわけだし、使わずに済むならそれに越したことはない。

 しかしリストの一人目から、リアクションはおかしかった。

 相手は、釘原の元同級生――証人Aとしよう。

 Aは親が町工場の経営者で、住んでいるのも小洒落たデザイナーズマンション。

 インターホンで釘原の名前を出すと、スピーカー越しでも気まずそうに口ごもる気配があったが、さして待たされずにAが外に出てきた。羽振りは良さそうだが本人はいたって地味な大学生といった印象だ。

 Aは渡された名刺(相談無料クーポン付き)とボクの顔を何度も見比べ、

「探偵なの? 君が?」

 不審者を見る目つき。まあ無理もない。ボクは気にせず自信満々な態度で仕事にかかった。

「いきなり不躾な質問で恐縮ですが……最近、釘原太佳嗣にお会いになりましたか?」

「む……」

「釘原があなたに会いに来たという話は存じています」

「ああ……そうだよ。来たよ。ここに」

 下手に隠し立てする必要もないと分かったからか、Aは素直に認めた。

「彼とどんなお話を?」

「謝罪を受けたよ。いろいろ悪かったと。土下座までしてね」

「他には?」

「慰謝料を渡してきた」

「額面を聞いても?」

 Aの回答した慰謝料の額は、リストにある数字と一致していた。

「謝罪を受け入れたわけですね?」

「まあね。でも慰謝料はいったん受け取ってから返した」

「それはどうして?」

「心を入れ替えて真人間としてやっていくと約束させたからね。今は無職だと言っていたし、いろいろ……お金は入り用になるだろうから」

「釘原を許したんですか?」

「いつまでも恨んでても仕方ないしな……」

「釘原とはその後、会ったり連絡を取ったりは?」

「それきりだよ。君は――」

 Aは探偵社の名刺に目を落とし、

「釘原の行方を捜しているのか?」

「ご存じで?」

「知らないし、二度と関わり合いになる気もないけど……でもまあ……もし釘原を無事に見つけられたら知らせて……いや、それはいいか」

 ひどく歯切れが悪い。許したとはいえ複雑な思いがあるのだろう。

「釘原について僕から話せるのはこれくらいだな」

「ありがとうございました。探偵のご用命がありましたらBネット探偵社までご相談ください」

 最後にしっかりセールストークをねじ込むのがボクの偉いところだ。


            ★


「その程度の軽いインタビューで満足したのか?」

 話を聞いた真紅郎は不満げだ。

「一人目だからね。二人目の証人Bは――」

「まどろっこしいな。BからKまで端折って?」

 ボクは記憶にあるリストの人数を指折り数えた。

「九人だからIまでしかないぞ」

「じゃあ総評でまとめて」

 せっかく謎で引っ張ろうとしているのにお気に召さないのか。とはいえ真紅郎に退屈されてはボクとしても困る。

「八人目まではだいたい同じパターンだ。釘原が会いに来ただろうとカマをかければ意外とすんなり話してくれた。釘原の謝罪を受け入れ、いったん受け取った慰謝料を返すところまで判で押したように同じ。綺麗な金とは思えなかったから受け取らなかった……とも考えられるけど、どうも様子がおかしいんだ。反省したからって釘原みたいなチンピラを簡単に許すか? 真人間になるって言ったところでハイそうですかと信用するか? 対応が甘すぎるんじゃァないか? ……ってね」

「そんな善人おらへんやろ、と?」

「ボクが性格悪いみたいに言うんじゃァない! 探偵たるもの、わずかでも違和感を覚えたら疑ってかかるのが当然だろ。つまり……証人たちが隠している事実があるんじゃァないか、とね」

