ひとくちも食べない料理をつくる話
傾きかけた橙色の陽が差す台所。銀の調理台に食材が並ぶ。青々としたニラ、本物よりも本物らしいという売り文句のカニカマ、規則正しく整列した卵。そう、ニラ玉の材料だ。
ニラやニンニクのような匂いの強いものは信仰する宗教的に避けたく、そもそも元より私の好みではない。
仏教には
在家ではあるが信徒の私もまた然り。さらに元より好きでもないのだから我慢するまでもなく、これらの食材を買い、調理する理由などひとつもない。
そんな私がなぜニラ玉なんぞを作ろうとしているのかというと、家族からリクエストを受けたからに他ならない。
「材料を買ってきたから、これで作ってよ」
などと言われてどうして断れようか。珍しいことなのだ。
普段、台所のことは私に一任されている。果たして食にこだわりがあるのか、ないのか。あの人は何を出してもニコニコと微笑みながら食べる。「なに食べたい?」という問いかけに対する返答はあっても、自発的な要求は初めてだ。しかも材料まで用意して。これは一大事である。
青々としたニラを刻みながら、その匂いに多少顔をしかめつつ、ふと幼少期を思い出した。
食卓に並ぶのは、はんぺんの卵チーズ焼き。とろけるチーズ、香ばしい醤油のかおり、ちょうどいい焼き色のついた薄黄色の三角形。シンプルな料理だが、兄も父も、もちろん私も大好物だった。しかし後々になって聞かされたのは、母ははんぺんが大の苦手で、ひと口も食べられないということだ。そういえば箸をつけていなかったかもと私の記憶は
連鎖的に思い出すのは、母が年末に欠かさず作っていた伊達巻、寒い冬に嬉しいおでん、ふわふわのはんぺんを浮かべたお吸い物。あれもこれも、家族のことを想い作っていたのか。
こうして往時の母を思い出してみると、自分ではひとくちも食べないものを調理するというのも、決して虚しい行為ではないと思えてくる。きっとこれが愛だ。
信仰や嗜好よりも
それでも今この時、他の何よりも優先されてしまった私の愛情が、フライパンの中で鮮やかな緑や赤、黄色と混ざり合って焼きあがろうとしている。ほのかな自己満足と相手の幸せを願う気持ちで、心が少しばかりくすぐったい。
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