「そんなの頭パッカーンすればすぐだろうに」

「切り札はここぞという時に使ってこそだろ」

「でも使わずに終わったわけじゃないんだろ?」

「最後の証人Iには……ね。結論から言うと、その証人こそ釘原が最初に会いに行った相手だったんだが――」


           2


 リスト九人目の住所は大田区――閑静な高級住宅街のど真ん中にあった。

 高い塀に囲われた、ちょっとした要塞を思わせる文字通りの豪邸だ。

 正面に立つだけで気後れするほどの威容だが、ご立派な資産家が何の因果で釘原みたいなド底辺のカス人間と関わる羽目になったのかと想像すると俄然興味が湧いてくる。

 インターホンを押す。応対したのは若い女性の声だった。

 カメラに映るように名刺を提示し、単刀直入に要件を告げる。

「釘原太桂嗣の件について、少しお話を伺いたいのですが」

『……そうですか。少々お待ちください』

 まず追い返されるだろうと踏んでいたのに予想外の展開。

 ボクを招き入れたのは二十歳くらいのお嬢さんだった。

 艶やかなストレートロングの髪、地味で清楚な感じの、なかなかの美人と言っていい。物腰柔らかで、こちらを警戒して緊張している様子もない。

 応接室に通され、紅茶とタルトを出された。

「可愛らしい探偵さんね」

 対面のソファに腰掛けた彼女――ひとまず証人Jとしよう――は、物珍しそうに名刺を眺めながら言った。

「太桂嗣さんのことでお話があるのね? 何が知りたいの?」

 話が早い。だがそれが逆に訝しく思える。釘原太桂嗣を知っているのに、嫌悪感を示すどころか親しげで余裕すらあるこの態度は――?

「最近、釘原太桂嗣と……」

 質問しようとした矢先、応接室のドアが乱暴に開かれた。

 入ってきたのは恰幅の良い五〇代の男性。やや生え際が後退気味だが品の良い紳士――と言いたいところだが、顔色は憤怒に青ざめ目は血走っている。

「探偵風情が今さら何の用だ!? あの碌でなしのことなんぞ知るか! もう縁を切ったはずだ!」

 Jの父親であるリストの最後の一人――証人Iの激昂した様子に、ボクは逆に安堵を覚えた。釘原に酷い目に遭わされた被害者なんだからこの反応で正解だ。

 おそらく家人から知らされて大慌てで駆け込んできたのだろうが、証人Iはボクを見るなり鼻白んだ。

「うん!? 探偵が来たと聞いたが……?」

「こちらの方がそうです」

 Jの手から名刺を奪い取って確認したIは、一度宙を彷徨った怒りの矛先をボクに向け直す。

「小僧が探偵か……何しに来た!?」

「最近、釘原太佳嗣がこちらに来訪しましたね?」

「ここには来ていない」

 Iの額に鍵穴は――見えない。嘘ではないということだ。

「では……こことは別の場所で会われましたか?」

「太佳嗣さんは病院までいらしたんですよ」

 Jが代わって答える。

「その時、あなたは入院されていた?」

「ええ」

「やめろ! こんなどこの馬の骨とも知れんやつに話すことは何もない……もう帰れ!」

 Iが割って入り、ボクの腕を掴んで強引に立たせようとする。


『――〈ガラスの鍵スケルトン・キー〉』


 ボクの右掌の内にアンティークな形の透明な鍵が生じる。

 それはボクの〈専売特許パテント〉のひとつ、あらゆる錠前を破れる魔法の合鍵であり、使い方次第では心の扉を閉ざす錠も開くことができる。

 その〈鍵〉を指で弾き飛ばした。

 Iの額に開いた〈鍵穴〉に鍵が吸い込まれるように挿さると、全身がフリーズして動きが止まる。

 間を置かずにもう一本の鍵をJにも投げ、動きを止めておく。

「その日のことを詳しく伺いましょうか。釘原太佳嗣と何を話したのか、その一部始終を」

 カチリ。

 鍵頭を指先で摘まんで回すと、確かな手応えとともに、Iの頭が宝箱のようにパッカーンと開いた。

 瞬間、Iの記憶があふれ出し、応接室が病室内の光景に書き換えられる。ボク自身がIの過去の記憶に入り込んだような感覚。

 広くて設備も整った高級ホテルのスイートを思わせる個室だ。

 ベッドに横になっているのはJ。目を閉じ眠っているのか。呼吸は浅く、顔色は良くない。とはいえ身体に繋がっているのは点滴の管だけで、重篤な病人という様子でもない。

 ノックの音。Iがどうぞと応じる。

 ドアを開けてガタイのいい若い男が入ってきた。

 Iが相手を認識した途端に、記憶の光景に赤いフィルターがかかった。

 現れたのが釘原太佳嗣だったからだ。

 記憶の映像が赤みを帯びたのは怒りと憎悪の感情による影響だ。ボクも胸糞な感情を覚えたが、これは他人事だ。呑まれてはならない。

 釘原はベッドにいるJを見つけて険しい顔つきになると、Iの前まで歩み出て、深々と頭を下げた。

「はじめまして。釘原と申します。お嬢さんの件でお詫びに……」

「帰れ! お前と話すことは何もない!」

 Iが罵声を浴びせる。

 初対面のはずなのに途中のやりとりをすっ飛ばして最初から釘原と認識しているのは、これが主観記憶の再生だからだ。どこまでが事実に忠実かはしっかり見極める必要がある。

 釘原は床に両手両膝をついて土下座した。

「何だそれは!? 今さら許して欲しいとでも言うのか!? それとも……」

 不意に横から笑い声が聞こえてきた。

「ウフフ……なあに、これ? おもしろ~い」

 ベッドの上のJがいつの間にか目を覚まし、楽しげにクスクス笑っている。

「お父様の記憶? はは~ん、のせいね?」

 Jは自分の額に挿されたガラスの鍵に指先で触れる。

 何だこれは? 違うぞ……このJはIの記憶の中のJじゃァない。今この場にいる本人だ。それにスケルトンキーを認識している!

 何が起きている? こいつは初めてのケースだ。同じ記憶を共有する人間に同時に鍵を使ったせいか?

「これは記憶の扉を開く鍵ってことね? ちょうどいいわ探偵さん。私とタケシくんの間に何があったか知りたいんでしょう? 教えてあげる」

 Jは自ら鍵を捻った――


           ★


「……それで? どうなったんだ?」

 ボクがいったん話を切ると、真紅郎は続きを催促した。

「よもやセルフでパッカーンされるとは……想定外だった」

「話が早くていいだろ」

「物事には順序ってものがあるんだ。相手に質問して、秘密にしている記憶が意識の表層に浮かんできたところで〈鍵〉を使ってこそ意味があるんだが――」

「自分で開けた場合は違う?」

「今回の件では、彼女の釘原にまつわる記憶を順不同でいっぺんに浴びせられた。ついでに言うと……ここからは一八歳未満お断りの内容になってくる」

「それは問題だな」

 健全な男子高校生なら大喜びでエロ話に食いつきそうなものだが、真紅郎はワイルドな見た目に反してアホほど大真面目に十八禁を遵守しようとする。

「だったら基本的な内容は変えずにR-15指定版で頼む」

 そうくるか。調整が難しいぞ。

「分かった。じゃァ掻い摘まんで話そう」


           3


 Jの頭の中から溢れ出した〈釘原との思い出〉が時系列グチャグチャの一塊で襲ってきた。まるで暴風――いや、津波か。断片的なイメージの奔流に翻弄されながらも解析を試みる。

「釘原とは……どこで出逢ったんだ?」

 ボクが発したワードによって記憶の想起が誘導され、いくつかのイメージがポップアップする。ネット検索と要領は同じだ。

 手を伸ばして〈ムーンレイカー〉を使う。ボクの持つもうひとつの〈専売特許パテント〉――視界に捉えたモノを掴んで一瞬で手元に引き寄せる魔法だ。

 イメージの一つを捕まえ、開く。

 場所はどこかの繁華街の路地裏。時刻は午後。

 だが、そこで展開されている光景はひどく現実感に乏しかった。

 真っ赤な肌をした半裸の大男が子供をボコッている――?

 いや、スケールが違った。

 大男は身の丈三メートル近くはあろうかという巨人で、子供に見えたのもいい歳した固太りのオッサンだ。

 巨人はオッサンを片手で軽々と掴み上げ、ビルの壁面に数回叩き付けてKOすると、ゴミ集積場に投げ捨てた。

 荒事を終えた赤銅色の巨人はみるみる縮み、若い男の姿に変わる。

 釘原太佳嗣だ。

 おそらく〈フリント〉の魔法で肉体を変身させていたのだろう。Jはその現場に出くわしたというわけだ。

 目撃したJの感情が流れ込んでくる。

 動揺と軽い恐慌――それは分かる。無理もない。

 だがそれを上回る好奇心と高揚感があった。どういうことだ?

 その場を立ち去ろうとする釘原に、Jは駆け寄った。

「もし!? もし!?」

 振り向く釘原。その怪訝そうな顔に問いかける。

「今のは何ですか?」

「うるせえ。あっちへ行け」

 気怠そうに対応する釘原。魔法を使った直後は興奮の余韻と虚脱感がある。いわゆる賢者タイムだ。だが好奇心に突き動かされるJはお構いなしだ。

「あなたはオーガなの? それともトロル?」

 Jが言っているのは異世界ファンタジーもののゲームにもよく出てくる神話伝承由来の怪物だ。巨躯で力は強いが醜く野蛮な種族。さっきの釘原の姿をそう捉えたらしい。

「知らねえよ。何なんだよ、てめーは」

「ぶしつけなお願いで恐縮なのですけど……私を連れ去っていただけませんか? 具体的には拉致監禁して私をメチャクチャにしていただきたいのですが」

 いきなりのトンチキな要望に対する釘原のリアクションは――


           ★


「――何だそりゃ?」

「それな」

「R-15にするために脚色した? それとも……ガチのやつ?」

「ガチの方」

 真紅郎はやれやれと肩をすくめる。

「それで……釘原は据え膳食った?」

「そう単純な話じゃァない。さすがの釘原も気味悪がって追い払おうとしたからな。だが、彼女は〈フリント〉を使った現場をバッチリ目撃していた。それをネタに警察を呼ぶだの何だのとゴネまくって、しつこく付きまとった挙げ句に釘原のアパートまで乗り込んだ」

「一目惚れでそこまでする?」

「どうだろうな。釘原に対してのは事実だろうけど……それを恋愛感情と呼んでいいものかどうか」

「魅了されたのは魔法に対してか」

「彼女はそもそも夢見がちなタイプだったらしいからな。箱入りで大事に育てられすぎて浮世離れしているというか、脳味噌お花畑というか……何不自由ない生活をしてるのに本人は籠の鳥の気分で自由になりたいとずっと思ってて、そこにたまたま出会ったのが釘原だった」

「〈フリント〉を手にしたらヤバい魔法が発現しそうだな」

「実際そうなった」

「ほほう~ん。で、どんな魔法?」

 真紅郎が身を乗り出してきた。ここは気を持たせる一手だ。

「変身系……かな? いや、精神操作系でもあるか」

「つまり幻術タイプか」

「それを言ってしまうと〈フリント〉の魔法の大概がそうなんだが――」

 説明が難しい。R-15指定ならなおさらだ。少し視点を変えてみるか。

「その日、釘原がアパートに戻ってくると、部屋の中が『石造りの地下牢』になっていた。中世ヨーロッパモチーフの異世界ファンタジーによくある感じのやつ。その地下牢では、錆びた鎖で繋がれた美しいエルフのお姫様がいて、それを囲んで嬲ってるオークたち――というエロマンガみたいな光景が繰り広げられていた」

「エロマンガは読んだことがないのでピンとこないな。具体的に何が起きていたのか説明されないと」

「具体的って……R-15の範囲でって言ったのは君だぞ!?」

「釘原の部屋をエロマンガ化したのは彼女の魔法か」

「そうだ。エルフの姫は彼女自身、オークたちは釘原の仲間だ。四人いたのを覚えてるだろ?」

「そうだっけ」

 チッ、忘れてやがる。

「釘原は彼女を警戒して〈フリント〉を渡さなかったが、アホな仲間の方は釘原の女だという彼女の出任せを真に受けたんだ。釘原の部屋は彼女の魔法で書き換えられ、いわば彼女の妄想が具現化した領域になっていた。うっかり入った釘原も……その……超エロいピンクの空間に取り込まれて、彼女の妄想イメージプレイに参加する羽目になった」

「過度にエロいのはレーティング違反だからそこは修正してくれ」

「真面目か!」

 事実として彼女が魔法で実現したのはファンタジー風イメクラキメセク大乱交パーティ以外の何でもなかったのにどう修正しろと!?

 だがここで真紅郎に引かれては困る。ボクは必死で頭を捻った。

「釘原がアパートに帰ってくると……部屋ではエルフの姫とオークたちが……を取っていた」

「相撲」

「普通の部屋の真ん中に何故か土俵ができていて、そこでは四人のオークを相手にエルフの親方が稽古をつけていたんだ」

 しまった。ファンタジー要素を残したせいで途轍もなくシュールな絵が出来上がったぞ。しかし今さら後には引けない。

「部屋は彼女の魔法で支配されていたから、それに影響を受けた釘原も……突如としてスポーツマンシップに目覚め、自分もオークに変身してエルフの親方にぶつかり稽古を挑んだ。エルフの親方は五人の弟子オークを相手に組んずほぐれつ……千切っては投げ、千切っては投げ……その稽古はオークたちが疲労困憊して気を失うまで続いた」

「強いな~エルフの親方。でも〈フリント〉の魔法にも効果の限界はあるだろ?」

「そこが巧妙なところでね。部屋を出ると稽古の記憶は綺麗に消えてしまうんだ」

「それだと本場所で稽古の成果が出せないんじゃないか?」

「本場所とかねえから! 相撲の譬えに引っ張られるんじゃァない!」

「ツッコミが強い。軽いボケだろ」

 クソ真面目な顔のままでボケようとするからだ。

「ちなみに彼女の記憶を生で浴びせられた父親はこの時点で半狂乱になった。可愛い娘がチンピラに拐かされて弄ばれた被害者じゃァなくて、むしろその逆で銜え込んだ側だったと分かったからだ」

「まさか娘がエルフの親方になって自分から弟子を取って相撲部屋を開いていたとはな」

「そう……だな……」

 ヤバい。自分で言い出した譬えなのに混乱してきたぞ。エルフの親方って何だよ。

「高貴なエルフの姫というのは彼女のセルフイメージだが、何度もやると飽きてきたのかバリエが増えていった。ドライアードやアルラウネといった植物系の魔物や、下半身がタコのスキュラになってプレイ……相撲の稽古を楽しんだんだ。後半は受けより攻めに回ることが多くなった。その生活は一ヶ月余り続いたが――」

「親方を引退して部屋を畳んだのか。理由は? 体力の限界?」

「限界はむしろ釘原たちの方だったろうな。部屋に戻るたびに休むどころか疲れ果ててしまう異常な生活だ。さすがに気付いた釘原は対策を講じた。部屋に入った直後にカウンターで〈フリント〉を使うことで彼女の妄想世界を上書きしたんだ」

「なるほど……それで彼女から〈フリント〉を取り上げて追い出した、と」

「いや、釘原は彼女を追い出さなかった」

「ほう?」

「彼女が部屋に居候することも許して……その……〈フリント〉抜きで一度だけ相撲を取ってる」

 相撲って遠回しな言い方としてやたら便利だな。使いすぎると逆に相撲がエロいワードになるから注意が必要だが。

「どうも人間同士で相撲を取ったことで彼女の方が醒めてしまったらしい。文字通り幻滅してわけだ。結局、彼女には等身大の人間同士として釘原と付き合うつもりはなくて、自分から部屋を出て家に戻った」

「分からんもんだな……で、それがいつの話だ?」

「釘原の元から彼女が去ったのは八ヶ月前ってところだ。そして、これが一番重要なことだが――彼女は妊娠していた」

「釘原の子供か」

「仲間を加えた五人のうち誰が父親かは分からない。とにかく彼女は身重で……それを世間の目から隠すために入院させられていた。釘原がやってきたのはその病室というわけだ」

「待てよ。父親が娘と釘原の馴れ初めを……その真相を知ったのはどのタイミングだ? 過去話の中で回想シーンが始まって、その途中でさらに別の回想が割り込むから時制が混乱するんだよ」

 ボクの主観だと順番通りに話しているつもりだが聴く側からするとそうなるか。

「それはボクの使った鍵の魔法のせいだから、釘原が病室に現れた段階では父親は知る由もなかった」

「するとにならないか? 結果として父親は釘原を許したんだろ?」

 ようやく食いついてくれたか。それでこそ話した甲斐があるというものだ。

「そう。が起きたんだ。とても奇妙なことが、ね――」


           4


 再び、父親Iの記憶――

 病室に現れた釘原に対し、Iの怒りの発作は治まるどころかさらに激昂する。

「お前みたいなゴミカスが……今さら……どの面下げて……何のつもりだ!? こんなこと……どうしてくれる!?」

 語彙力の乏しい罵声を一方的に浴びる釘原の方は、逃げも隠れもしないという決意のようなものが窺えるどこか堂々とした土下座だ。

「お詫びのしようもありませんが……自分にできることは何でもします」

「何でもだと!? バカも休み休み言え! お前みたいなモンが何をしようと」

 Iの言葉を遮るように、奇妙な声が病室に響いた。

『――何でもするって言ったよね?』

 女の声。だがJのものではない。

 土下座していた釘原が驚いて顔を上げる。

 IとJの視線も同じく病室内の一点に集まる。

 そこに居たのは、真っ赤なフード付きマントに身を包んだ怪人物だった。

 どこから入ってきたのか、あるいは最初からいたのに今まで気付かなかったのか。

 とにかく、認識の外から不意に現れたは――〈赤ずきんちゃん〉と呼ばれる存在に違いなかった。

 人間に魔法の力を与える〈ブックマッチ〉を配り歩く謎の人物。

 赤いフード付きマントの下に隠された顔は目撃者によって異なる別人だが、ブックマッチを入れたバスケットを携えていること、マントの下は全裸らしいという共通点は同じだった。

『確かに聞き届けたわ』

 マントの隙間から〈赤ずきんちゃん〉の右手が現れる。

 その手には、テレビの魔法少女アニメで主人公が持っていそうな、いかにもオモチャっぽいデザインのタクト(?)が握られている。

『ナントカなぁ~~れっ!』

 何も思い付かなかったような適当すぎる呪文を唱えながら、〈赤ずきんちゃん〉はキラキラと光るタクトを振るった。

 タクトの先から飛散した光の粒子が病室内に満ちる。

 その光が溶けるように消えると共に〈赤ずきんちゃん〉の姿も消え失せていた。

「……あら? あれれれ!?」

 驚いた声を上げたのはJだった。

 ベッドの上に立ち上がり、自分のお腹をさする。

 パジャマを捲ると、凹んだお腹と綺麗な形のおヘソが露わになった。

「うぐっ、おおおお……」

 くぐもった声を上げたのは釘原だ。

 顔から血の気が引いている。

 両手で自分の腹を探り、を確認すると、釘原の額から脂汗が噴き出した。

「ハッ……ハハハハハハッ!」

 笑い声を上げたのはIだった。

 何が起きたのか理解したものの、何が起きているのか理解できない――そういった種類の発作的な反応だった。

 Iは釘原の腹を指差して笑い続けた。

 それはまるで臨月の妊婦のように膨らんで――


           ★


「ハァ~おめでた? 男が!? 人類の未来、始まってんな!」

 さすがの真紅郎もこれには参ったと額をペチリと叩いた。

「にしても……〈赤ずきんちゃん〉が魔法で赤ん坊を釘原の腹の中に移したと?」

「信じがたい話だが、事実だ」

 今回の事件における最大の見せ場ハイライトに辿り着いたことで、ボクはようやく一息ついた。

「待てよ、謝罪行脚の最初がそれってことはつまり……」

「リストの相手に会いに行った時、釘原は既にボテ腹だったってことだ。釘原に恨みを持つ連中があっさり謝罪を受け入れたのが不思議だったが……納得だな。やり直して真人間になるという言葉を信用したのも、もらった慰謝料を返したのも、これから生まれてくる子供のためだった」

「先払いの出産祝いか。〈赤ずきんちゃん〉はそうなることまで見越してたのかな?」

「さあね。そもそも釘原は〈フリント〉使いだからアフターサービスをする理由がない。それこそ魔法絡みで生まれてくる子供に対するケアのつもりなのか……」

 何にせよ恐るべき怪人物であることに違いはない。

 最大の謎が解けて真紅郎はすべて終わったような気分を出しているが、ここからが本題だ。一気に畳みかけないと。

「Iへの聞き取りを終えた直後にカゲロウから電話があって、釘原の行方が分かった。行き倒れて病院に収容されていると」

「オリヲの仕事は終了か」

「ああ。人捜しの依頼は、ね。でも追加の依頼を受けた。依頼というより相談かな」

「相談……というと?」

「〈赤ずきんちゃん〉の魔法で釘原の腹の中に移された胎児は数日中にも生まれそうなんだが……その、釘原は男だから、赤ん坊が出てくるルートがない」

「確かに、男には産道がないからな」

「産道って」

「産道は別にエロいワードじゃないだろ? 医学用語だ」

 その辺は平気なのかよ。面倒くさい奴だな。

「その産道ってやつがないから、どうもその……釘原の場合はだな、赤ん坊は……を通って出てくるらしいんだ」

「おいも? ジャガイモかサツマイモか、はっきりさせてくれないか」

「ひとまず大きなサツマイモを想定してもらえると助かる」

「了解だ。それで?」

「赤ん坊が無理矢理通ったらが爆発するらしい。そして釘原は男だから、出産の激痛に耐えられずに死んでしまうだろう、というのがカゲロウの見立てだ」

「帝王切開すれば?」

「男の妊婦を手術してくれる医者がいないらしい。探している時間もない」

「オリヲの〈ムーンレイカー〉は?」

「対象を肉眼で捉えていないと掴めない」

「やれやれだな」

「そこで、何とかできる魔法使いを探してくれというのが新たな依頼だ。ボクの知り合いの伝手で何とかならないかってね。ここまで話せばもう分かるだろう? 君に相談に乗ってもらいたかったからだ」

 真紅郎に興味を持ってもらえるように苦心したのはこのためだった。

「俺に手伝う義理が?」

「生まれてくる赤ちゃんは女の子だ」

「なら引き受けるしかないな」

 女子に優しいのが真紅郎の美点のひとつだが、相手が赤ん坊でも二つ返事とは。

「虹セイバーで釘原を真っ二つにしよう。アボカドを半分に切る要領でグルッと……」

「種みたいに赤ん坊だけ避けて縦に斬るつもりか!?」

 この男なら本気でやりかねない。脳内に嫌な想像が浮かんでしまう。

「他の手はないか? 釘原の命を諦めるのはナシで」

「贅沢な悩みだなー」

 真紅郎は腕組みし、二秒ほど思案して腕を解いた。

「……そうだ、がいたな」

「誰だそれ?」

「ハマーの仲間に全身をゴムみたいに変化させる魔法使いがいただろ? 人間スーパーボールになって跳ね回るやつ。にゴムの弾力と伸縮性を持たせれば爆発しないだろう。赤ちゃんの頭が出てきたところでオリヲが〈ムーンレイカー〉で摘まみ出せばいい」

「ボクが取り上げるのか!?」

「依頼を受けたんだろ?」

「君は? 来てくれないのか?」

「女の子だろ? 生まれて最初に見たのが俺だと、惚れちゃうじゃないか」

 実際モテていないくせにこの自信はどこから来るんだ? こいつに惚れると人生が大変なことになるのは確かだが。

「ゴム男を口説く時に渋ったら俺の紹介だって言っていいから」

「元よりそうするつもりだ」

 椅子から尻を浮かせながら、ボクは答えた。

 話は決まった。なら……善は急げ、だ。


           5


 後日――事後報告のため、再びボクは真紅郎と同じ店の同じ席で落ち合った。

「……ま、いろいろトラブルはあったけど、上手くいったよ」

「それはよかった」

「確実に少年探偵の仕事じゃァなかったし、ボクのトラウマが深刻だが」

 ついでに言えば無関係なのに協力させられたゴム男の方がより深刻だ。

「赤ちゃんは釘原が育てることになったよ」

「自分のお腹を痛めて産んだ子だからか……この場合、家庭か家庭、どっちになるのかな」

「そこなんだが……父親が五人に増えた」

「へえ?」

「今回のことを知った仲間の四人が戻ってきてね。全員、自分に父親の可能性があるからと譲らなくて。母親としての権利は釘原のものだけど」

「家庭の事情がやたら複雑だな」

 口振りほどには心配している様子はない。確かに保護者は多い方がいい。

「ところで真紅郎……」

「なんだい?」

「カゲロウから、君にも礼を言っておいてくれと頼まれたんだけど」

「それが?」

「後から考えると……どうも解せないんだ。カゲロウはどうしてボクに釘原の捜索を依頼したのかってね」

「ああ、それね。俺のアイデア」

 こいつ……しれっと言いやがった!

「……君が?」

「実は、景浦慈郎から相談を受けたのは俺が先だったんだ。オリヲの〈ムーンレイカー〉が向いていると助言したが、ストレートに頼んでも警戒されるだけだろう。だったらまず探偵の仕事として釘原の行方を捜すように依頼すればってね」

「あのなァ……」

 ボクは脱力して深々と溜息を吐いた。

「なかなか興味深い事件だったろ? いい経験もできたし」

「確かにな!」

「怒った?」

 ボクがブンむくれているのを見て、真紅郎は子供のように破顔した。普段は仏頂面のくせに笑った時だけ無邪気で可愛くてズルい。

「今日は俺が奢るよ。好きなのを頼んでいいぞ。あと、お望みなら膝の上に座って手ずから食べさせてやってもいい」

「それは魅力的な提案だな。でも可能なら口移しで頼む」

 途端にスン……と笑顔を引っ込める真紅郎。

「そういうエッチなサービスはしていない」

「クソ真面目かよ!」


 結局――ボクは真紅郎の膝の上でパフェを食べさせてもらうだけで妥協した。

 今回の件、収支はまあ……トントンといったところか。



                       [男のおいもが危機一髪/了]

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